シナリオ執筆を最優先にするため、家にこもることが多くなった。
コーヒーがぶがぶ呑みながら、煙草ばんばん吸いながら、モニターとにらめっこ。
ときどき自慰、晩になったらビールをメインにした食事。
少し前のコラムで書いたように、ちょっと息苦しくなることもあるので「夜の」ジョギングを日課にしている。
60分(前後)走ったあと、団地内にある小さな公園ベンチに横になることが「決まり」だ。
汗がひくのを待ちつつ、夜空を眺める。
この時期は星がよく見えて、柄にもなく感動なんかしたりする。
ベンチに、マジックで書かれた落書き。
「おまん○女 090-○○○○―5132」とある。
ちなみに初めの「○」は自主規制ではなく、ほんとうに「○」と書かれていた。
後半4つの「○」は、自主規制である。
放送禁止用語は「○」で伏せているクセして、個人情報は垂れ流しにしている矛盾。
暗いヤツだなと思いつつ、しかし便所と同様、落書きなんてこんなものだと解釈する・・・も、これを書いたヤツと自分と、こころの腐り具合ってどのくらいの差があるのだろう、、、などと考えたり。
あんまり変わんないかもな―という結論に達し、再び空を眺める。
星を見て理由がよく分からない感動に襲われ、いい気持ちになる・・・のは数分で、ずっと見ていると、こんどは恐怖心がやってくる。
恐怖心というのはちがうか、宇宙のわけの分からなさに慄くというか、
なんだブラックホールって。
星雲とか恒星とかってどういうことなんだって。
何億光年とか、自分の想像力の遥か先を行き過ぎていて、ついていけないのだった。
そうして、ほとんどのひとが一度や二度は経験するであろう、どうして地球だけに生命体があるのだろう、むしろそっちのほうが不自然じゃないかとか、答えのないことをアレヤコレヤ考えることになる。
そんなこと考えても、しゃーない。
だから、
汗がひいたところで自宅に帰還する・・・と思いきや、
もういい歳なので、この状態で階段を上ると膝に堪える、ゆえにこんどは団地の周辺を一周することにした。
歩きながら、再びいろんなことを考える。
この世の不思議を思うのは、きっと時間があるからなのだろう。
シナリオに没頭しているのも、ひとつの要因か。
べつにそういう哲学? をするのは無駄なことではないとは思うが、きっと、友人知人がいろんなことを始めていることからくる焦燥感もあるにちがいない。
腐れ縁の友人が、起業した。
まったく畑がちがうのだが、ただただすごいことだと感心する。
ここ数ヶ月のあいだに、4人の友人が新しい家庭を築いた。
いっぽうで映画監督を目指す同級生の女子は、福島に行って戦っている。
手術を繰り返す病弱な友人は、それでも親御さんに仕送りを忘れない。
みんなすごいし、そういう報告を聞く度に、なにやってんだろうな自分、、、と思う。
進歩がないわけではない(と信じている)し、自分なりに戦っているつもりだが、まだまだなんだと。
考えがまとまらないので一周では済まず、二周三周と団地を回る。
しかし回れば回るほど焦燥感に駆られ、それを紛らわそうとする性が働くのか、帰宅途中の女性の脚を「怪しまれない距離感」で眺めたりなんかしている。
あぶない、あぶない。
そうして公園ベンチに戻り、腐ったヤツの書いた落書きを見て、再び空を眺める。
そうか、こういう感覚でポール・シュレイダーは『タクシードライバー』(76)の脚本を産み落としたんだな、、、と思った。
ここでやっと、とにかくいいシナリオを書かなければ―という気持ちになった。
ベンチから始まる、自我との葛藤。
すげぇなベンチ、自分にとってはモノリスのような存在になってくれたわけだ。
しょーもない落書きを含めて、自分に知恵を授けてくれたようなものだもの。
自分が好きなこと、好きで好きでたまらないこと―つまり書くこと―で喰えるようになったら最高だな幸福だな、
柳美里とか、よく書くことの苦痛というものを訴えているがなにいってんだよ、、、などと思っていた。
いたのだが、最近になってやっと、書くことって苦痛を伴うものだと悟った。
遅過ぎる?
いかにも。
まぁそれでも悟ったんだから、結果オーライとしておこう。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(22)』
コーヒーがぶがぶ呑みながら、煙草ばんばん吸いながら、モニターとにらめっこ。
ときどき自慰、晩になったらビールをメインにした食事。
少し前のコラムで書いたように、ちょっと息苦しくなることもあるので「夜の」ジョギングを日課にしている。
60分(前後)走ったあと、団地内にある小さな公園ベンチに横になることが「決まり」だ。
汗がひくのを待ちつつ、夜空を眺める。
この時期は星がよく見えて、柄にもなく感動なんかしたりする。
ベンチに、マジックで書かれた落書き。
「おまん○女 090-○○○○―5132」とある。
ちなみに初めの「○」は自主規制ではなく、ほんとうに「○」と書かれていた。
後半4つの「○」は、自主規制である。
放送禁止用語は「○」で伏せているクセして、個人情報は垂れ流しにしている矛盾。
暗いヤツだなと思いつつ、しかし便所と同様、落書きなんてこんなものだと解釈する・・・も、これを書いたヤツと自分と、こころの腐り具合ってどのくらいの差があるのだろう、、、などと考えたり。
あんまり変わんないかもな―という結論に達し、再び空を眺める。
星を見て理由がよく分からない感動に襲われ、いい気持ちになる・・・のは数分で、ずっと見ていると、こんどは恐怖心がやってくる。
恐怖心というのはちがうか、宇宙のわけの分からなさに慄くというか、
なんだブラックホールって。
星雲とか恒星とかってどういうことなんだって。
何億光年とか、自分の想像力の遥か先を行き過ぎていて、ついていけないのだった。
そうして、ほとんどのひとが一度や二度は経験するであろう、どうして地球だけに生命体があるのだろう、むしろそっちのほうが不自然じゃないかとか、答えのないことをアレヤコレヤ考えることになる。
そんなこと考えても、しゃーない。
だから、
汗がひいたところで自宅に帰還する・・・と思いきや、
もういい歳なので、この状態で階段を上ると膝に堪える、ゆえにこんどは団地の周辺を一周することにした。
歩きながら、再びいろんなことを考える。
この世の不思議を思うのは、きっと時間があるからなのだろう。
シナリオに没頭しているのも、ひとつの要因か。
べつにそういう哲学? をするのは無駄なことではないとは思うが、きっと、友人知人がいろんなことを始めていることからくる焦燥感もあるにちがいない。
腐れ縁の友人が、起業した。
まったく畑がちがうのだが、ただただすごいことだと感心する。
ここ数ヶ月のあいだに、4人の友人が新しい家庭を築いた。
いっぽうで映画監督を目指す同級生の女子は、福島に行って戦っている。
手術を繰り返す病弱な友人は、それでも親御さんに仕送りを忘れない。
みんなすごいし、そういう報告を聞く度に、なにやってんだろうな自分、、、と思う。
進歩がないわけではない(と信じている)し、自分なりに戦っているつもりだが、まだまだなんだと。
考えがまとまらないので一周では済まず、二周三周と団地を回る。
しかし回れば回るほど焦燥感に駆られ、それを紛らわそうとする性が働くのか、帰宅途中の女性の脚を「怪しまれない距離感」で眺めたりなんかしている。
あぶない、あぶない。
そうして公園ベンチに戻り、腐ったヤツの書いた落書きを見て、再び空を眺める。
そうか、こういう感覚でポール・シュレイダーは『タクシードライバー』(76)の脚本を産み落としたんだな、、、と思った。
ここでやっと、とにかくいいシナリオを書かなければ―という気持ちになった。
ベンチから始まる、自我との葛藤。
すげぇなベンチ、自分にとってはモノリスのような存在になってくれたわけだ。
しょーもない落書きを含めて、自分に知恵を授けてくれたようなものだもの。
自分が好きなこと、好きで好きでたまらないこと―つまり書くこと―で喰えるようになったら最高だな幸福だな、
柳美里とか、よく書くことの苦痛というものを訴えているがなにいってんだよ、、、などと思っていた。
いたのだが、最近になってやっと、書くことって苦痛を伴うものだと悟った。
遅過ぎる?
いかにも。
まぁそれでも悟ったんだから、結果オーライとしておこう。
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(22)』