「いま思い出した、クリス・クリストファーソンの曲で『The Pilgrim、chapter33』というのがあって、歌詞はこう、“あいつはヤクの売人、現実と作り話が半々の歩く矛盾”」
「俺のこと?」
「ほかに誰が居るの?」
「俺は売人じゃない」
「そうじゃないの、あなたは歩く矛盾」
映画『タクシードライバー』(76)より、トラビスとベッツィの会話・・・訳@まっき~
…………………………………………
映画小僧ゆえ、ひとに「オススメの映画は?」と問われることがモノスゴ多い。
相手のほとんどが「軽く」聞いたはずなので、こっちも「軽く」返せばいいのだろうが、
もしそのひとにとって満足のいくものでなかったとしたら、自分の価値まで下がる・・・ような気がして、だから、この問いにはひじょうに慎重な態度を取る「癖」がついている。
他者にいわせればメンドクセー! になるのだろうが、それが自尊心に直結するのだからしょうがない。
結果、以下のような会話が展開される。
「どういうのが好み?」
「とくにないけど」
「ないことはないでしょう、たとえば笑いたいとか衝撃がほしいとか」
「うーん」
「いままで観たなかで、最高の映画は?」
この答えによって、オススメの映画をセレクトしていく、、、と。
それというのも、薦めた映画に対し「観なきゃよかった」「気分が悪くなった」と返された経験があるからなのだった。
映画鑑賞にも免疫というのは「たぶん」必要で、映画を観始めたというひとに『カノン』(98)や『ゆきゆきて、神軍』(87)を薦めても好評を得る確率というのは「そーとー」低い。(経験済み。ひとりなんか、『カノン』を観た翌日に会社を早退している)
段階、段階を踏まなければね。
自分がこよなく愛する『タクシードライバー』は、そういうことを理由にして他者(とくに女子)にあまり薦めてこなかった。
こなかったのだが、あることがきっかけで、多くのひとの感想を知りたいと思うようになり、けっこうな確率で本作を推すことが多くなった。
ヴィンセント・ギャロが監督・主演を務めた映画、『バッファロー’66』(98)。
小悪党の主人公がキュートなヒロインに翻弄される奇妙なコメディだが、これを観た友人の女子が「面白かった」とかいう前に、「この主人公、可愛い。きっと童貞よね」と発して驚いたことがある。
不意をつかれたというか、これはたぶん、男の観客・・・だけでなく、生みの親のギャロもギョッとする感想なのではないか。
そうか、そういう視点があったのか。
その感想を得て再び触れてみると、確かに主人公は童貞に見える。
こりゃ面白いと思った自分は、彼女に『タクシードライバー』を薦める、、、というより、ほとんど強引に観てもらうことにした。
感想は「痛快だった」。
「なんで?」
「あなたは矛盾だといっていた女を、最後に振ってみせるから」
「なるほど」
それまで自分は、『タクシードライバー』を男の映画だと思っていた。
もちろん女子でも理解を示してくれるひとは居るだろうが、支持者の多くは10~30代の男子であろうと。
なぜならこの映画は、若きスコセッシとデ・ニーロ、ポール・シュレイダーが宿す「怒り」が原動力になって創られたものだから。
いや待てよ、彼女が特別なだけであって、ほかの女子は拒否反応を示すかもしれない。
というわけで、会う女子、会う女子にこの映画を薦めてみた。
これは文字どおりで、コギャルにも企画AV女優にもキャバクラ嬢にも美大生にもパティシエにもフリーターにも、、、という意味である。
その結果、トラビスを拒否するものはひとりも居なかった。
人種差別者でもあり、自分は狂人なのに周りだけが狂人だと思っていて、彼女との初デートでポルノを選ぶような彼を。大統領候補を本気で殺そうとした彼を、、、である。
「トラビスのEQは決して高くないけれど、隣人みたいな気もする。70年代のニューヨークは、いまの日本みたいだよね」といった聡明? な子(自称・詩人)も居て、これは女子を甘く見ていたよねと。だからモテないのかもねと。(EQとは「こころの知能指数」のこと)
こういった感想に触れて、「新しいとはいえない」映画が、どうして古びないのかちょっとだけ分かったような気がした。
トラビスは、生きているんだ。
ナマモノで、息をしているんだ。
このように解釈出来る映画のキャラクターって、彼以外には、居ない。
※意外と知らないひとが未だ多いので、改めて解説。
後部座席でひとり興奮している男こそ、スコセッシそのひとである。
スコセッシは「あのプッシーに、44マグナムを撃ち込んでやる」と吠えている。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(20)』
「俺のこと?」
「ほかに誰が居るの?」
「俺は売人じゃない」
「そうじゃないの、あなたは歩く矛盾」
映画『タクシードライバー』(76)より、トラビスとベッツィの会話・・・訳@まっき~
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映画小僧ゆえ、ひとに「オススメの映画は?」と問われることがモノスゴ多い。
相手のほとんどが「軽く」聞いたはずなので、こっちも「軽く」返せばいいのだろうが、
もしそのひとにとって満足のいくものでなかったとしたら、自分の価値まで下がる・・・ような気がして、だから、この問いにはひじょうに慎重な態度を取る「癖」がついている。
他者にいわせればメンドクセー! になるのだろうが、それが自尊心に直結するのだからしょうがない。
結果、以下のような会話が展開される。
「どういうのが好み?」
「とくにないけど」
「ないことはないでしょう、たとえば笑いたいとか衝撃がほしいとか」
「うーん」
「いままで観たなかで、最高の映画は?」
この答えによって、オススメの映画をセレクトしていく、、、と。
それというのも、薦めた映画に対し「観なきゃよかった」「気分が悪くなった」と返された経験があるからなのだった。
映画鑑賞にも免疫というのは「たぶん」必要で、映画を観始めたというひとに『カノン』(98)や『ゆきゆきて、神軍』(87)を薦めても好評を得る確率というのは「そーとー」低い。(経験済み。ひとりなんか、『カノン』を観た翌日に会社を早退している)
段階、段階を踏まなければね。
自分がこよなく愛する『タクシードライバー』は、そういうことを理由にして他者(とくに女子)にあまり薦めてこなかった。
こなかったのだが、あることがきっかけで、多くのひとの感想を知りたいと思うようになり、けっこうな確率で本作を推すことが多くなった。
ヴィンセント・ギャロが監督・主演を務めた映画、『バッファロー’66』(98)。
小悪党の主人公がキュートなヒロインに翻弄される奇妙なコメディだが、これを観た友人の女子が「面白かった」とかいう前に、「この主人公、可愛い。きっと童貞よね」と発して驚いたことがある。
不意をつかれたというか、これはたぶん、男の観客・・・だけでなく、生みの親のギャロもギョッとする感想なのではないか。
そうか、そういう視点があったのか。
その感想を得て再び触れてみると、確かに主人公は童貞に見える。
こりゃ面白いと思った自分は、彼女に『タクシードライバー』を薦める、、、というより、ほとんど強引に観てもらうことにした。
感想は「痛快だった」。
「なんで?」
「あなたは矛盾だといっていた女を、最後に振ってみせるから」
「なるほど」
それまで自分は、『タクシードライバー』を男の映画だと思っていた。
もちろん女子でも理解を示してくれるひとは居るだろうが、支持者の多くは10~30代の男子であろうと。
なぜならこの映画は、若きスコセッシとデ・ニーロ、ポール・シュレイダーが宿す「怒り」が原動力になって創られたものだから。
いや待てよ、彼女が特別なだけであって、ほかの女子は拒否反応を示すかもしれない。
というわけで、会う女子、会う女子にこの映画を薦めてみた。
これは文字どおりで、コギャルにも企画AV女優にもキャバクラ嬢にも美大生にもパティシエにもフリーターにも、、、という意味である。
その結果、トラビスを拒否するものはひとりも居なかった。
人種差別者でもあり、自分は狂人なのに周りだけが狂人だと思っていて、彼女との初デートでポルノを選ぶような彼を。大統領候補を本気で殺そうとした彼を、、、である。
「トラビスのEQは決して高くないけれど、隣人みたいな気もする。70年代のニューヨークは、いまの日本みたいだよね」といった聡明? な子(自称・詩人)も居て、これは女子を甘く見ていたよねと。だからモテないのかもねと。(EQとは「こころの知能指数」のこと)
こういった感想に触れて、「新しいとはいえない」映画が、どうして古びないのかちょっとだけ分かったような気がした。
トラビスは、生きているんだ。
ナマモノで、息をしているんだ。
このように解釈出来る映画のキャラクターって、彼以外には、居ない。
※意外と知らないひとが未だ多いので、改めて解説。
後部座席でひとり興奮している男こそ、スコセッシそのひとである。
スコセッシは「あのプッシーに、44マグナムを撃ち込んでやる」と吠えている。
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『初体験 リッジモント・ハイ(20)』