ちゃいるど・ぷれ「い」→「い」ちかわこん(市川崑)
日本一、煙草が似合う映画監督。
和田夏十(わだ・なっと)という最強の相棒を妻にした幸福者。
じつはヒッチコック並の技巧派。
自分にとって市川崑とは「そういうひと」であり、「金田一シリーズ」の印象は薄い。
肉ばっかり喰ってヘビースモーカーだったはずなのに、92歳まで生きた―そういうところなんか尊敬に値すると思うのだが、自分がアアダコウダいわなくても、市川崑って現代の若い映画小僧に人気があるのだった。
日本映画の黄金期を支えた巨匠のなかでは、たぶん黒澤・小津の次に観られている映画監督だと思う。
人気が「異常に」高いのは『黒い十人の女』(61)だが、それはよく分かる。
たぶん「ちょっとだけ」早過ぎた傑作だったのだろう、ショットや台詞がいちいち洒落ていて、古臭さをまったく感じさせないから。
自分の好きな順に5作挙げるとするならば・・・
『炎上』(58)
『おとうと』(60)
『プーサン』(53)
『病院坂の首縊りの家』(79)
『東京オリンピック』(65)
・・・と、なる。
アニメーターから出発し、文芸やコメディ、ミステリにドキュメンタリーまで。
じつに器用なひとで、誰もが認める「失敗作」なんて、『竹取物語』(87)くらいかもしれない。
かぐや姫(沢口靖子)を迎いにくるのが「米国的UFO」であったという展開は、個人的には清々しくて? 好きだったりするのだけれども。
『おとうと』の脚本は水木洋子だが、三島の『金閣寺』を映画化・・・というより参考にした『炎上』や『プーサン』、それから『黒い十人の女』も『東京オリンピック』―そう、きっちりとした脚本があったのだ―も、脚本を担当したのは夏十だった。
曰く「脚本では、とてもじゃないが妻には勝てん」
こういう関係性、すごく羨ましい。
だから市川映画を観るとき自分は、凄いなとか面白いなとか思うよりも前に、いいなぁ羨ましいなぁ、、、などと思ってしまうのだった。
自分にとって市川崑と和田夏十という作家はふたりでワンセットであり、だからなのかもしれない、夏十が「深くは」関わっていない「金田一シリーズ」を印象の薄いもの、、、と認識しているのは。
夏十は83年に亡くなり、市川は映画を撮り続けるが、同志は次々に死んでいく。
「四騎の会」メンバーの3人、小林正樹は96年に死去、木下恵介と黒澤は98年に死去。
ひとり残された市川は、4人で共同執筆したとされるシナリオ『どら平太』を映画化(2000)、
しかし我々映画小僧が想像するような活劇は展開されず、ちょっとガッカリした記憶が残っている。
もうひとつ、ユニークな側面として「積極的にセルフリメイクする」というのがある。
56年の『ビルマの竪琴』を85年に再映画化、76年の『犬神家の一族』を2006年に再映画化。
一作のみという監督は多いが、二作も手がけた映画監督は稀だから面白いな、機会さえあれば『炎上』も『おとうと』も、『東京オリンピック』さえリメイクしたかったのかもしれないな・・・などと思ったり。
キャリアの上っ面だけで判断するのは失礼のような気もするが・・・
映画を量産し、
セルフリメイクまでやってのけ、
右腕が最大の理解者であり愛するひとでもあった―というのは、そーとー幸福な人生だったんじゃないかと。
あぁ、(しつこいが)じつに羨ましい。
※この乾いた感じが、若いひとに受け入れられ易い・・・というのは、よく分かる
次回のしりとりは・・・
いちかわ「こん」→「こん」どる。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『モノリスは、ベンチだった。』
日本一、煙草が似合う映画監督。
和田夏十(わだ・なっと)という最強の相棒を妻にした幸福者。
じつはヒッチコック並の技巧派。
自分にとって市川崑とは「そういうひと」であり、「金田一シリーズ」の印象は薄い。
肉ばっかり喰ってヘビースモーカーだったはずなのに、92歳まで生きた―そういうところなんか尊敬に値すると思うのだが、自分がアアダコウダいわなくても、市川崑って現代の若い映画小僧に人気があるのだった。
日本映画の黄金期を支えた巨匠のなかでは、たぶん黒澤・小津の次に観られている映画監督だと思う。
人気が「異常に」高いのは『黒い十人の女』(61)だが、それはよく分かる。
たぶん「ちょっとだけ」早過ぎた傑作だったのだろう、ショットや台詞がいちいち洒落ていて、古臭さをまったく感じさせないから。
自分の好きな順に5作挙げるとするならば・・・
『炎上』(58)
『おとうと』(60)
『プーサン』(53)
『病院坂の首縊りの家』(79)
『東京オリンピック』(65)
・・・と、なる。
アニメーターから出発し、文芸やコメディ、ミステリにドキュメンタリーまで。
じつに器用なひとで、誰もが認める「失敗作」なんて、『竹取物語』(87)くらいかもしれない。
かぐや姫(沢口靖子)を迎いにくるのが「米国的UFO」であったという展開は、個人的には清々しくて? 好きだったりするのだけれども。
『おとうと』の脚本は水木洋子だが、三島の『金閣寺』を映画化・・・というより参考にした『炎上』や『プーサン』、それから『黒い十人の女』も『東京オリンピック』―そう、きっちりとした脚本があったのだ―も、脚本を担当したのは夏十だった。
曰く「脚本では、とてもじゃないが妻には勝てん」
こういう関係性、すごく羨ましい。
だから市川映画を観るとき自分は、凄いなとか面白いなとか思うよりも前に、いいなぁ羨ましいなぁ、、、などと思ってしまうのだった。
自分にとって市川崑と和田夏十という作家はふたりでワンセットであり、だからなのかもしれない、夏十が「深くは」関わっていない「金田一シリーズ」を印象の薄いもの、、、と認識しているのは。
夏十は83年に亡くなり、市川は映画を撮り続けるが、同志は次々に死んでいく。
「四騎の会」メンバーの3人、小林正樹は96年に死去、木下恵介と黒澤は98年に死去。
ひとり残された市川は、4人で共同執筆したとされるシナリオ『どら平太』を映画化(2000)、
しかし我々映画小僧が想像するような活劇は展開されず、ちょっとガッカリした記憶が残っている。
もうひとつ、ユニークな側面として「積極的にセルフリメイクする」というのがある。
56年の『ビルマの竪琴』を85年に再映画化、76年の『犬神家の一族』を2006年に再映画化。
一作のみという監督は多いが、二作も手がけた映画監督は稀だから面白いな、機会さえあれば『炎上』も『おとうと』も、『東京オリンピック』さえリメイクしたかったのかもしれないな・・・などと思ったり。
キャリアの上っ面だけで判断するのは失礼のような気もするが・・・
映画を量産し、
セルフリメイクまでやってのけ、
右腕が最大の理解者であり愛するひとでもあった―というのは、そーとー幸福な人生だったんじゃないかと。
あぁ、(しつこいが)じつに羨ましい。
※この乾いた感じが、若いひとに受け入れられ易い・・・というのは、よく分かる
次回のしりとりは・・・
いちかわ「こん」→「こん」どる。
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明日のコラムは・・・
『モノリスは、ベンチだった。』