43年1月15日生まれ・2018年9月15日死去、享年75歳。
東京出身。
去年鬼籍に入った樹木希林(きき・きりん)さん、元々いいたいことをはっきりいうタイプのひとですが、
最も仰天し、ある意味で痛快、けれども関係者を気の毒に思った発言といえば・・・
自分だけではないでしょう、
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007)で日本アカデミー賞を取ったときの、ハイライトになってしまったスピーチです。
「私ならちがう作品を選びます」
「半分くらいしか出演していないのに賞をいただいてしまって申し訳ない」
「帰りたい」
「組織票かと思いました」
そして最後に・・・
「この日本アカデミー賞が名実ともに素晴らしい賞になっていくことを願っております」と述べる。
米版のアカデミー賞で問題発言やパフォーマンスをしたひとは多いですけれど、日本でそれをやったのは希林さんだけです。
日本アカデミー協会の運営は、放映権料によって賄われています。
つまり「日テレ様様」の体制から抜け出さないかぎり、日テレがからんだ映画が受賞するに決まっているだろう―映画ファンの多くが「日本アカデミー賞はダメ」と思っている根本理由を、希林さんは本舞台でぶっちゃけたのですね。
すばらしー。
作品それ自体は、駄作というわけではなかったのですけれどね。
リリーさんの原作を上手に脚本化していった松尾スズキ。
俳優陣も好演していましたし、なぜ中途半端な映画になってしまったのでしょう・・・。
<経歴>
旦那は、ロッケンローラー内田裕也。
娘はエッセイストの内田也哉子、その夫はモックン。
ロッケンローラーな旦那について、少しだけ言及しておきましょうか。
歌の才能は、正直分かりません。
ただ、やりたいことをやるというのがロックの神髄であるとするならば、このひとはまちがいなくロッケンローラーなのだと思います。
そこいらへんのことは濁したままにしておきますが、俳優としては素晴らしい存在なのではないか、、、と。
さて希林さんについて。
61年―文学座付属演劇研究所に入所、「悠木千帆」名義で女優活動を展開する。
65年に正座員になるも翌年に退団、映画への初参加は66年の『続・酔いどれ博士』でした。
77年―テレビの企画で芸名を競売にかけ、いろいろあって樹木希林という芸名が生まれる。
(このあたりのことは、ウィキペディアを参照してください)
遡って64年―。
テレビドラマ『七人の孫』(TBS)に出演、注目を集める。
以降も『寺内貫太郎一家』(74)や『ムー』(77)とその続編『ムー一族』(78~79…いずれもTBS)などに出演し人気者になる・・・のですけれど、ここに記したとおりで、現在では「映画女優」のイメージがありますが、このころは「テレビの喜劇俳優」みたいな位置づけだったのですよね。
映画だって、すごい数の出演作はあるのですが。。。
【60年代】
『湖の琴』(66)『旅路』(67)『兄貴の恋人』(68)『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』(68)
【70年代】
『男はつらいよ フーテンの寅』(70)『縁結び旅行』(70)『谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座』(71)『喜劇 夜光族』(71)『赤ちょうちん』(74)『悪名縄張り荒らし』(74)『あばよダチ公』(74)『蔵王絶唱』(74)『告訴せず』(75)『まむしと青大将』(75)『エデンの海』(76)『サチコの幸』(76)『女教師』(77)『はなれ瞽女おりん』(77)『トラック野郎・突撃一番星』(78)『金田一耕助の冒険』(79)
【80年代】
『ツィゴイネルワイゼン』(80)『土佐の一本釣り』(80)『帰ってきた若大将』(81)『野菊の墓』(81)『転校生』(82)『刑事物語』(82)『天城越え』(83)『ふるさと』(83)『クララ白書・少女隊PHOON』(85)『カポネ大いに泣く』(85)『さびしんぼう』(85)『夢千代日記』(85)『春駒のうた』(86)『郷愁』(88)『つる ―鶴―』(88)『風の又三郎 ガラスのマント』(89)
基本、小さい役をどんどんこなしていく―というのが80年代までのスタイルだったといっていいかもしれません。
(もちろん『転校生』における真面目な母親など、印象的な役柄も演じてはいますが)
81年―旦那が無断で離婚届を提出するも希林さんはそれを認めず提訴し勝訴、それ以降は別居婚のような状態がつづく。
夫婦には、その夫婦しか分からないことがある、、、ってことですよね。
90年代に入ると、芸能スタイルそのものは変わらないものの、映画における存在感が増していくようになります。
この時代は日本映画の斜陽期と呼ばれていましたが、演技巧者の希林さんの存在は、監督たちにとってどれほどありがたかったことか。
ただ、一部ではこんな評価のされかたも・・・。
「希林さんが巧過ぎて、ほかの俳優がみんな大根に見える」
うーん、たしかにそういう映画もあったけれど。
しかも、1本だけでなく苦笑
キャリアに戻りましょう。
【90年代】
『大誘拐 ~Rainbow kids~』(91)『リトル・シンドバッド 小さな冒険者たち』(91)『いつかギラギラする日』(92)『ザ・中学教師』(92)『夢の女』(93)『REX 恐竜物語』(93)『さくら』(94)『RAMPO』(94)『時の輝き』(95)『三たびの海峡』(95)『美味しんぼ』(96)『恋と花火と観覧車』(97)『39 刑法第三十九条』(99)
【2000年代】
『ざわざわ下北沢』(2000)『東京マリーゴールド』(2001)『ダンボールハウスガール』(2001)『ピストルオペラ』(2001)『リターナー』(2002)『命』(2002)『半落ち』(2004)『下妻物語』(2004)『IZO』(2004)『チェケラッチョ!!』(2006)『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』『サイドカーに犬』(2007)『歩いても 歩いても』(2008)
最後の10年代に入ると、「より」存在感は増します。
『悪人』(2010)の、詐欺に引っかかる母親役を覚えているひとも多いと思われます、とても不憫で、でもなんとか生き抜こうとする姿に胸を打たれました。
『ゴースト もういちど抱きしめたい』(2010)、『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』(2011)、『奇跡』(2011)、『朱花の月』(2011)、
『わが母の記』(2012)、『ツナグ』(2012)、
『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(2013)、『そして父になる』(2013)、
本人を追ったドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』(2014)、
『駆込み女と駆出し男』(2015)、『あん』(2015)、『海街diary』(2015)、
『海よりもまだ深く』(2016)、
音声ガイドナレーションを務めた『光』(2017)、
『モリのいる場所』(2018)、『万引き家族』(2018)、『日日是好日』(2018)、
そして最新作にして遺作が『エリカ38』(2019)。
公開日は未定ですが、きっとヒットすると思います。最期の作品ですからね。
2003年―網膜剥離で左目を失明、さらに全身がんであることを告白。
2018年9月15日、死去。
享年75歳。
ただヒトコトだけいっておきましょう。
めっちゃかっけー! 人生です。
合掌。
次回のにっぽん女優列伝は、菊池桃子さんから。
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明日のコラムは・・・
『少食にはならないけれど…』
東京出身。
去年鬼籍に入った樹木希林(きき・きりん)さん、元々いいたいことをはっきりいうタイプのひとですが、
最も仰天し、ある意味で痛快、けれども関係者を気の毒に思った発言といえば・・・
自分だけではないでしょう、
『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』(2007)で日本アカデミー賞を取ったときの、ハイライトになってしまったスピーチです。
「私ならちがう作品を選びます」
「半分くらいしか出演していないのに賞をいただいてしまって申し訳ない」
「帰りたい」
「組織票かと思いました」
そして最後に・・・
「この日本アカデミー賞が名実ともに素晴らしい賞になっていくことを願っております」と述べる。
米版のアカデミー賞で問題発言やパフォーマンスをしたひとは多いですけれど、日本でそれをやったのは希林さんだけです。
日本アカデミー協会の運営は、放映権料によって賄われています。
つまり「日テレ様様」の体制から抜け出さないかぎり、日テレがからんだ映画が受賞するに決まっているだろう―映画ファンの多くが「日本アカデミー賞はダメ」と思っている根本理由を、希林さんは本舞台でぶっちゃけたのですね。
すばらしー。
作品それ自体は、駄作というわけではなかったのですけれどね。
リリーさんの原作を上手に脚本化していった松尾スズキ。
俳優陣も好演していましたし、なぜ中途半端な映画になってしまったのでしょう・・・。
<経歴>
旦那は、ロッケンローラー内田裕也。
娘はエッセイストの内田也哉子、その夫はモックン。
ロッケンローラーな旦那について、少しだけ言及しておきましょうか。
歌の才能は、正直分かりません。
ただ、やりたいことをやるというのがロックの神髄であるとするならば、このひとはまちがいなくロッケンローラーなのだと思います。
そこいらへんのことは濁したままにしておきますが、俳優としては素晴らしい存在なのではないか、、、と。
さて希林さんについて。
61年―文学座付属演劇研究所に入所、「悠木千帆」名義で女優活動を展開する。
65年に正座員になるも翌年に退団、映画への初参加は66年の『続・酔いどれ博士』でした。
77年―テレビの企画で芸名を競売にかけ、いろいろあって樹木希林という芸名が生まれる。
(このあたりのことは、ウィキペディアを参照してください)
遡って64年―。
テレビドラマ『七人の孫』(TBS)に出演、注目を集める。
以降も『寺内貫太郎一家』(74)や『ムー』(77)とその続編『ムー一族』(78~79…いずれもTBS)などに出演し人気者になる・・・のですけれど、ここに記したとおりで、現在では「映画女優」のイメージがありますが、このころは「テレビの喜劇俳優」みたいな位置づけだったのですよね。
映画だって、すごい数の出演作はあるのですが。。。
【60年代】
『湖の琴』(66)『旅路』(67)『兄貴の恋人』(68)『コント55号と水前寺清子の神様の恋人』(68)
【70年代】
『男はつらいよ フーテンの寅』(70)『縁結び旅行』(70)『谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座』(71)『喜劇 夜光族』(71)『赤ちょうちん』(74)『悪名縄張り荒らし』(74)『あばよダチ公』(74)『蔵王絶唱』(74)『告訴せず』(75)『まむしと青大将』(75)『エデンの海』(76)『サチコの幸』(76)『女教師』(77)『はなれ瞽女おりん』(77)『トラック野郎・突撃一番星』(78)『金田一耕助の冒険』(79)
【80年代】
『ツィゴイネルワイゼン』(80)『土佐の一本釣り』(80)『帰ってきた若大将』(81)『野菊の墓』(81)『転校生』(82)『刑事物語』(82)『天城越え』(83)『ふるさと』(83)『クララ白書・少女隊PHOON』(85)『カポネ大いに泣く』(85)『さびしんぼう』(85)『夢千代日記』(85)『春駒のうた』(86)『郷愁』(88)『つる ―鶴―』(88)『風の又三郎 ガラスのマント』(89)
基本、小さい役をどんどんこなしていく―というのが80年代までのスタイルだったといっていいかもしれません。
(もちろん『転校生』における真面目な母親など、印象的な役柄も演じてはいますが)
81年―旦那が無断で離婚届を提出するも希林さんはそれを認めず提訴し勝訴、それ以降は別居婚のような状態がつづく。
夫婦には、その夫婦しか分からないことがある、、、ってことですよね。
90年代に入ると、芸能スタイルそのものは変わらないものの、映画における存在感が増していくようになります。
この時代は日本映画の斜陽期と呼ばれていましたが、演技巧者の希林さんの存在は、監督たちにとってどれほどありがたかったことか。
ただ、一部ではこんな評価のされかたも・・・。
「希林さんが巧過ぎて、ほかの俳優がみんな大根に見える」
うーん、たしかにそういう映画もあったけれど。
しかも、1本だけでなく苦笑
キャリアに戻りましょう。
【90年代】
『大誘拐 ~Rainbow kids~』(91)『リトル・シンドバッド 小さな冒険者たち』(91)『いつかギラギラする日』(92)『ザ・中学教師』(92)『夢の女』(93)『REX 恐竜物語』(93)『さくら』(94)『RAMPO』(94)『時の輝き』(95)『三たびの海峡』(95)『美味しんぼ』(96)『恋と花火と観覧車』(97)『39 刑法第三十九条』(99)
【2000年代】
『ざわざわ下北沢』(2000)『東京マリーゴールド』(2001)『ダンボールハウスガール』(2001)『ピストルオペラ』(2001)『リターナー』(2002)『命』(2002)『半落ち』(2004)『下妻物語』(2004)『IZO』(2004)『チェケラッチョ!!』(2006)『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』『サイドカーに犬』(2007)『歩いても 歩いても』(2008)
最後の10年代に入ると、「より」存在感は増します。
『悪人』(2010)の、詐欺に引っかかる母親役を覚えているひとも多いと思われます、とても不憫で、でもなんとか生き抜こうとする姿に胸を打たれました。
『ゴースト もういちど抱きしめたい』(2010)、『大木家のたのしい旅行 新婚地獄篇』(2011)、『奇跡』(2011)、『朱花の月』(2011)、
『わが母の記』(2012)、『ツナグ』(2012)、
『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』(2013)、『そして父になる』(2013)、
本人を追ったドキュメンタリー『神宮希林 わたしの神様』(2014)、
『駆込み女と駆出し男』(2015)、『あん』(2015)、『海街diary』(2015)、
『海よりもまだ深く』(2016)、
音声ガイドナレーションを務めた『光』(2017)、
『モリのいる場所』(2018)、『万引き家族』(2018)、『日日是好日』(2018)、
そして最新作にして遺作が『エリカ38』(2019)。
公開日は未定ですが、きっとヒットすると思います。最期の作品ですからね。
2003年―網膜剥離で左目を失明、さらに全身がんであることを告白。
2018年9月15日、死去。
享年75歳。
ただヒトコトだけいっておきましょう。
めっちゃかっけー! 人生です。
合掌。
次回のにっぽん女優列伝は、菊池桃子さんから。
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明日のコラムは・・・
『少食にはならないけれど…』