本年度の劇場公開映画17傑、きょうで最後です。
第03位『アイリッシュマン』
ジミー・ホッファ暗殺に関わったとされる殺し屋、フランク・シーランの半生から米国の裏社会を描いた「わが神」スコセッシの最新作であり、そんな神が初めて「配信系」で映画を撮った記念すべき作品。
とりあえず劇場公開してくれてありがとう、ほんとうにありがとうアップリンクさん!!
とあるサイトに「こんなもの、家で観れるわけがない」という「よい意味での嘆き」レビューがあったが、彼に激しく同意する。
本企画は資金繰りが厳しくなっていちどは頓挫、そこで手を差し伸べたのがNetflixだった、、、というだけで、本来はモニターやタブレット画面ではなく、スクリーンで触れるべき純然たる映画なのだ。
レオくんとの浮気がつづいていた「わが神」は久しぶりに本妻デ・ニーロのもとに戻り、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテルなどの常連だけでなく、アル・パチーノまでむかえて300分を超す大作に仕上げた。
瞬間湯沸かし器のようなホッファを演じるパチーノも素晴らしいが、エピローグのデ・ニーロの佇まいが、最もこころに残る。
改心する気がさらさらなかった『グッドフェローズ』のヘンリーとはちがい、すべてを失ったシーランは懺悔もするし、早く死にたいとさえ思っている。
それでも死ねない、とりあえず今晩はひとりになりたくないとごねる主人公は、『ブロウ』でジョニー・デップが演じた主人公と重なり、この世界で生きるものの罪を一身に背負っているように映って強く胸を打つ。
…………………………………………
第02位『ジョーカー』
ピエロに扮して日銭を稼ぐこころ優しい青年アーサーは、周囲の悪意と無理解によって職を失い、次第に精神の均衡を保てなくなっていく…。
世界の物語史上、トップの位置に君臨するといってもいいアンチヒーロー「ジョーカー」誕生の物語。
「犯罪者予備軍のひとりが実際の犯罪者になる映画」が大ヒットを記録する現象に苦笑を禁じ得なかったりもするのだが、映画とはそもそも社会の常識や倫理などに牙をむく性質を持ち、観るものはそれを受けて日常生活とのバランスを取ったりするものだと思う。
70年代にそんなエッジな映画を歓迎するのは若者だけだったはずなのに、いまはそうとはかぎらない―そんなところに現代の病理が見えてきてゾッとしたりしなかったり。
いっぽうで、こうも思う。
過去の映画、とくに『キング・オブ・コメディ』と『タクシードライバー』を前提としているようなところがあり、創り手は観客に対し「だから分かるよね?」と問うている。
単体としてではなく、映画史を俯瞰したうえで評価しなければならない―それは映画マニアとしてはうれしい反面、オリジナル映画の評価を拒否しているようにも見えるところが本作の弱点なのかもしれない、、、と。
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第01位『魂のゆくえ』
息子が戦死したのは自分のせいだと悔みつづけるトラー牧師が、旦那が望む中絶を受け入れられないメアリーと出会い、その旦那マイケルとも交流を持つことによって「危険思想」を宿してしまい・・・。
かつてスコセッシの脚本パートナーを務めていたポール・シュレイダーは、寡作かつ地味ながら、コツコツと自作を自らの手で映画化していた。
どちらかというと寡黙な牧師が、ひとの影響受けまくって爆弾テロ起こそうとする・・・って、40年前となにひとつ変わらない作品世界に、尊敬の意味をもこめていうが、呆れてしまった。
スコセッシでさえ、どんどん変わっているのに!? って。
変わる必要があったひと。変わる必要がなかったひと。そして、そのことに自覚的であること。
シュレイダーは自分がどうあるべきか、分かっているひとなのだろう。
そして感動するのは、変わらないといいつつ、作品の哲学は「より深く」「より先に」「より尖って」進んでいたところ。
というわけで19年度のベストワンは、現時点でこれを鑑賞している日本人が1%にも満たないであろう『魂のゆくえ』に決定。
堅苦しい邦題だが原題は『First Reformed』で、これは舞台となる教会の名前。我流に訳せば「はじめての改心」となり、どちらにせよ宗教の影が色濃いことが分かる―という意味では、邦題も的外れではなかった。
面白いのは結局、今年の3傑は「スコセッシに関わりのある作品」が並んでていること。
いくらヒイキにしていても、こんなもの最初から決めていたわけはないので、この結果に苦笑せざるを得ないなぁ。。。
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明日のコラムは・・・
『先端をいくもの ~19年度映画回顧(5)~』
第03位『アイリッシュマン』
ジミー・ホッファ暗殺に関わったとされる殺し屋、フランク・シーランの半生から米国の裏社会を描いた「わが神」スコセッシの最新作であり、そんな神が初めて「配信系」で映画を撮った記念すべき作品。
とりあえず劇場公開してくれてありがとう、ほんとうにありがとうアップリンクさん!!
とあるサイトに「こんなもの、家で観れるわけがない」という「よい意味での嘆き」レビューがあったが、彼に激しく同意する。
本企画は資金繰りが厳しくなっていちどは頓挫、そこで手を差し伸べたのがNetflixだった、、、というだけで、本来はモニターやタブレット画面ではなく、スクリーンで触れるべき純然たる映画なのだ。
レオくんとの浮気がつづいていた「わが神」は久しぶりに本妻デ・ニーロのもとに戻り、ジョー・ペシ、ハーベイ・カイテルなどの常連だけでなく、アル・パチーノまでむかえて300分を超す大作に仕上げた。
瞬間湯沸かし器のようなホッファを演じるパチーノも素晴らしいが、エピローグのデ・ニーロの佇まいが、最もこころに残る。
改心する気がさらさらなかった『グッドフェローズ』のヘンリーとはちがい、すべてを失ったシーランは懺悔もするし、早く死にたいとさえ思っている。
それでも死ねない、とりあえず今晩はひとりになりたくないとごねる主人公は、『ブロウ』でジョニー・デップが演じた主人公と重なり、この世界で生きるものの罪を一身に背負っているように映って強く胸を打つ。
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第02位『ジョーカー』
ピエロに扮して日銭を稼ぐこころ優しい青年アーサーは、周囲の悪意と無理解によって職を失い、次第に精神の均衡を保てなくなっていく…。
世界の物語史上、トップの位置に君臨するといってもいいアンチヒーロー「ジョーカー」誕生の物語。
「犯罪者予備軍のひとりが実際の犯罪者になる映画」が大ヒットを記録する現象に苦笑を禁じ得なかったりもするのだが、映画とはそもそも社会の常識や倫理などに牙をむく性質を持ち、観るものはそれを受けて日常生活とのバランスを取ったりするものだと思う。
70年代にそんなエッジな映画を歓迎するのは若者だけだったはずなのに、いまはそうとはかぎらない―そんなところに現代の病理が見えてきてゾッとしたりしなかったり。
いっぽうで、こうも思う。
過去の映画、とくに『キング・オブ・コメディ』と『タクシードライバー』を前提としているようなところがあり、創り手は観客に対し「だから分かるよね?」と問うている。
単体としてではなく、映画史を俯瞰したうえで評価しなければならない―それは映画マニアとしてはうれしい反面、オリジナル映画の評価を拒否しているようにも見えるところが本作の弱点なのかもしれない、、、と。
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第01位『魂のゆくえ』
息子が戦死したのは自分のせいだと悔みつづけるトラー牧師が、旦那が望む中絶を受け入れられないメアリーと出会い、その旦那マイケルとも交流を持つことによって「危険思想」を宿してしまい・・・。
かつてスコセッシの脚本パートナーを務めていたポール・シュレイダーは、寡作かつ地味ながら、コツコツと自作を自らの手で映画化していた。
どちらかというと寡黙な牧師が、ひとの影響受けまくって爆弾テロ起こそうとする・・・って、40年前となにひとつ変わらない作品世界に、尊敬の意味をもこめていうが、呆れてしまった。
スコセッシでさえ、どんどん変わっているのに!? って。
変わる必要があったひと。変わる必要がなかったひと。そして、そのことに自覚的であること。
シュレイダーは自分がどうあるべきか、分かっているひとなのだろう。
そして感動するのは、変わらないといいつつ、作品の哲学は「より深く」「より先に」「より尖って」進んでいたところ。
というわけで19年度のベストワンは、現時点でこれを鑑賞している日本人が1%にも満たないであろう『魂のゆくえ』に決定。
堅苦しい邦題だが原題は『First Reformed』で、これは舞台となる教会の名前。我流に訳せば「はじめての改心」となり、どちらにせよ宗教の影が色濃いことが分かる―という意味では、邦題も的外れではなかった。
面白いのは結局、今年の3傑は「スコセッシに関わりのある作品」が並んでていること。
いくらヒイキにしていても、こんなもの最初から決めていたわけはないので、この結果に苦笑せざるを得ないなぁ。。。
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明日のコラムは・・・
『先端をいくもの ~19年度映画回顧(5)~』