Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

初体験 リッジモント・ハイ(16)

2012-09-10 00:15:00 | コラム
カラオケでよく歌う曲を並べてみる。

(1)ウルフルズ、『借金大王』・・・いまでいう「鉄板」で、まぁ自分にとっての十八番。
経歴として事細かに喋ると趣味の悪い借金自慢になってしまうが、これ歌うと盛り上がると同時に、「元」多重債務者であったこともスマートに? 明かすことが出来る。

(2)石原裕次郎、『嵐を呼ぶ男』・・・「♪ やりやがったな、倍にして返すぜ、ボディだチンだ、、、♪」をいいたいがために選曲、年配のひと限定で喜んでもらえる。

(3)パーシー・スレッジ、『男が女を愛するとき』・・・声の調子がよければ、ちゃんと歌える。悪ければ、それはもう聴くに堪えない。

(4)C-C-B、『ないものねだりのI Want You』・・・青春の曲だから。

(5)おニャン子クラブ、『真っ赤な自転車』・・・性春の曲だから。自分のチャリ好きは、ここから始まっている、、、たぶん。


次に、歌ってみたい曲を。

(1)ももいろクローバーZ、『ピンキージョーンズ』『ChaiMaxx』・・・単に好きだから。ちょっと周りが引くくらい完璧に歌ってみたい。

(2)井上大輔、『哀戦士』・・・モノスゴ好きな曲なのに、そういえば歌ったことがない。


というわけで、今回はカラオケの話。

カラオケ×映画といえば・・・
キャメロン・ディアスがひどく音痴な歌唱力を披露する『ベスト・フレンズ・ウェディング』(97)、その逆に、グィネス・パルトロウが抜群の歌唱力を披露する『デュエット』(2000)などがあるが、
個人的には『ファンシィダンス』(89)の、田口浩正による「焼肉の替え歌カラオケ」(=♪ カルビ、び、び、び、♪)を最初に想起する。

文化として完全に定着しているのは日本だけといわれるが、まぁ安上がりだし、庶民にとっての気軽なエンタメであるという点で、もう少し世界中に広まってもいいと思うけど。


呑み会などを開いた場合、二次会として・・・

(1)場所を変えて呑み直す
(2)ボウリング
(3)カラオケ

などの選択肢が出てくるが、「女子の膝枕つき」という特典でもないかぎり、どんな選択肢よりも酒の誘惑が勝ってしまう。
そんな風に思うヤツだから、次第にカラオケボックスには行かなくなってしまった。

たぶん、いま行ったら、最新機器を使いこなせなくてオタオタするにちがいない―と想像してしまうほど、ぜんぜん行ってない。
カラオケでも呑めるのにね、楽しめるはずなのにね。


で、生まれて初めてのカラオケというものを思い出してみる。

記憶が確かならば、高校2年の秋だった。
メンバーは、クラスメイトのきったねー男子ども。

母校「群馬県立西邑楽高等学校」は、授業中に勃起するとでも思ったのだろうか(現在はちがうようだが)共学なのにクラスは男女別、、、という、よく分からん方針であり、
イケてるヤツはクラスを軽々と越境し女子との交際を始められるが、イケてないヤツは「ひたすら」イケてない日常を送ることになる・・・という可哀想な状況であった。

だからカラオケも当然、同性ばかりとなる。
尤も日常がイケてないのだから、その場に女子が居たとしても、そりゃあもうイケてない言動しか出来なかったはず、と想像は出来る。

確か3曲を歌ったはずで、その内訳は・・・

(1)音痴かどうか分からないものにとっての定番、ブルーハーツから『リンダリンダ』

(2)レベッカの『フレンズ』

(3)C-C-Bの『スクールガール』

割とフツーだよね。

・・・と、記していたら、ボックス内で展開されていた会話の数々を、徐々に思い出してきた。


つづく。


※前田亜季が好きなんだ。いま、パッとしないよね。でも好きだ。




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あなた、に、いわれたくない?

2012-09-09 00:05:00 | コラム
38年間(と半年くらい)の人生で、たぶん10000回は「馬鹿!」といわれてきた。
「たぶん」と記したように、推定だけれど。

ただそこには、本気の罵り「バカヤロウ!!」のほかに、愛情表現の「バカ♪」も含まれるわけで。
「バカ♪」のほうの発言者は、まぁ大抵は女子のはずである。
(似たことばに、「最低!」「サイテー!」がある。先日、パフュームのライブで「なぜか下半身がカチンカチンになった」と知り合いの女子にメールを送ってみたら、速攻で「きゃ、サイテー!」と返信があり、それはそれはハッピーな気持ち? になった)

「格好いい♪」「男らしい♪」より「バカ♪」といわれたほうがうれしいときもあって、ことばというのは不思議なものである。
そのことばを発するに至る関係性―がそう思わせるわけで、つまり巧い映画とは、「バカ♪」のヒトコトだけでキャラクターたちの関係性を想像させる背景を「きちんと描写している」ものを指す。


ほかにいわれてきたことといえば・・・
「ヘンタイ!」「キチガイ!」「ロリコン!」、、、まぁこれは自称なので、褒めことばと解釈している。
「短小!」「早漏!」、、、も同様である。

ただ気をつけたいのは、「ヘンタイ!」と発して本気で怒るひとが居るということだ。
「小せぇ男だなぁ」と思うが、どこでどう反応するかはそれぞれだものねぇ。

AVデビューを果たしたばかりの女子大生にインタビューをしたときのこと。
その子のデビュー作は「いかにも新人」といった可愛い創りのものであったが、なぜかタイトルが『変態女子大生、奇跡のデビュー!』というものだった。
「このタイトル、どう思う?」と聞いたところ、彼女は笑いながら「そんなこと、聞かされてなかった。ひどいですねぇ」と返した。

「器のでかい子だ!」と感心したことを覚えているが、このくらい「どっしり」構えてほしい・・・って、誰にいってんだ?


自分の話に戻す。
肥満児だったころは「デブ!」、
ホラ吹きだったころは「嘘つき!」、
などなど、そのどれもが的を得ているので、いい返すことはしてこなかった。

もう少し核心をつき、
「いつもニコニコしているから、なにを考えているのか分からない」、
「デタラメなことばかりいったり、ハッタリばかりかますので、本質が見えてこない」、
といわれたこともあって、これはなかなかに鋭いなと思ったものである。


さらに話を戻して。
そういわれるのがうれしいと思う自分は、そのことばを他者に発することもある。
「ヘンタイ!」「キチガイ!」がそれにあたり、しかし前述したように、このことばを聞いて本気で立腹するひとも居る。
そこで返ってくることばが、タイトルに冠した「あなたにいわれたくない」である。

「オメー、ヘンタイだな」
「オメーにいわれたくないよ!」
みたいな。

ただ、このことばも、本気で怒ってそう発する場合と、ジョークとして発する場合がある。

すべては関係性で決まる―ということなのだろう。
初対面時にいわれたら喧嘩になることでも、長い付き合いであればあるほど、そのことばの奥に愛情が宿っているから、ジョークと解釈される、、、と。

尤もクロエ(トップ画像)のような美少女になら、それが初対面であったとしても、なにをいわれても怒らない・怒れないような気もする。

なんだ、結局はそこかよ! という話である。


※「バカヤロウ」ではなく、「クソッタレ!」といえば、このひと小見川である。
好きなんだけどな、UFCでは「クソッタレ!」をかます会心の勝利が得られない・・・。




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人生は、出し > 入れなのか。

2012-09-08 00:15:00 | コラム
一日二食という食生活なのに、日に5回くらいウンコをする。

これは、どういうことなのか。

いずれも「きっちり」とした便で、確認? したことはないが、口にしたもののほとんどが肛門から出てきており、体内に留まるもの―つまり栄養素みたいなものは、かぎりなくゼロにちかい、、、ような気がする。

トイレットペーパーの消費量も自然と多くなり、独り暮らしなのに一ヶ月18ロールでは足りない・・・ということは、随分前のコラムにも書いたことがある。(「かため」ではなく「ゆるめ」だから、よーく、何度も拭かないとダメだし)

ホロリとくる名作映画『スモーク』(95…トップ画像)に、「灰」の質量を量れば、煙草が出す「煙」(スモーク)の重さが分かるのではないか―というエピソードがあったが、こんど、5つのウンコを保存して質量を量り、栄養素がどれくらいなのか調べてみようかしら。

それにしても5回は多過ぎる。
ザーメンといい汗といいヨダレといい小便といいウンコといい・・・
自分の人生、中に入れるものより外に出すもののほうが多い気がして、大丈夫なのかと思う。

このまま、きったねー話を続けてみる。

「果てしなく出し続けるキャラ」? というのも面白くていいかもしれない。
ただ、そういえば嘔吐というものは久しく経験がない。

酒に強くなったというより、そこまで呑まなくなった、と表現するほうが正しい。

嘔吐といえば、忘れられないエピソードがある。

自分が、25歳だったころの話だ。

狙っている女子が居た。
デートを重ね「今日こそ!」という日が、ついにやってきた。

彼女は酒に強く、酔い潰れるということはなかったが、その日は食べ合わせ、、、いや呑み合わせが悪く、居酒屋を出たときには自分の肩を借りなければ歩けないほどになっていた。

しめしめ・・・とは思わない。

エッチは両者の合意あってこそ、である。

酔わせてどうこうというのも「場合によっては、あり」なのだろうが、そういう卑怯? な手は使いたくない・・・とは思いつつ、下半身は素直にエレクトしていた。チンピクでいえば、マックスぎりぎりの73くらい。(チンピクという造語の世界では、数値は偏差値と同様の範囲で表現される・・・と、勝手に自分で決めた)

とりあえずラブホテルに入り、彼女の介抱を始める。

いつ吐いてもいいように風呂場に寝かせ、
「ボタン外すよ。いいね?」「ベルト外すよ、いいね?」と、いちいち確認を取りながら服を脱がせていった。

彼女は「うー、うー」いうだけだが、それを「イエス」と都合よく解釈した。
身体を触りたかったわけじゃない、お洒落な服をゲロで汚させないためである、あくまでも。チンピク状態、、、ではあったが。

15分くらいかけて、彼女を下着姿にする。

おぉ妖艶だ・・・じゃない、さて、どうしたもんだろう。

ほとんど気を失っているかのような彼女の肢体を眺めていたら、やっぱり欲情してきてしまった。

「おっぱい、触っていい?」と聞いてみる。

反応なし。

もう少し大きな声で「おっぱい、ダメ?」

「・・・・・」

無言で承諾したと勝手に解釈し、両手でおっぱいに触ろうとした瞬間、彼女は嘔吐し、自分はそのゲロを全身で浴びることになった。

ガッデム!!

そんなに喰ったか? というほど、ゲロはとめどなく溢れる。

あふれっかえる。

そこで彼女は、正気に戻った。

自分は無傷なのに彼だけ大火傷って、なに? みたいな表情をしていた。
数分後にようやく事態を理解し、申し訳ない気持ちが勝ったのだろう、その晩、彼女は身体を許したのだった。


・・・くだらねーエピソードではあるが、そこで「情」が生まれたか、彼女とはそのあと、3ヶ月ほど付き合った。

この晩の話だけを取ってみても、
中に入れたものより、外に出しているもののほうが圧倒的に多い。

そうか人生って、外に出すことなのか―と、悟りを開いて現在に至った「完全に間違っている」自分、なのだった。


※こんな優しい表情を見せるハーベイ・カイテル、『スモーク』だけである。
観ていない喫煙者は、ぜひ。
つーか、明日にでも観てくれ。




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怒れる牡牛の物語

2012-09-07 00:15:00 | コラム
第14部「今村昌平の物語」~第3章~

前回までのあらすじ


「昆虫のようによく発達した本能本位で生きていると思われる人間を、生物の生態観察のように善悪の批判ぬきでひたすら客観的に観察した、というのが題名の意味であろう。徹底的リアリズムだがそれにしては大いに笑わせるすぐれた喜劇になっている」(佐藤忠男、『にっぽん昆虫記』を評す)

「オールナイトで60年代の今村作品をまとめて見ると、疲労こんぱいでグッタリするけれど、一息つけば、今見てきたばかりの女の強さを思い起こして気をとりなおす。そんな青春時代でありました」(三枝有希)

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「その存在」は知っていたが、イマヘイを「強く」意識するようになるのは、高校生のころだった。
そのきっかけは『黒い雨』(89)と日本映画学校であり、映画通にいわせれば「遅いよ」ということになるのかもしれない。

高校生のころの筆者をヒトコトで表現すれば、「社会派」となる。
オリバー・ストーンの映画に出会い、社会派映画に開眼。『独裁者』(40)のラストの演説を繰り返し鑑賞するような真面目さ? で、1年生のころの自由作文では南アのアパルトヘイト政策を取り上げて学校代表に選出された。
まさに「狙った感」のあるイヤなヤツ? だったのだが、2年時の読書感想文で取り上げたのが『黒い雨』で、これまた学校代表に選出された。

そうか、こういう題材を取り上げれば評価されるのだな―と思ったものだが、
なぜ『黒い雨』だったかというと、井伏鱒二がどうこうというのはなく、単に映画が公開されて原作を読んでみようと思ったからである。

…………………………………………

第一印象って大切だ。
最初に観たイマヘイ映画が『黒い雨』だったから、イマヘイを単なる社会派作家だと勘違いした。

ある意味では誤りではないが、社会派映画を観るつもりで『復讐するは我にあり』(79)に触れたものだから、その「ねちっこさ」にたまげてしまった。

若い映画小僧のあいだで人気投票を取るとするならば、イマヘイ映画のベストワンは、きっと『復讐するは我にあり』になるだろう。
前述したように「ねちっこく」、しかも、分かり易さがあるからだ。
そして単純に、物語として面白いから。

これほどのストーリーテラーが、思うとおりに創作出来ない世の中ってなんなのか。

『豚と軍艦』(61)で「重喜劇」を完成させたイマヘイの実力は、その時点で誰もが認めるところだった。
しかし次々に怪作を発表したにも関わらず、『復讐するは我にあり』の企画はどこからもゴーサインが出ず、そのストレスからか、重い胃潰瘍を患うようになる。(という記述は、ある意味では誤りかもしれない。なぜならイマヘイの映画キャリアには、「企画の頓挫」が付き物だったのだから)

赤貧に耐え続けるイマヘイ。
あの「ねちっこい」描写は、その怨念ということか。

コッポラのように「投げ打つ私財」があれば、あるいはイマヘイはもっと沢山の怪作を残せたのかもしれない。

いや、でも・・・。

「コーエン兄弟には、大金を渡さないほうがイイモノを創るのかもしれない」と誰かがいったが、イマヘイにもそれは当てはまるのかも、、、と思うことがある。
もちろん私見だが、イマヘイに高級ワインやシャンパンは似合わない。小便横丁で安い焼酎を呑んでいる姿が相応しい。

だって「うじ虫を描き続ける」と決意したひと、、、なのだもの。

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『復讐するは我にあり』までの道程を、ざっと眺めてみよう。

63年、女性の生命力の強さを「昆虫」になぞらえて見つめた『にっぽん昆虫記』を発表。
三大にわたる女の生涯を通し、イマヘイが描き出すのはセックス。
セックス、セックス、ひたすらセックスの物語。
主演・吉村実子が、徐々に可愛らしく見えてくるから不思議なものである。

64年、『赤い殺意』の発表。
タイトルだけだとサスペンスと勘違いするが、一般的な意味におけるサスペンス性は皆無。
しかし、肥満体のヒロイン(春川ますみ)が性に目覚めていくくだりは、ほかのサスペンス映画では味わうことの出来ないドキドキ感に溢れている。

66年、野坂昭如の原作を自由に解釈した『エロ事師たちより 人類学入門』を映画化。
ダッチワイフを創る男たちの悲哀を、ユーモラスに見つめた「ジャンル分けを拒否する」怪作である。

67年、前章で取り上げた擬似ドキュメンタリー『人間蒸発』を発表。
映画を学ぶ学生にとって、マストな作品だと思う。

そして68年、過酷な撮影環境のために嵐寛寿郎が脱走を試みた・・・というエピソードだけがひとり歩きしてしまった傑作『神々の深き欲望』を発表。
日本の土着性にこだわり続けるイマヘイらしい、神話を哲学する野心溢れる映画だった。

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このそっけない感じこそ、イマヘイである





つづく。
次回は、10月上旬を予定。

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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。

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劇的な馴れ初め、とは

2012-09-06 00:15:00 | コラム
「爆弾も、宅配便で届けられる時代らしい。こんな世の中に生まれてくる子どもは、可哀想だ」
「・・・」
「ごめん、つまらん愚痴だった。君の話は?」
「妊娠したの?」
「・・・妊娠?」
「二ヶ月よ」
「なぜ分かる?」
「(検査薬で)試したの。青に変わったから、病院に行ってきたの」
「でも俺たち、結婚もしてないぜ」
「気づいてた?」
「ひどいな」

「さっきの話、ほんとう?」
「なにが?」
「“こんな世の中に生まれてくる子どもは、可哀想だ”って」
「それは、あのときの話だ」
「あのときって、ほんの7秒半前の話よ」

「ねぇ、結婚しましょうよ」
「いやいやいや、そう焦るなって」
「プロポーズしてるのよ、応えて」


これは字幕に頼らない我流の翻訳であるが、米映画『ザ・ロック』(96…トップ画像)におけるプロポーズのシーンである。
(敬愛する批評家ピーター・トラバースは本作を「大袈裟な描写のオンパレード」と腐したが、監督がマイケル・ベイの「割には」筋がしっかりしていて、個人的にはけっこう好きだ。悪になりきれないエド・ハリスも素晴らしかったし、また、ヒロイン役のヴァネッサ・マーシルはこの映画でしか見ないが、えらくキュートだったし)


9月、10月、11月、12月と友人の結婚式が続く。

物入りでひぃひぃだが、葬式が続くよりかはいい。

こんな自分? でも結婚に関しては見返りを求めず、真に祝ってあげたい気持ちになる。
そのひとにとって人生の節目であることは確かだし、めでたい空気に「乗っかっち」まえば、自分もハッピーになれそうだし。

大金は包めない・・・代わりに、なにかちがった祝いかたをしようと心がけている。

そのまま、うまいこと? 夫婦生活を続けている場合は、呑み会などで「これ、奥さん(旦那さん)に」「これ、お子さんに」といったプレゼントも忘れない。
あまりにもマメなので相手が恐縮することが多いが、照れもあって「いや、ここで恩を売っておかないと、、、」と返すようにしている。
向こうも「それが礼儀」だと思って「すぐに」お礼を送ってくることが多いのだが、いやいや、だからここでプラスマイナスがゼロになっても困る、「ずっと先に」恩を返してくれよ、、、みたいな。


『ゴッドファーザー』(72)の冒頭や、この映画が参考にしたとされる『悪い奴ほどよく眠る』(60)のような、厳かに過ぎる結婚式は苦手だし、いや苦手というか出たことはなく、おそらく一生招待されることはないだろう、
それよか『ディア・ハンター』(78)の、切なくて温かい結婚式のほうが居心地がいいだろうし、自分が新郎になるときもああいう感じのをやりたい。


さて、10月と11月の結婚式に関して。
この二組は、ともにフェイスブック上で知り合い、結婚にまで繋げたカップルである。

時代だなぁ! と思うが、そういう自分だって現在のハニーとはネットで知り合ったんだっけか。

式で「ふたりの馴れ初め」を明かすとき、どう表現されるの? と彼ら彼女らに聞いてみたら、

「そのままっていうのは親の世代がよく思わないから、司会のひとに、うまいこと考えてもらう」とのことだった。

あぁそうかもしれない、自分の世代では抵抗感がないけれどね。

ただ、劇的、、、とまではいかなくとも、印象に残る馴れ初めというのは確かに憧れる。

うちのとーちゃんは、出勤途中、町の煙草屋さんでマイルドセブン一箱を購入するのが日課だった。
そこの看板娘をやっていたのがかーちゃんで、ふたりはそうやって出会ったという。

しかし、すぐにデートに誘わないのがいかにも昭和である。
とーちゃんは煙草屋の主人と話をつけ、それから口説きにかかったそうである。

ほっこりするエピソードじゃないか。

出会ってすぐにねんごろ、、、というのが理想? ではあるものの、馴れ初めのエピソードには出来ないからねぇ。

フェイスブックのカップルは既に「司会者に頼んでおいてある」というが、
おいおい、君らの知り合いには似非とはいえ、モノカキが居るのだから自分に頼めばいいのに・・・と、ちょっと寂しい気持ちになったのであった。


※「新郎の気持ちを代弁して、、、」といって、友人Kは元カノの披露宴にギターを抱え参上、この曲を歌ったそうである。
その結果、二次会で独身女性にモテモテ。
くそー、確かに格好いいだろうね。




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