Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(18)

2012-10-14 00:15:00 | コラム
けん・らっせ「る」→「る」いーず・ふれっちゃー(ルイーズ・フレッチャー)

「―映画のなかでは、私のことが憎かったでしょう。でも、そのおかげで賞がもらえた。私は皆さんに憎まれて、とてもうれしい」

このスピーチが「事前に用意されたもの」でなかったとしたら、女優ルイーズ・フレッチャーはタダモノではないと思う。
「用意されたもの」だとしても、拍手もののスピーチなのに。

映画そのものを観るだけでなく、映画賞・映画祭に触れるのも好きな自分、これまで数多くのスピーチを耳にして/目にしてきたが、そのなかで最も印象的かつ感動的だったものを挙げるとするならば、
上に挙げたルイーズ・フレッチャーによるもの、、、となる。

その他の候補としては・・・

「日本人の小さなおんなのこである私が、こうしてオスカーをもらうなんて。お母さん、アメリカ行きを許してくれてありがとう!」(短編ドキュメンタリー賞受賞、伊比恵子)

「自分に感謝」(カンヌで監督賞を受賞したアキ・カウリスマキ)

「演技とは芸術、だから競い合うものではない。ジーン・ハックマンやロバート・デュバルが負けたんじゃないんだ」(ダスティン・ホフマン)

「息子には感謝している。しかし、私が居なければ彼は存在しないんだ」(オスカー作曲賞受賞、カーマイン・コッポラ)

「昔のエージェントにも礼をいわなければなるまい。彼はご丁寧にも、僕に俳優は向いていないと忠告してくれたんだからな」(ジャック・ニコルソン)

・・・あたり、だろうか。
我流の翻訳なので、ニュアンスはちがっているかもしれないが。


さて。
ルイーズ・フレッチャーが主演賞を勝ち取った作品は、傑作『カッコーの巣の上で』(75)だった。
ここに出てくる鬼看護婦長は、フレッチャーがいうように、ほんとうに憎たらしい。主人公マクマーフィの「真っ当な」主張を否定・拒否し続ける。
それが精神病院の秩序を守ることにつながるわけで、彼女は自分が誤ったおこないをしているとは微塵も思っていない。その揺るぎない姿勢を、フレッチャーはじつに見事に表現していた。

フレッチャーの映画デビュー作は74年の『ボウイ&キーチ』で、二作目にしてオスカー女優に輝いた。
それがかえって女優としてのキャリア構築の邪魔になった・・・ということはないだろうが、
『エクソシスト2』(77)や『炎の少女チャーリー』(84)、『トゥー・ムーン』(88)、『ブルースチール』(90)、『クルーエル・インテンションズ』(99)などに出演するも、どういうわけか印象に残らない。

オスカーは取っていないが、『エクソシスト』(73)のリンダ・ブレアと似ているかもしれない。
ファースト・インパクトが強烈に過ぎた、、、ということ。

ほとんどガンジーに見えるベン・キングスレーのような、「それ」以後も成功する俳優のほうが稀―というのは、ある意味で真実なのだろう。


ただ本人はどうあれ、「あの映画の、あの演技は凄かった」と、映画小僧たちのあいだで「神」扱いされるって、ある意味では役者冥利につきるのではないか・・・とも思ったり。

だってだって、
70年代に生まれ80~90年代に青春を過ごした自分みたいな映画小僧数人が呑み会を開き、
「あの映画の、あの演技は凄かった」を挙げよう―というテーマで語ると・・・

『ディア・ハンター』(78)のクリストファー・ウォーケン、
『タクシードライバー』(76)のデ・ニーロとジョディ、
『地獄の黙示録』(79)のロバート・デュバル、
『ポゼッション』(81)のイザベル・アジャーニ、
『コミック雑誌なんかいらない!』(86)のビートたけし、

そしてフレッチャーは、誰かが必ず挙げるのだもの!!


※スピーチを、ノーカットで。最後のほうの手話は、聾唖の両親に向けてのものである。
プレゼンターがチャールズ・ブロンソンというのが、時代だぜ。





次回のしりとりは・・・
るいーず・ふれっ「ちゃ」ー→「ちゃ」いるど・ぷれい。

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明日のコラムは・・・

『polygraph』

コメント (1)
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