にんげんのじょう「けん」→「けん」・らっせる(ケン・ラッセル)
よくいえば「きらびやか」、わるくいえば「どぎつい」。
独特の美意識を貫いた英国出身の鬼才は、去年の11月に鬼籍に入っている。
享年84歳、ケン・ラッセルを強引に日本の映画作家にたとえると、ひょっとしたら蜷川実花(=『ヘルタースケルター』『ヘビーローテーション』)が最も相応しいのかもしれない。
このひとの作風も、原色万歳! ケバケバ・キラキラ大好き!! ゴーゴーアバンギャルド!!! だから。
ラッセルの映画で最も有名なのは、数々のミュージシャンが出演したことでも知られる異色のミュージカル『トミー』(75)。
元々はバンドのザ・フーがロックオペラとして発表した「戯曲、のようなもの」で、それをラッセルが映像化した。
ティナ・ターナーやエリック・クラプトン、エルトン・ジョンまで出演しており、彼ら彼女ら目当てで観たという日本の洋楽ファンも多かったのではないか。
この映画で有名になるまでのラッセルのキャリアが、なかなかにユニークで面白い。
(1)航海士になるも、「つまらん」といって軍隊に。
(2)除隊後、バレエの世界に興味を抱くが「才能なし」の評価を受け挫折。
(3)俳優を志すも、自身の可能性を信じられず諦める。
(4)「なんとなく」始めた写真の世界で才能が認められ、テレビ業界へ。
やがて映画界に進出し、デビューしてすぐに『恋する女たち』(69)でオスカー監督賞にノミネートされる。
D・H・ロレンスの同名小説を映像化した本作、物語も語り口も正攻法で、後年のラッセル映画を知るものにとっては物足りなく感じるかもしれない。
映像美はさすがなのだが、つまり、変わったキャリアではあるけれど、デビュー時から「ケバケバ、イケイケ!!」ではなかった、、、ということ。
明らかな変化が訪れたのは、70年代から。
71年―ラディゲの同名小説とはまったく無関係な『肉体の悪魔』を発表。
宣伝文句はずばり、「セックスの匂いがむんむんする。血と欲情と衝撃の巨篇!」。
作曲家マーラーの「かなり独創的な」伝記映画『マーラー』(74)、前述した『トミー』、ルドルフ・ヴァレンチノの伝記映画『バレンチノ』(77)などなど、
興行や批評はともかく、ゴーゴーアバンギャルド!!! な道を極め始めていく。
映像の迫力で細部の「あれ?」をうやむやにしてしまうSF『アルタード・ステーツ』(79)、
ファッションデザイナーが夜は娼婦になる・・・という、当時としてはショッキングだったであろう『クライム・オブ・パッション』(84)、
オスカー・ワイルドの小説を我流に映像化した『サロメ』(87)―このころに自分はケン・ラッセルという名を知り、えらく悪趣味なひとだなぁと驚いたのだった。
淀川長治が病的に愛したピーター・グリーナウェイも英国のひとで、
グリーナウェイのルーツって、ひょっとするとラッセルにあるのかもしれない・・・などと思うことがある。
映像そのものは似ていないが、悪趣味すれすれの世界を描き、それを「美しいもの」として提示するところが似ているのではないか。
ラッセルの、映画監督としての遺作は『チャタレイ夫人の恋人』(95)。
新聞の訃報があまりにも小さくて、なぜかムッとしたことを覚えている。
※『トミー』より、E・クラプトンのパフォーマンスを
明日のしりとりは・・・
けん・らっせ「る」→「る」いーず・ふれっちゃー。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(18)』
よくいえば「きらびやか」、わるくいえば「どぎつい」。
独特の美意識を貫いた英国出身の鬼才は、去年の11月に鬼籍に入っている。
享年84歳、ケン・ラッセルを強引に日本の映画作家にたとえると、ひょっとしたら蜷川実花(=『ヘルタースケルター』『ヘビーローテーション』)が最も相応しいのかもしれない。
このひとの作風も、原色万歳! ケバケバ・キラキラ大好き!! ゴーゴーアバンギャルド!!! だから。
ラッセルの映画で最も有名なのは、数々のミュージシャンが出演したことでも知られる異色のミュージカル『トミー』(75)。
元々はバンドのザ・フーがロックオペラとして発表した「戯曲、のようなもの」で、それをラッセルが映像化した。
ティナ・ターナーやエリック・クラプトン、エルトン・ジョンまで出演しており、彼ら彼女ら目当てで観たという日本の洋楽ファンも多かったのではないか。
この映画で有名になるまでのラッセルのキャリアが、なかなかにユニークで面白い。
(1)航海士になるも、「つまらん」といって軍隊に。
(2)除隊後、バレエの世界に興味を抱くが「才能なし」の評価を受け挫折。
(3)俳優を志すも、自身の可能性を信じられず諦める。
(4)「なんとなく」始めた写真の世界で才能が認められ、テレビ業界へ。
やがて映画界に進出し、デビューしてすぐに『恋する女たち』(69)でオスカー監督賞にノミネートされる。
D・H・ロレンスの同名小説を映像化した本作、物語も語り口も正攻法で、後年のラッセル映画を知るものにとっては物足りなく感じるかもしれない。
映像美はさすがなのだが、つまり、変わったキャリアではあるけれど、デビュー時から「ケバケバ、イケイケ!!」ではなかった、、、ということ。
明らかな変化が訪れたのは、70年代から。
71年―ラディゲの同名小説とはまったく無関係な『肉体の悪魔』を発表。
宣伝文句はずばり、「セックスの匂いがむんむんする。血と欲情と衝撃の巨篇!」。
作曲家マーラーの「かなり独創的な」伝記映画『マーラー』(74)、前述した『トミー』、ルドルフ・ヴァレンチノの伝記映画『バレンチノ』(77)などなど、
興行や批評はともかく、ゴーゴーアバンギャルド!!! な道を極め始めていく。
映像の迫力で細部の「あれ?」をうやむやにしてしまうSF『アルタード・ステーツ』(79)、
ファッションデザイナーが夜は娼婦になる・・・という、当時としてはショッキングだったであろう『クライム・オブ・パッション』(84)、
オスカー・ワイルドの小説を我流に映像化した『サロメ』(87)―このころに自分はケン・ラッセルという名を知り、えらく悪趣味なひとだなぁと驚いたのだった。
淀川長治が病的に愛したピーター・グリーナウェイも英国のひとで、
グリーナウェイのルーツって、ひょっとするとラッセルにあるのかもしれない・・・などと思うことがある。
映像そのものは似ていないが、悪趣味すれすれの世界を描き、それを「美しいもの」として提示するところが似ているのではないか。
ラッセルの、映画監督としての遺作は『チャタレイ夫人の恋人』(95)。
新聞の訃報があまりにも小さくて、なぜかムッとしたことを覚えている。
※『トミー』より、E・クラプトンのパフォーマンスを
明日のしりとりは・・・
けん・らっせ「る」→「る」いーず・ふれっちゃー。
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