30年9月6日生まれ・96年8月27日死去、享年65歳。
東京出身。
昭和の「仮面ライダー」には「そこそこ強い」という自信はあっても、「平成ライダー」を語るほどの知識は持ち合わせていません。
ただ『仮面ライダーアギト』(2001)に好きだったグラビアの秋山莉奈が出演している関係で、
まったく知らないというわけではないのですが。
そんな自分でも、「仮面ライダーなでしこ」のフォルムの格好良さには驚いたというか痺れました。
というわけで。
ウルトラマンと仮面ライダー、どっち好き? と困る質問を投げかけられたら、迷いつつも後者と答えます。
ですから、その両方に顔を出していた小林昭二(こばやし・あきじ)さんも、自分にとっては「ライダーのおやっさん」という印象が強いです。
少し前の『マツコ有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の新三大○○で『仮面ライダーのムチャな特訓』が取り上げられ、焦点が当てられたのは主人公というより、その主人公を最強にしようとするキャラクター、立花藤兵衛でした。
この藤兵衛を演じていたのが、昭二さんです。
その特訓というのが鉄球をぶつけるだとか単なるリンチにしか見えないものだとか、また、敵キャラクターをも特訓してしまうだとか、そういうのを笑う内容でしたが、ほんとう面白かったです。
※なんかほのぼのする名曲
また、一時期はジョン・ウェインの「専属」吹き替え声優みたいなポジションにあり、数々の名作吹き替え版で活躍、ただ個人的には、『ランボー』シリーズ(82~88)におけるトラウトマン大佐の吹き替えのほうが馴染みがありますね。
<経歴>
日本大学藝術学部映画学科を中退し、劇団俳優座養成所に入所。
映画俳優デビュー作は、52年の『殺人容疑者』。
特撮モノのイメージが強くなるのは60年代後半からで、それまでは主役を演じることはないものの、
小林正樹の大傑作『切腹』(62)、日活映画で最も人気のある作品かもしれない『キューポラのある街』(62)、オオシマの野心作『悦楽』(65)など、黄金期の名作に出演しキャリアを築いていく。
66年―『ウルトラマン』(TBS)に、ムラマツ隊長(=キャップ)としてレギュラー出演を果たす。
この好演が受け手というより創り手のあいだで評判を呼び、特撮世界の「横のつながり」により、『仮面ライダー』(71、TBS)のオファーを受けることになるのです。
以降、『ストロンガー』(75)までライダーの協力者であり続け、このシリーズを引退しても「藤兵衛」の印象は鮮烈だった・・・からでしょう、後年、とんねるずによるバラエティ企画『仮面ノリダー』で再び「おやっさん」を演じたのでした。
『仮面ライダー』映画版の、主な出演作は・・・
『ゴーゴー仮面ライダー』(71)
『仮面ライダー対ショッカー』(72)
『仮面ライダー対じごく大使』(72)
『仮面ライダーV3』(73)
『仮面ライダーV3対デストロン怪人』(73)
『仮面ライダーアマゾン』(75)
『仮面ライダーストロンガー』(75)
・・・などなど。
それ以外の出演作を挙げていきましょう。
ATGによる『無常』(70)や『曼陀羅』(71)、大作『華麗なる一族』(74)、
それから市川崑に気に入られ、『犬神家の一族』(76)、『悪魔の手毬唄』(77)、『獄門島』(77)、『女王蜂』(78)、『病院坂の首縊りの家』(79)と「横溝正史」作品に連続出演。
『日蓮』(79)、『真田幸村の策略』(79)、『古都』(80)、『疑惑』(82)、『刑事物語』(82)、『細雪』(83)。
特撮と横溝系の印象が強いので、文芸への出演がこんなに多かったのか・・・と、新鮮な驚きを覚えます。
『黒い雨』(89)や『社葬』(89)、『天河伝説殺人事件』(91)、
しかし特撮への愛は失わず、オファーさえあれば『ゴジラVSキングギドラ』(91)、『ゴジラVSモスラ』(92)、『ウルトラマンゼアス』(96)、『ガメラ2 レギオン襲来』(96)などにも出演、
いっぽうで北野武がビートたけしとして撮った、褒めようにもどうしていいのか分からない珍作『みんな~やってるか!』(95)ではセルフパロディのような役柄(地球防衛軍隊長)を演じたり、なかなかに柔軟なキャリア作りです。
96年8月27日、肺癌のため死去。
享年65歳、遺作は「やっぱり」横溝系の『八つ墓村』(96)。
日本で『ロッキー』(76)のリメイクを撮るとしたら、トレーナーのミッキー役でしょうね、絶対。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(171)小林旭』
東京出身。
昭和の「仮面ライダー」には「そこそこ強い」という自信はあっても、「平成ライダー」を語るほどの知識は持ち合わせていません。
ただ『仮面ライダーアギト』(2001)に好きだったグラビアの秋山莉奈が出演している関係で、
まったく知らないというわけではないのですが。
そんな自分でも、「仮面ライダーなでしこ」のフォルムの格好良さには驚いたというか痺れました。
というわけで。
ウルトラマンと仮面ライダー、どっち好き? と困る質問を投げかけられたら、迷いつつも後者と答えます。
ですから、その両方に顔を出していた小林昭二(こばやし・あきじ)さんも、自分にとっては「ライダーのおやっさん」という印象が強いです。
少し前の『マツコ有吉の怒り新党』(テレビ朝日)の新三大○○で『仮面ライダーのムチャな特訓』が取り上げられ、焦点が当てられたのは主人公というより、その主人公を最強にしようとするキャラクター、立花藤兵衛でした。
この藤兵衛を演じていたのが、昭二さんです。
その特訓というのが鉄球をぶつけるだとか単なるリンチにしか見えないものだとか、また、敵キャラクターをも特訓してしまうだとか、そういうのを笑う内容でしたが、ほんとう面白かったです。
※なんかほのぼのする名曲
また、一時期はジョン・ウェインの「専属」吹き替え声優みたいなポジションにあり、数々の名作吹き替え版で活躍、ただ個人的には、『ランボー』シリーズ(82~88)におけるトラウトマン大佐の吹き替えのほうが馴染みがありますね。
<経歴>
日本大学藝術学部映画学科を中退し、劇団俳優座養成所に入所。
映画俳優デビュー作は、52年の『殺人容疑者』。
特撮モノのイメージが強くなるのは60年代後半からで、それまでは主役を演じることはないものの、
小林正樹の大傑作『切腹』(62)、日活映画で最も人気のある作品かもしれない『キューポラのある街』(62)、オオシマの野心作『悦楽』(65)など、黄金期の名作に出演しキャリアを築いていく。
66年―『ウルトラマン』(TBS)に、ムラマツ隊長(=キャップ)としてレギュラー出演を果たす。
この好演が受け手というより創り手のあいだで評判を呼び、特撮世界の「横のつながり」により、『仮面ライダー』(71、TBS)のオファーを受けることになるのです。
以降、『ストロンガー』(75)までライダーの協力者であり続け、このシリーズを引退しても「藤兵衛」の印象は鮮烈だった・・・からでしょう、後年、とんねるずによるバラエティ企画『仮面ノリダー』で再び「おやっさん」を演じたのでした。
『仮面ライダー』映画版の、主な出演作は・・・
『ゴーゴー仮面ライダー』(71)
『仮面ライダー対ショッカー』(72)
『仮面ライダー対じごく大使』(72)
『仮面ライダーV3』(73)
『仮面ライダーV3対デストロン怪人』(73)
『仮面ライダーアマゾン』(75)
『仮面ライダーストロンガー』(75)
・・・などなど。
それ以外の出演作を挙げていきましょう。
ATGによる『無常』(70)や『曼陀羅』(71)、大作『華麗なる一族』(74)、
それから市川崑に気に入られ、『犬神家の一族』(76)、『悪魔の手毬唄』(77)、『獄門島』(77)、『女王蜂』(78)、『病院坂の首縊りの家』(79)と「横溝正史」作品に連続出演。
『日蓮』(79)、『真田幸村の策略』(79)、『古都』(80)、『疑惑』(82)、『刑事物語』(82)、『細雪』(83)。
特撮と横溝系の印象が強いので、文芸への出演がこんなに多かったのか・・・と、新鮮な驚きを覚えます。
『黒い雨』(89)や『社葬』(89)、『天河伝説殺人事件』(91)、
しかし特撮への愛は失わず、オファーさえあれば『ゴジラVSキングギドラ』(91)、『ゴジラVSモスラ』(92)、『ウルトラマンゼアス』(96)、『ガメラ2 レギオン襲来』(96)などにも出演、
いっぽうで北野武がビートたけしとして撮った、褒めようにもどうしていいのか分からない珍作『みんな~やってるか!』(95)ではセルフパロディのような役柄(地球防衛軍隊長)を演じたり、なかなかに柔軟なキャリア作りです。
96年8月27日、肺癌のため死去。
享年65歳、遺作は「やっぱり」横溝系の『八つ墓村』(96)。
日本で『ロッキー』(76)のリメイクを撮るとしたら、トレーナーのミッキー役でしょうね、絶対。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(171)小林旭』