06年1月6日生まれ・97年4月4日死去、享年91歳。
広島出身。
30を過ぎたあたりから、小津安二郎の映画の深さ怖さ面白さが分かってきました。
その代表作『東京物語』(53)で印象に残るのは、東山千栄子(おかあさん)の「ありがと♪」というアクセント、そして、杉村春子(すぎむら・はるこ)さんが演じる長女しげの「性格の悪さ」です。
「喪服どうする? 持ってったほうがいいわね。使わなけりゃ、それにこしたことないから」
「紀子さん、あんた喪服持ってきた? もってくりゃ良かったわね」
「京子は喪服あるの」
「じゃあ借りてきなさい二人分」
「お母さん、そこの私の汚い下駄、はいてってよ」
笑笑笑
いちいちイラっとくるのだけれども、こういうひと居るでしょうし、ズケズケいうだけでじつは悪意がないのだろうし。
杉村さんの演技が憎らしいほど巧くって、初見、『東京物語』のすごさは分からなかったりしたのですが、杉村さんの「タダモノではない感じ」はよく分かりました。
<経歴>
幼くして両親を亡くし養子となる。
養父が芝居小屋の株主だったことから沢山の歌舞伎や文楽などを浴びることが出来た―最高の環境だったのですね。
27年、築地小劇場の研究生に。
長い下積みを経た37年―徐々に横のつながりを作っていった杉村さんは「劇団文学座」の結成に参加、40年代に入ると劇団の中心女優となる。
映画俳優デビュー作は文献によって異なり、とりあえずここでは、37年の『浅草の灯』を挙げておきます。
『鶯』(38)、『奥村五百子』(40)、『次郎物語』(41)、『英国崩るるの日』(42)、『大曾根家の朝』(46)、
黒澤の『わが青春に悔なし』(46)にも顔を出し、
『三本指の男』(47)、『手をつなぐ子等』(47)などで着実に映画キャリアも築いていく。
49年、『晩春』で初めて小津作品に参加。
以下、小津作品をまとめて。
『麦秋』(51)
『東京物語』
『早春』(56)
『東京暮色』(57)
『お早よう』(59)
『浮草』(59)
『小早川家の秋』(61)
『秋刀魚の味』(62)
いっつも「しげ」のような、イヤな役を演じていたわけではありません笑
そのほかの出演作を、とりあえず60年まで。
ほんとうは、ひとつひとつにコメントしたいほど名作ぞろいなのですけれど。。。
『また逢う日まで』(50)、『七色の花』(50)、『めし』(51)、『命美わし』(51)、『にごりえ』(53)、『千羽鶴』(53)、『晩菊』(54)、『勲章』(54)、
『楊貴妃』(55)、『心に花の咲く日まで』(55)、『野菊の如き君なりき』(55)、『警察日記』(55)、『流れる』(56)、『満員電車』(57)、『足にさわった女』(60)。
60年―安保反対の意思を明確にし、それにより文学座は分裂していく。
63年に劇団員の多くが脱退、新作戯曲のキーパーソンだった三島由紀夫まで杉村さんのもとを離れました。
(詳細は、「喜びの琴事件」で調べましょう)
それでも解散せずに文学座を立て直したわけですから、大したものです。すごい!
映画キャリアに戻ります。
『釈迦』(61)、『反逆児』(61)、『沓掛時次郎』(61)、『女の座』(62)、『破戒』(62)、『母』(63)、『海軍』(63)、『香華』(64)、『怪談』(64)、『侍』(65)、『赤ひげ』(65)、
『化石の森』(73)、『悪名 縄張荒らし』(74)、『化石』(75)。
80年代に入ると、映画キャリアが激減する―のは、文学座を立て直すため、テレビドラマ中心へと舵を切ったからです。
よって、熱烈なオファーを出しつづけた新藤兼人の映画にだけ出演するようになりました。
『さくら隊散る』(88)
『墨東綺譚』(92)
『午後の遺言状』(95)
97年に入ってすぐ体調を崩し、ドラマの降板などがつづく。
4月4日、頭部膵臓癌のため永眠。
特む性格だったことから業界内でも好き嫌いが分かれたとされていますが、こういうひとは結局、本業が素晴らしければいいのです。
だからやっぱり、格好いいひとだな! と自分は思っています。
享年91歳、合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『にっぽん女優列伝(157)鈴木杏』
広島出身。
30を過ぎたあたりから、小津安二郎の映画の深さ怖さ面白さが分かってきました。
その代表作『東京物語』(53)で印象に残るのは、東山千栄子(おかあさん)の「ありがと♪」というアクセント、そして、杉村春子(すぎむら・はるこ)さんが演じる長女しげの「性格の悪さ」です。
「喪服どうする? 持ってったほうがいいわね。使わなけりゃ、それにこしたことないから」
「紀子さん、あんた喪服持ってきた? もってくりゃ良かったわね」
「京子は喪服あるの」
「じゃあ借りてきなさい二人分」
「お母さん、そこの私の汚い下駄、はいてってよ」
笑笑笑
いちいちイラっとくるのだけれども、こういうひと居るでしょうし、ズケズケいうだけでじつは悪意がないのだろうし。
杉村さんの演技が憎らしいほど巧くって、初見、『東京物語』のすごさは分からなかったりしたのですが、杉村さんの「タダモノではない感じ」はよく分かりました。
<経歴>
幼くして両親を亡くし養子となる。
養父が芝居小屋の株主だったことから沢山の歌舞伎や文楽などを浴びることが出来た―最高の環境だったのですね。
27年、築地小劇場の研究生に。
長い下積みを経た37年―徐々に横のつながりを作っていった杉村さんは「劇団文学座」の結成に参加、40年代に入ると劇団の中心女優となる。
映画俳優デビュー作は文献によって異なり、とりあえずここでは、37年の『浅草の灯』を挙げておきます。
『鶯』(38)、『奥村五百子』(40)、『次郎物語』(41)、『英国崩るるの日』(42)、『大曾根家の朝』(46)、
黒澤の『わが青春に悔なし』(46)にも顔を出し、
『三本指の男』(47)、『手をつなぐ子等』(47)などで着実に映画キャリアも築いていく。
49年、『晩春』で初めて小津作品に参加。
以下、小津作品をまとめて。
『麦秋』(51)
『東京物語』
『早春』(56)
『東京暮色』(57)
『お早よう』(59)
『浮草』(59)
『小早川家の秋』(61)
『秋刀魚の味』(62)
いっつも「しげ」のような、イヤな役を演じていたわけではありません笑
そのほかの出演作を、とりあえず60年まで。
ほんとうは、ひとつひとつにコメントしたいほど名作ぞろいなのですけれど。。。
『また逢う日まで』(50)、『七色の花』(50)、『めし』(51)、『命美わし』(51)、『にごりえ』(53)、『千羽鶴』(53)、『晩菊』(54)、『勲章』(54)、
『楊貴妃』(55)、『心に花の咲く日まで』(55)、『野菊の如き君なりき』(55)、『警察日記』(55)、『流れる』(56)、『満員電車』(57)、『足にさわった女』(60)。
60年―安保反対の意思を明確にし、それにより文学座は分裂していく。
63年に劇団員の多くが脱退、新作戯曲のキーパーソンだった三島由紀夫まで杉村さんのもとを離れました。
(詳細は、「喜びの琴事件」で調べましょう)
それでも解散せずに文学座を立て直したわけですから、大したものです。すごい!
映画キャリアに戻ります。
『釈迦』(61)、『反逆児』(61)、『沓掛時次郎』(61)、『女の座』(62)、『破戒』(62)、『母』(63)、『海軍』(63)、『香華』(64)、『怪談』(64)、『侍』(65)、『赤ひげ』(65)、
『化石の森』(73)、『悪名 縄張荒らし』(74)、『化石』(75)。
80年代に入ると、映画キャリアが激減する―のは、文学座を立て直すため、テレビドラマ中心へと舵を切ったからです。
よって、熱烈なオファーを出しつづけた新藤兼人の映画にだけ出演するようになりました。
『さくら隊散る』(88)
『墨東綺譚』(92)
『午後の遺言状』(95)
97年に入ってすぐ体調を崩し、ドラマの降板などがつづく。
4月4日、頭部膵臓癌のため永眠。
特む性格だったことから業界内でも好き嫌いが分かれたとされていますが、こういうひとは結局、本業が素晴らしければいいのです。
だからやっぱり、格好いいひとだな! と自分は思っています。
享年91歳、合掌。
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明日のコラムは・・・
『にっぽん女優列伝(157)鈴木杏』