Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(22)

2012-10-29 00:15:00 | コラム
「殴って、なぜ悪いか」

トップ画像とこの台詞―『機動戦士ガンダム』―にピンとくる同世代は多いと思うが、
今回のテーマは、「殴られたこと」。

「った」ではなく、「られた」ほうね。


その昔、米オスカー授賞式で「―いままで僕を殴ったひと、キスをしたひとに感謝したい。僕が殴ったひと、キスしたひともね」とウィットに富んだ? スピーチをしたひとが居たが・・・

自分、回数ではなく人数でいうと、
キスした/されたひと より、殴った/殴られたひと のほうが、残念ながら多い。

しかも、圧倒的に。

単に、くそーと思う。
グーより、チューのほうがいいもんね。

少し格好いいことをいうと、
・・・でもまぁなにかのパクりではあるのだが、身体の痛みより、こころの痛みのほうが傷は深いし長引く。
殴られた痛みは一瞬、そうでなかったとしてもすぐに癒えるものだから。

とはいっても、そんな経験はしないほうがいいにきまっている。

痛いものは痛いし、
歯が欠けるかもしれない―実際に、自分は欠けた―し、
鼻の骨を折るかもしれないし、
その姿を好きな子に目撃されるかもしれないし、

マゾヒストでもないかぎり、殴られて気持ちよくなるヤツなんて居ないだろうから。


殴られた回数―格闘技を除いて、350回くらいかな、もっと多いかな、
そのうち7割は、未成年のうちに殴られた。

それでよかったと思うんだ、いや、よかったということはないのだが、成人後の殴る/殴られる は、「死」につながる可能性もあるしね。

内訳を、もう少し続けよう。

未成年時に殴られた回数の大半は、高校1年時、しかも5月~6月の短期間に集中している。
つまり、イジメによるものだ。

今回のテーマはイジメではないので、このままスルーしてしまおう。ここ書くと怨念120の文章になってしまうので。

残りは教師、父親の順に多い。
イジメを除けば、同級生や上級生、もちろん下級生に殴られたことがない―つまり殴り合いのような喧嘩は、上京するまで経験したことがなかったのである。

さて。
そこそこ・・・どころじゃないか、けっこう滅茶苦茶な少年期を送ってきた割には、父親に殴られた回数は少ない。
教師に殴られたほうが、圧倒的に多い。
しかも担任ではなく、なぜか隣りのクラスの教師とか、生活指導の教師に殴られた。つまり担任が手を焼き、ほかの教師に助けを求めた―というわけなのだ。

自分が高校を出てからのことかね、どう考えても生徒・児童が悪いのに、そう簡単に教師が手を上げられなくなったのは。
いま考えても、殴られて正解だったけれどね。もっと殴ってくれても? よかったくらい。

殴ってくれてありがとう、森原先生・・・って、あ、いっちゃった。

しかし。
そんなクソガキであっても、生まれて初めて自分を殴ったのは父親だった。

しかも一発ではない、二発三発四発五発とつづき、蹴りや投げ技も入り、自分と同時に障子も吹っ飛び、まるで『姿三四郎』(43)のようなアクションが展開されたのである。

鼻血ぶー、足がくがく、みたいな。

痛みは忘れたが、この日のことは台詞から父親・母親の表情、さらにいえば天気や晩飯のメニュー(そう、血だらけになっても喰ったんだ)まで、あらゆるディティールを記憶している。

では、その日の出来事を詳細に綴っていこうか―。

つづく。


※あぁおもしろい




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明日のコラムは・・・

『初体験 リッジモント・ハイ(23)』

コメント (1)
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