~中森明菜の巻~
第一夜:中森明菜のキャリアを我流紹介
第二夜:中森明菜への手紙
きょうは、その第二夜。
拝啓、中森明菜様。
斉藤由貴、高井麻巳子(秋元康夫人)の次に好きになった芸能人が、あなたでした。
だから最初に買ったコンポは、PIONEERの『Private A5』。
音にこだわりを持つのは「ずっと先」、それでもこのコンポしかない! と思ったのは、あなたがCMをしていたからです。
正直、勃起しました。
そう歌い手としての才能や魅力は(ひとまず?)置いておいて、性的な意味で、あなたにイチコロだったのです。
失望しました?
でもトシゴロの男子って、そんなものですよ。
だからこそ。
だからこそ、マッチの部屋で手首を切ったのはショックでした。
はっきりいえば。
自分は、自死というものを「完全否定」することが出来ません。
かといって「完全肯定」するものでもありませんが、なんというのでしょう・・・
芥川龍之介が「唯ぼんやりした不安」を抱えて逝ったことに対し「なんとなく、分かるかも…」と思う自分が居ますし、
また、川端康成が「ちょっと散歩にでも行く感じで」逝ったことに対しても、会ったことさえないのに「このひとらしいや」と思う自分が居ます。
松尾スズキは、可愛かずみの自死に対し「そういうのが似合うひと」と評しました。
その感覚に、近いのかもしれません。
以下、引用を。
…………………………………………
岸田智史首吊り死体で発見。これはどうだ。理屈でなく、すっと入ってこないか。なんか「あり」な感じはしまいか。MIEガス自殺。「あり」だと思う。GAOも「あり」だ。でもTARAKOは違うと思うけど。田村英里子入水。うなずける。斉藤慶子服毒。ああ、わかるわかる。ルー大柴ピストル自殺。意外と「あり」かも知れない。
…………………………………………
もちろんスズキ流のブラックユーモアですけれど、
そういう意味で、明菜さんに自死は似合わないと思いました。
はかなげな感じがしますから、一見「あり」のような気もしますが、いやいやだからこそ「なし」でしょうよと。
ずいぶんと失礼な手紙になっていますが、
似合ったところで実際に死んでしまったら哀しいに決まっています。
現に、自分が敬愛する黒澤明は創作の悩みを抱えて自死未遂を起こしたことがあります。
敢えていえば黒澤は「あり」のひと、しかし助かってよかった。
逆に岡田有希子は死んでしまいました。
このひとは「なし」のように見えて、その実「あり」だったような気がします。
もちろん生きていてほしかったけれど、あなたの騒動ほどショックを受けなかった自分が居ます。
ファンではなかったから?
そうかもしれませんが、こころのどこかで納得出来るものがあったとも解釈出来ます。
イマサラ何十年も前のことをほじくり返されても迷惑なだけ・・・ということは重々承知です。
自分だってヒトサマに物申すほど立派な人生を歩んでいないですし、恥ずかしい失敗も沢山しています。
それでもこれについて書いてしまうのは、自分の青春期に、これほどのインパクトをもたらしたことがほかにないからです。
マッチの部屋だった、、、というのが大きかったのだと思います。
誤解してほしくないのは、熱愛自体に否定的ではないのです。
あなたをエロい目で「なめるように」見てはいたものの、所詮は凡人とスター、接点なんかあるわけないですし、惚れた腫れたは「ご自由に」という考えでした。
だからマッチと結婚して幸福な家庭を築いたとするならば、ファンとしてふつうに祝福したはずです。
そういう流れにならなかったがために、未だ忘れることが出来ないのです。
(結婚であれば、きっとすぐに忘れたことでしょう)
死ぬことはないんだ、恋愛ごときで―小林よしのりのことばですが、同感です。
おそらく発作的なことだったのでしょう、それについてイマサラ責める気もありません。
ただ、スターはスターのままであってほしかった。
つまり創作における悩みなどが起因する行為であれば、自分も納得出来たと思うのです。
我々と同じようなことについて悩み、傷ついていることを信じたくなかった。
酷な願いかもしれませんが、スターとは、そういう存在だと思っていましたから。
中森明菜が、自分と同じイキモノであるはずがない。
スターとザーメンキチガイ野郎は、住む世界がちがうのだ。
あの騒動で、自分が信じていることが揺らぎました。
ただ、あなたが生きつづけてくれているおかげで、その揺らぎは回復されつつあります。
いつまでも、元気でいてくださいね。
敬具。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『35人への恋』
第一夜:中森明菜のキャリアを我流紹介
第二夜:中森明菜への手紙
きょうは、その第二夜。
拝啓、中森明菜様。
斉藤由貴、高井麻巳子(秋元康夫人)の次に好きになった芸能人が、あなたでした。
だから最初に買ったコンポは、PIONEERの『Private A5』。
音にこだわりを持つのは「ずっと先」、それでもこのコンポしかない! と思ったのは、あなたがCMをしていたからです。
正直、勃起しました。
そう歌い手としての才能や魅力は(ひとまず?)置いておいて、性的な意味で、あなたにイチコロだったのです。
失望しました?
でもトシゴロの男子って、そんなものですよ。
だからこそ。
だからこそ、マッチの部屋で手首を切ったのはショックでした。
はっきりいえば。
自分は、自死というものを「完全否定」することが出来ません。
かといって「完全肯定」するものでもありませんが、なんというのでしょう・・・
芥川龍之介が「唯ぼんやりした不安」を抱えて逝ったことに対し「なんとなく、分かるかも…」と思う自分が居ますし、
また、川端康成が「ちょっと散歩にでも行く感じで」逝ったことに対しても、会ったことさえないのに「このひとらしいや」と思う自分が居ます。
松尾スズキは、可愛かずみの自死に対し「そういうのが似合うひと」と評しました。
その感覚に、近いのかもしれません。
以下、引用を。
…………………………………………
岸田智史首吊り死体で発見。これはどうだ。理屈でなく、すっと入ってこないか。なんか「あり」な感じはしまいか。MIEガス自殺。「あり」だと思う。GAOも「あり」だ。でもTARAKOは違うと思うけど。田村英里子入水。うなずける。斉藤慶子服毒。ああ、わかるわかる。ルー大柴ピストル自殺。意外と「あり」かも知れない。
…………………………………………
もちろんスズキ流のブラックユーモアですけれど、
そういう意味で、明菜さんに自死は似合わないと思いました。
はかなげな感じがしますから、一見「あり」のような気もしますが、いやいやだからこそ「なし」でしょうよと。
ずいぶんと失礼な手紙になっていますが、
似合ったところで実際に死んでしまったら哀しいに決まっています。
現に、自分が敬愛する黒澤明は創作の悩みを抱えて自死未遂を起こしたことがあります。
敢えていえば黒澤は「あり」のひと、しかし助かってよかった。
逆に岡田有希子は死んでしまいました。
このひとは「なし」のように見えて、その実「あり」だったような気がします。
もちろん生きていてほしかったけれど、あなたの騒動ほどショックを受けなかった自分が居ます。
ファンではなかったから?
そうかもしれませんが、こころのどこかで納得出来るものがあったとも解釈出来ます。
イマサラ何十年も前のことをほじくり返されても迷惑なだけ・・・ということは重々承知です。
自分だってヒトサマに物申すほど立派な人生を歩んでいないですし、恥ずかしい失敗も沢山しています。
それでもこれについて書いてしまうのは、自分の青春期に、これほどのインパクトをもたらしたことがほかにないからです。
マッチの部屋だった、、、というのが大きかったのだと思います。
誤解してほしくないのは、熱愛自体に否定的ではないのです。
あなたをエロい目で「なめるように」見てはいたものの、所詮は凡人とスター、接点なんかあるわけないですし、惚れた腫れたは「ご自由に」という考えでした。
だからマッチと結婚して幸福な家庭を築いたとするならば、ファンとしてふつうに祝福したはずです。
そういう流れにならなかったがために、未だ忘れることが出来ないのです。
(結婚であれば、きっとすぐに忘れたことでしょう)
死ぬことはないんだ、恋愛ごときで―小林よしのりのことばですが、同感です。
おそらく発作的なことだったのでしょう、それについてイマサラ責める気もありません。
ただ、スターはスターのままであってほしかった。
つまり創作における悩みなどが起因する行為であれば、自分も納得出来たと思うのです。
我々と同じようなことについて悩み、傷ついていることを信じたくなかった。
酷な願いかもしれませんが、スターとは、そういう存在だと思っていましたから。
中森明菜が、自分と同じイキモノであるはずがない。
スターとザーメンキチガイ野郎は、住む世界がちがうのだ。
あの騒動で、自分が信じていることが揺らぎました。
ただ、あなたが生きつづけてくれているおかげで、その揺らぎは回復されつつあります。
いつまでも、元気でいてくださいね。
敬具。
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明日のコラムは・・・
『35人への恋』