きのうのテーマの後半として、
【映画小僧が選出する、20代男子に贈る映画】を。
ただ並べるだけ、短いコメントだけでは物足りないだろう? から、
自分は何歳ごろに触れたのか、当時はどう思ったか・・・など、映画鑑賞の記録帳で確認しながら記してみたい。
『灰とダイヤモンド』(58…トップ画像)
社会派に目覚めた16歳の夏に観て、絶望感を抱きつつ、映像のインパクト―キリスト像や、ラストシーン―について考えた。
ひたすら、延々と延々と、母国ポーランドを見つめるアンジェイ・ワイダの映画には教えられることが多い。
とはいえ、これを20代の彼に薦めたのは「そうした映画論」とは無関係で、理由はただひとつ、物語があまりにも鮮烈だから。
『カリートの道』(93)
21歳のころ、アルバイトしていた映画館で観て切なさに包まれる。
地下鉄やエスカレーターを使った逃走劇は、スリリングというより、ちょっと笑ってしまう展開であったりするのだが、にも関わらず「頑張れ! あともう少しで自由だ!!」と応援してしまう。
だからこそ、最後が切なくて切なくて。あそこでジョー・コッカーを持ってくるセンスも、巧いというか、もう、ずるい感じがする。
パチーノ主演の映画には男子が観るべき傑作―73年の『セルピコ』、75年の『狼たちの午後』、83年の『スカーフェイス』、97年の『フェイク』―が多いが、敢えてこの映画を。
ショーン・ペンの演技も「振り切っている」感があるしね。
『酔いどれ天使』(48)
黒澤漬けになった17歳の秋に観る。
もちろんビデオ鑑賞であったが、それから6年経った23歳の夏に名画座で初スクリーン鑑賞。
ひとり自宅で観る映画と、他者と同空間で体感する映画はちがう。
内容は当然同じなのに、ときとして「まったく、べつのもの」と感じてしまうのだから不思議。
ひとりで観たときは、この映画の格好よさとヒューマニズムにしびれたが、
名画座で観たとき、志村喬の「ふん!」、挿入歌の『ジャングル・ブギ』、「ぜんぜん音と映像があっていない」ギター演奏シーンなどで笑いが起き、自分もそれにつられて爆笑したのだった。
『カノン』(98)
26歳の初秋、劇場公開初日に観た。
場所はシネマライズ渋谷、監督のギャスパー・ノエ舞台挨拶つき。
きのう取り上げた『奇跡の海』(96)は自分が最も泣いた映画だが、2番目に泣いた映画がこれ。
あまりにも感銘を受けたものだから、劇場周辺で監督を「出待ち」。
出てきた監督に対し、フランス人だというのに「エクセレント! マスターピース!!」と激賞する。
監督は笑顔で「サンキュ、サンキュ」って。
いい思い出である。
しかしこれを薦めるのは、じつはちょっと気が引ける。
自身を「ちんぽ」と表現するダメダメなオヤジの開き直りの物語は、ひとによっては映画を嫌いになってしまう可能性もあるから。
映画を学ぶ学生は、ゼッタイに観るべきだけれど。
『トト・ザ・ヒーロー』(91)
18歳の冬、ミニシアターで鑑賞。
ロードショーが終了して数ヵ月後の(支配人の趣味による)特集上映だったためか、客は自分を含めて3人だった。
だったが、味わったことのない幸福感に包まれた。
あぁ映画を観た! 生きるっていいな!! これだから映画はやめられない!!! って。
『カノン』で傷ついたこころ(?)を癒すため、この順番で観ることを薦めたい。
『KT』(2002)
28歳の真夏に鑑賞、阪本順治の最高傑作が生まれたと歓喜する。
負け続けるものが最後の最後で勝者になったり、勝ち続けたものが転落していったり、いろんな物語があるが、この物語は最初から最後まで「負け犬」を主人公にしているというのがいい。
「口を出すな! お前らに、何が分かる!?」
金大中を運ぶ船をヘリで追う米国軍、その巨大で強大な力に対して銃を向ける男の叫びに、暗い感動を覚えた。
『ハートブルー』(91)
17歳の春にビデオで鑑賞する。
いまやオスカー監督となったキャスリーン・ビグローのフレッシュな演出によって、「その他多くの」刑事映画とは感触が「ずいぶん」ちがう快作に仕上がっている。
歴代大統領のマスクをかぶって強盗をする―というビジュアル面でのインパクトも二重丸。
追うものが追われるものに対し、抗い難い魅力を覚えてしまう・・・という筋そのものは新しいものではないが、サーフィンやスキューバダイビングなど、映像の刺激性を最優先にした構成が冴えているので、なんとなく大根に見えてしまうキアヌの演技も「あんまり」気にならないのだった。
『ミラーズ・クロッシング』(90)
17歳の冬にビデオで鑑賞する。
ギャング物としては映像も音楽も洗練され過ぎていて、さらにいえば「血なまぐささ」さえ弱かったりするのだが、コーエン兄弟の興味はそこにはなく、舞い続ける帽子のような生きかたをする主人公と「その周辺」を見つめて、じつに味わい深いおとなのドラマに仕上げている。
ところでコーエン兄弟作品の音楽を担当しているカーター・ヴァーウェルは、
ティム・バートン×ダニー・エルフマン同様、もっと評価されていい映画音楽家だと思う。
『レイジング・ブル』(80)
15歳の夏、『タクシードライバー』(76)を観た翌日にビデオで鑑賞、その晩はうなされて一睡も出来なかった。(実話)
それを理由にして、翌日の学校をズル休みした。(実話)
もういちど『タクシードライバー』『レイジング・ブル』を連続して観たくなり、その翌日も学校を休んだ。(実話)
しかし『タクシードライバー』とちがって、こっちは権利関係がなかなかクリア出来ず、リバイバル公開されることがない。
なんということだ!!
実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの半生をスコセッシ×ポール・シュレイダー×デ・ニーロの黄金トリオで描く。
この映画で文句があるとしたら、10代からジジイまでを演じたデ・ニーロの「10代演技」に、やや・・・というか、かなりの無理がある、、、ということくらいか。
『ゾディアック』(2006)
最後に意外と思われるチョイスを。
でもこれ、かなーり好きな映画で、さらにいえば、こういう物語に触れるのは、若ければ若いほどいい―そんな風に思う。
30歳の秋、特別試写で観る。
『セブン』(95)を期待した向きには不評だったのかもしれないが、デヴィッド・フィンチャーの器用さにうれしい驚きを覚えた会心作。
実際に起こった「ゾディアック事件」に取り憑かれ、翻弄される男たちを描く。
狂気の沙汰といえばそうかもしれないが、ある意味では、なにかを極めようとするものの「理想形」なのではないか・・・そう解釈することも出来るので、敢えて本作を挙げてみた。
※『ジャングル・ブギ』、『酔いどれ天使』より
歌が始まる前に出てくる情婦は、木暮実千代
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『顔と、声』
【映画小僧が選出する、20代男子に贈る映画】を。
ただ並べるだけ、短いコメントだけでは物足りないだろう? から、
自分は何歳ごろに触れたのか、当時はどう思ったか・・・など、映画鑑賞の記録帳で確認しながら記してみたい。
『灰とダイヤモンド』(58…トップ画像)
社会派に目覚めた16歳の夏に観て、絶望感を抱きつつ、映像のインパクト―キリスト像や、ラストシーン―について考えた。
ひたすら、延々と延々と、母国ポーランドを見つめるアンジェイ・ワイダの映画には教えられることが多い。
とはいえ、これを20代の彼に薦めたのは「そうした映画論」とは無関係で、理由はただひとつ、物語があまりにも鮮烈だから。
『カリートの道』(93)
21歳のころ、アルバイトしていた映画館で観て切なさに包まれる。
地下鉄やエスカレーターを使った逃走劇は、スリリングというより、ちょっと笑ってしまう展開であったりするのだが、にも関わらず「頑張れ! あともう少しで自由だ!!」と応援してしまう。
だからこそ、最後が切なくて切なくて。あそこでジョー・コッカーを持ってくるセンスも、巧いというか、もう、ずるい感じがする。
パチーノ主演の映画には男子が観るべき傑作―73年の『セルピコ』、75年の『狼たちの午後』、83年の『スカーフェイス』、97年の『フェイク』―が多いが、敢えてこの映画を。
ショーン・ペンの演技も「振り切っている」感があるしね。
『酔いどれ天使』(48)
黒澤漬けになった17歳の秋に観る。
もちろんビデオ鑑賞であったが、それから6年経った23歳の夏に名画座で初スクリーン鑑賞。
ひとり自宅で観る映画と、他者と同空間で体感する映画はちがう。
内容は当然同じなのに、ときとして「まったく、べつのもの」と感じてしまうのだから不思議。
ひとりで観たときは、この映画の格好よさとヒューマニズムにしびれたが、
名画座で観たとき、志村喬の「ふん!」、挿入歌の『ジャングル・ブギ』、「ぜんぜん音と映像があっていない」ギター演奏シーンなどで笑いが起き、自分もそれにつられて爆笑したのだった。
『カノン』(98)
26歳の初秋、劇場公開初日に観た。
場所はシネマライズ渋谷、監督のギャスパー・ノエ舞台挨拶つき。
きのう取り上げた『奇跡の海』(96)は自分が最も泣いた映画だが、2番目に泣いた映画がこれ。
あまりにも感銘を受けたものだから、劇場周辺で監督を「出待ち」。
出てきた監督に対し、フランス人だというのに「エクセレント! マスターピース!!」と激賞する。
監督は笑顔で「サンキュ、サンキュ」って。
いい思い出である。
しかしこれを薦めるのは、じつはちょっと気が引ける。
自身を「ちんぽ」と表現するダメダメなオヤジの開き直りの物語は、ひとによっては映画を嫌いになってしまう可能性もあるから。
映画を学ぶ学生は、ゼッタイに観るべきだけれど。
『トト・ザ・ヒーロー』(91)
18歳の冬、ミニシアターで鑑賞。
ロードショーが終了して数ヵ月後の(支配人の趣味による)特集上映だったためか、客は自分を含めて3人だった。
だったが、味わったことのない幸福感に包まれた。
あぁ映画を観た! 生きるっていいな!! これだから映画はやめられない!!! って。
『カノン』で傷ついたこころ(?)を癒すため、この順番で観ることを薦めたい。
『KT』(2002)
28歳の真夏に鑑賞、阪本順治の最高傑作が生まれたと歓喜する。
負け続けるものが最後の最後で勝者になったり、勝ち続けたものが転落していったり、いろんな物語があるが、この物語は最初から最後まで「負け犬」を主人公にしているというのがいい。
「口を出すな! お前らに、何が分かる!?」
金大中を運ぶ船をヘリで追う米国軍、その巨大で強大な力に対して銃を向ける男の叫びに、暗い感動を覚えた。
『ハートブルー』(91)
17歳の春にビデオで鑑賞する。
いまやオスカー監督となったキャスリーン・ビグローのフレッシュな演出によって、「その他多くの」刑事映画とは感触が「ずいぶん」ちがう快作に仕上がっている。
歴代大統領のマスクをかぶって強盗をする―というビジュアル面でのインパクトも二重丸。
追うものが追われるものに対し、抗い難い魅力を覚えてしまう・・・という筋そのものは新しいものではないが、サーフィンやスキューバダイビングなど、映像の刺激性を最優先にした構成が冴えているので、なんとなく大根に見えてしまうキアヌの演技も「あんまり」気にならないのだった。
『ミラーズ・クロッシング』(90)
17歳の冬にビデオで鑑賞する。
ギャング物としては映像も音楽も洗練され過ぎていて、さらにいえば「血なまぐささ」さえ弱かったりするのだが、コーエン兄弟の興味はそこにはなく、舞い続ける帽子のような生きかたをする主人公と「その周辺」を見つめて、じつに味わい深いおとなのドラマに仕上げている。
ところでコーエン兄弟作品の音楽を担当しているカーター・ヴァーウェルは、
ティム・バートン×ダニー・エルフマン同様、もっと評価されていい映画音楽家だと思う。
『レイジング・ブル』(80)
15歳の夏、『タクシードライバー』(76)を観た翌日にビデオで鑑賞、その晩はうなされて一睡も出来なかった。(実話)
それを理由にして、翌日の学校をズル休みした。(実話)
もういちど『タクシードライバー』『レイジング・ブル』を連続して観たくなり、その翌日も学校を休んだ。(実話)
しかし『タクシードライバー』とちがって、こっちは権利関係がなかなかクリア出来ず、リバイバル公開されることがない。
なんということだ!!
実在のボクサー、ジェイク・ラモッタの半生をスコセッシ×ポール・シュレイダー×デ・ニーロの黄金トリオで描く。
この映画で文句があるとしたら、10代からジジイまでを演じたデ・ニーロの「10代演技」に、やや・・・というか、かなりの無理がある、、、ということくらいか。
『ゾディアック』(2006)
最後に意外と思われるチョイスを。
でもこれ、かなーり好きな映画で、さらにいえば、こういう物語に触れるのは、若ければ若いほどいい―そんな風に思う。
30歳の秋、特別試写で観る。
『セブン』(95)を期待した向きには不評だったのかもしれないが、デヴィッド・フィンチャーの器用さにうれしい驚きを覚えた会心作。
実際に起こった「ゾディアック事件」に取り憑かれ、翻弄される男たちを描く。
狂気の沙汰といえばそうかもしれないが、ある意味では、なにかを極めようとするものの「理想形」なのではないか・・・そう解釈することも出来るので、敢えて本作を挙げてみた。
※『ジャングル・ブギ』、『酔いどれ天使』より
歌が始まる前に出てくる情婦は、木暮実千代
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『顔と、声』