Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

ツインテール症候群

2012-09-15 00:15:00 | コラム
最後に ♪ ○○しがち ♪ などと結ぶ、芸人RGの「すべりまくっている」歌芸が好きだ。

ジェームズ・キャメロンの「『アバター』あるある」の歌では、最後の最後に「♪ ジェームズ・キャメロンは、シガニー・ウィーバーに頼りがち ♪」と結んでいて爆笑した。けっこう的を得ていると思ったし。


こちら、「手羽あるある」の動画。面白いと思ったひとは爆笑出来るが、つまらんと思ったひとはクスリとも笑えない。


というわけで、自分の「しがち」なところを挙げていってみる。

(1)ハッタリをかま「しがち」。

(2)照れているときは、エロジョークでごまか「しがち」。(これは、複数の友人にいわれた)

(3)自慰の最中に声を出「しがち」。

(4)ふだんは「ゆる便」だが、いいものを口にしたときだけ硬い便に「なりがち」。

(5)どれだけ深刻な状態であっても、白くて美しい脚を見ると、こころを「乱されがち」。


(4)と(5)は法則として間違っている気もするが・・・

そして、

(6)「○○年代」やら「●●症候群」と「括りがち」。

これは、ほんとうにそう。
たとえば、自分は70年代米映画を聖典とする「70年代症候群である」―という風に。オリバー・ストーンかよ! ってね。

括って論じるというのは学者の常套手段だが、だから自分も学者気どりというわけなのだろう。

単に「70年代の米映画が好きだ」といえばいいのに、
「ぶっかけのAVが好きだ」といえばいいのに、
「格闘技が好きだ」といえばいいのに、
「血管が見えるくらいの白くてムッチリした脚が好きだ」といえばいいのに、

70年代症候群やら映画小僧やらAVマニアやら格闘技狂やら脚キチガイやらと、敢えて「なにかの症状を患っている」かのように表現する。
自身を病的に捉えることで、自意識を保っている・・・ということだろうから、なかなかに面倒臭いヤツである。

これで症候群を英語化して「70年代シンドローム」といい出したら(なんとなく)嫌味さが出るが、まだ症候群だから社会的に許されるのではないか、、、と、よく分からない弁護をしてみる。


そんな自分が最近患ったのは、ツインテール症候群である。

ツインテールとは和製英語で、ウィキペディアによると「長い頭髪を左右の中央あるいはそれより高い位置でまとめ、両肩に掛かる長さまで垂らした髪型の俗称」のこと。

タレントでいえば、AKBのまゆゆとか、AVのつぼみ(トップ画像)のヘアスタイルね。

いままで黒髪のロングが好きだったのだが、最近は寝ても覚めてもツインテールだ。
ハニーもツインテールにさせた(ほぼ強制)し、いよいよ末期か、こんな写真集まで購入しようとしている。


で、街にどれほどのツインテール美女が居るかを調査するため、
町田~八王子~多摩~府中~調布~世田谷を中心にサイクリング。

この日だけの調査で結論づけるわけにはいかないが、わずか2人しか居なかった。

あれ?

というか、

ガッデム!

である。

居たら居たで交通事故を起こすほど見惚れてしまうから、それでよかったのかもしれない・・・が、もう少し流行っていると思ったのだがなぁ!!


※70年代の映画を集めた動画。ここに出てくる映画のすべてを答えられたら、あなたも立派な70年代症候群です。




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明日のコラムは・・・

『短いというだけで不遇、解せねぇぜ。』

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シネマしりとり「薀蓄篇」(14)

2012-09-14 00:15:00 | コラム
とーく・れでぃ「お」→「お」ぐり・こうへい(小栗康平)

生き急ぐかのように新作を連発する映画監督が居て、ファンとして嬉しい反面、息切れしないのかと心配になることがある。

一時期の大島渚や黒沢清、現代でいうと「ひとりプログラムピクチャー作家」であろうとする三池崇史など。
(プログラムピクチャーとは簡単にいえば、映画館の「都合」によって制作される「時間調整的な」作品を指す。二本立てが基本だった80年代までの映画館で「重宝」され、つまり現代では「それを目的として」制作される作品はない)

心配とは書いたが、いつになっても新作が発表されない「寡作のひと」よりも深刻度は低い。
だって働いた分は、稼いでいるだろうから。
「寡作のひと」への心配は、「喰っていけんの?」という深刻度の高いものである。

まぁ、自分がいうことではないのかもしれない。
「オメーよりは、喰っていけるぜ」と返されそうだから。


喰っていけるから寡作なのか。
いや、そんなひとは稀で、その遅いリズムでしか映画を撮ることが出来ない、、、という体質なのだろう。

寡作のひとの代表格として挙げられるのは、(少し前までの)テレンス・マリックや晩年のキューブリック。

マリックに「少し前までの」とつけたのは、『ツリー・オブ・ライフ』(2011)が発表されたばかりなのに、既に新作『To the wonder』の公開が控えているから。
これは「たまたま」なのか、あるいは意識的なことなのか。

本人に聞くしか真相は分からないので、あれやこれやと推測しないことにする。

日本代表は、小栗康平と、現在の長谷川和彦で決まり。

ゴジこと長谷川は70年代にふたつの大傑作―76年の『青春の殺人者』、79年の『太陽を盗んだ男』―を発表したきり、新作を発表していない。
もはや伝説のひとであり、このくらい撮っていないと事実上の引退と解釈されるはずだが、本人は「いつか連合赤軍の映画を撮りたい」と元気にいっているし、伝説にすがりつく映画小僧たち(まぁ自分みたいなヤツ)もゴジに期待と幻想を抱き続けている。
ある意味で罪なひとだが、嫌々撮るよりかは「いま、ここだ!」というタイミングがくることを「気長に」待つべき、、、なのかもしれない。

小栗康平は自分と同じ群馬出身のひとで、寡作であるほかに、非商業的な映画を撮ることでも知られている。

81年の『泥の河』でデビューし、
84年に『伽倻子のために』、90年に『死の棘』(トップ画像)、96年に『眠る男』、2005年に『埋もれ木』・・・と、30年間のキャリアで5本しか映画を撮っていない。(『泥の河』で最も印象に残るのは、加賀まりこの艶っぽさではなく、クレジットに「小栗康平第一回監督作品」と記されていること、だった)

2年で5本を撮る三池監督と比べると笑ってしまうが、いろんなひとが居るから面白い。

ただ、そもそもが知名度の(比較的)低いひと。
マリックの場合は熱心な信者が「いよいよ新作がくるぞ!」と盛り上がってくれるが、小栗さんの場合は「やっと」出来た新作も、いつの間にか「ひっそり」と公開されているものだから、その非商業性が際立つ結果となっている、、、ような気がする。

もちろん余計なお世話だが、
『死の棘』の張り詰めた空気なんかタダモノではないと思うものね、
「これが映画だ」なんて煽っている惹句に負けず・・・と張り合う必要もないけれど、
配給会社さん、せめて「待望の」とか「満を持して」くらいの宣伝文句は考えてくださいね。

・・・って、そういうの、小栗さん本人が嫌がるのかも。


※ねぇ、元気に語っているでしょうゴジさん





次回のしりとりは、おぐり・こうへ「い」→「い」ざべる・あじゃーに。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(13)

2012-09-13 00:15:00 | コラム
らるご・えんたていんめん「と」→「と」ーく・れでぃお(トーク・レディオ)

モノを書くときに、よくBGMとしてネットラジオを流す。

スマホの浸透と3.11の余波によって、ラジオアプリをインストールするひとが増えたというが、
確かに「これじゃ、有線なんか儲からないよ」と思うほどに、ネットラジオの発展は凄まじい。

だって、無料なんだもの。
自分が愛用しているのは世界中のラジオ番組が聴ける『TuneIn Radio』というアプリで、
自分にとっての懐メロ「80年代洋楽」をノンストップで聴けるのがうれしい。

リスナーとして、ラジオ番組のDJ(ディスクジョッキー)あるいはラジオパーソナリティに葉書を送ったこと、メールを送ったこと、電話をかけたことが何度かある。

映画監督の井筒和幸や評論家の宮崎哲弥にモノ申したかったからだが、受話器越しに持論を展開するだけでも難しいのに、議論なんて無理な話だった。
ただ喋っているだけのように見えるが、技術が必要なことを知った。
アイドルがアイドルというだけでラジオ番組を持つことはよくあることだが、十中八九、面白くないものね。アイドル映画は許せるのに、この点に関してだけはアイドルを擁護出来ない自分なのだった。

88年制作の『トーク・レディオ』は、実際に起こったラジオDJの殺害事件を通して米国の闇に迫った映画。
監督はオリバー・ストーンで、出世作『プラトーン』(86)と『7月4日に生まれて』(89)のあいだに「ひっそり」「こっそり」と制作された小品だが、インパクトという点では『7月4日』を凌駕しているかと。

ただこの作品の功績は、ストーンというより、脚本と主演を担当したエリック・ボゴシアンにある、、、といったほうがいいかもしれない。
リスナーすべてに喧嘩を売るかのような、DJによる人種・宗教・政治への毒舌。
毒蝮さんの「ばばあ!」には愛があるが、このDJにそんなものはない。行き着く先に「死、しかない」ことは誰の目にも想像がつき、映画は彼が殺されるまでの日常を淡々と描写する。

物語のほとんどがラジオ局内で展開されるという映画は、ほかに『ラヂオの時間』(97)くらいしか思い浮かばない。
DJが重要なキャラクターとして登場する映画は、いくつかあるけれども。

実在する人気DJ、ウルフマン・ジャックが本人役で出演した『アメリカン・グラフィティ』(73)、
ロビン・ウィリアムス扮するDJの目を通してベトナム戦争を捉える『グッドモーニング、ベトナム』(87)、
DJが物語の案内役に扮する『ドゥ・ザ・ライト・シング』(89)、
物語の前半部分は『トーク・レディオ』とかぶる『フィッシャー・キング』(91…トップ画像)、
ラジオ番組そのものを主題とした『パイレーツ・ロック』(2009)、

変り種としては、DJの声だけで効果を出す『レザボア・ドッグス』(91)、
日本映画ではDJとはいえないかもしれないが、『Little DJ~小さな恋の物語~』(2007)なんていうのもある。


どんな素材をも取り込むことが出来るといわれている、映像の世界。

電話ボックスや救命艇だけで展開される物語もあるのだから、ラジオ局なんて(面積的には)広いほうなのだろう。
要は使いかたで、監督や脚本家の腕の見せ所、ということ。

その点で『トーク・レディオ』は教科書的な作品であり、カメラワーク/編集などがひじょうに凝った創りとなっている。

ただ残念というか、まぁこれは愛嬌として許せる範囲なのだが、
あまりにもカメラを動かし過ぎたせいか、ちょくちょく録音用のマイクが見えちゃっているのだけれどもね!!


※ラジオを歌った曲といえば、これしかないでしょう。
ビデオがラジオスターを殺しちまった、、、と。





あすは、とーく・れでぃ「お」→「お」ぐり・こうへい。

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汗をかかない大晦日なんて!

2012-09-12 00:15:00 | コラム
先日は早々と来年のカレンダーについて書いたが、とりあえず「ももクロの日めくり」と「橋本愛」のを予約した。

アイドルカレンダーの販売サイト…「北乃きい」も「石原さとみ」も「高梨臨」も捨て難い

「先へ、先へ」と考えるのは本来が「せっかち」である体質と、世の中を読まねばならぬというモノカキの性ゆえか、、、と格好つけてみる。

というわけで、大晦日について。

20代前半は、渋谷パンテオンが開催する「カウントダウン、オールナイト新作映画3本立て」で年越し。
ゲストの大川興業・総裁に「おめーら、映画オタクども!」と罵られる。

20代後半~去年までは、格闘技の興行観戦。
それが『Dynamite!!』であれ『男祭り』であれ『やれんのか!』であれ『元気ですか!?』であれ楽しめたが、最も印象に残るのは、やはり「三崎 VS 秋山」の決闘を最前列で観た『やれんのか!』であろう。

2回ほど「バイト先で過ごす」という年越しがあったものの、どちらにせよ、家で『紅白』か『ガキ使』を観てまったり過ごすという選択肢はなく、大晦日というものは汗をかきかき絶叫したり涙したりする日―という認識を持っている。

去年の大晦日の時点で翌年の大晦日も「さいたまに居よう」と決意した・・・のだが、
ちょっと今年は雲行きが怪しい。総合MMAのメジャー大会が一切ない状況下で、大晦日だけ開催されるというのは考え難い。そこに至る物語も出来上がっていないし、日本の大会出場に「うまみ」を感じる海外選手も居ないだろうから、誰も来てくれないのではないか。

開催しなかった、として。
さて、どうするべか。

帰省?

まぁ、それも手ではある。
ただ盆や正月ではない「ただの平日」に帰省することを恒例にしているので、却下。(帰省って、そんな風にこだわるものでもないとは思うが・・・)

ハニーと108回のピストン運動?

汗もかくし愛を育むことも出来るから、それはいいかも。

いやしかし、それはカウントダウンぎりぎりになってからのことで。

大晦日の晩はどうするかって話である。

ももクロが念願の紅白出場を「ほぼ」確定状況にしているし、きゃりぱみゅもPerfumeも出そうだし、『ガキ使』を録画して、何十年かぶりに『紅白』をきちんと鑑賞するというのが最有力の候補だろうか。

それはそれで楽しめるのだが、一抹の寂しさはある。

裸の男どものガチンコ勝負に喝采を送る―そんな大晦日の過ごしかたが出来るのは、おそらく日本だけ。

ミノワマンの入場で盛り上がり、
青木の関節技に慄き、
五味の失神KOで大爆発、
シメとして、ヒョードルの磐石の戦いを堪能する。

いつまでも「昔は、えがった」という気はないが、もう1度あのころの熱を取り戻せないものだろうか・・・そんな風に考えながら、今宵も大晦日を思うのだった。


※そんな青木は来月上旬、海外でメイン(たぶん)を務める。
そのトレイラーが、これ。
サッカーボールキックが「解禁」されるルールというので、それだけは気をつけてね。

なんか映像のエフェクトがきつ過ぎるので、青木が悪魔のように見えるけど。
まぁ青木は一部から「青鬼」と揶揄されるくらいなので、このくらいのバケモノ感がちょうどいいのかもしれない。




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初体験 リッジモント・ハイ(17)

2012-09-11 05:09:48 | コラム
映画とカラオケの話を書いて、きのう取り上げなかった作品をひとつ思い出した。

北野武の第二作『3-4X10月』(90)に、スナックでダンカンが中島みゆきの『悪女』を歌うシーンがある。
ひどく調子っぱずれだが、そんなヘタッピな『悪女』をBGMにして渡嘉敷勝男による暴力が描写され、独特な空気が出来上がっている。
こういう北野映画の場面作りには、ほんとうに感心する。

さて。
トップ画像は、たぶん20歳のころの自分だ。
スーツ似合わねぇ、、、と自分でも思うのだから勘弁してほしい。

そういえば一度、カラオケボックスで血を見たことがある。

酔いどれて少し吐こうと思い、トイレに向かったのだが、その途中にあるフロント周辺が鮮血に染まっていた。
直後にパトカーが「何台も」到着し、殺人でも起こったのかと思った。

警官に「入店は断って。あと、いま入っているお客さん、ぜんぶ出して」といわれた店長さんはオロオロするばかりでなんの行動も起こせない。おかげで? 自分たちは騒ぎが収まるまで出されなかった。(ただ、それ以降の入店だけは断っていたようである)

あとで聞いてみたら、死人は出なかったという。
ホッとしたが被害者がひとりだと分かり、その血があまりにも大量だったものだから、どんだけ刺されたんだ/あんだけ血を流しても、ひとって死なないんだ・・・という、ふたつの驚きを抱いたものだった。

ところで。
パトカーが到着してから30分後くらいに、加害者と見られる男が警察に連行されたのだが、その男の顔を見てギョッとした。
自分たちが入店した際、フロント前でぎゃーぎゃー騒ぐ男が居て、その時点で「ヒトダカリ」が出来ていたのである。

男は野次馬に対し「見世物じゃねーぞ!」と威嚇する。

それを聞いて大半はその場を去ったが、入店直後の自分たちは「それまでの展開」が分からなかったのと酔っていたのとで気分が大きくなっていて、
仲間のひとりが「見てくださいっていうくらい、声がでけーじゃねーか」と発してしまったのだ。

幸い男には聞こえていなかったようだが、そばに居た見知らぬケバケバねーちゃんに「そんなこといったら、あんたたちも巻き添え喰らうわよ」といわれたのである。

で、その1時間後に鮮血、、、と。

「見世物じゃねーぞ!」といった男が加害者であることはいうまでもないが、被害者が誰かは分からない。

確かにケバケバねーちゃんのいうとおり、刺されていたのは自分の仲間や自分だったかもしれない―と想像して、怖くなったっけ。


小窓に洋服をかけたら外から見られないことから、エッチに至るけしからん連中も居る。
自分の記憶が確かならば、犯罪史に残るスーパーフリーの連中も、カラオケボックスを犯行の場(輪姦)に使ったことがあったような。

ただ現代よりも、もっとエロスや犯罪の臭いが濃厚だったのは80年代ではなかろうか。
地方のカラオケボックスで目立ったのが、「トラックのコンテナを再利用して設置したもの」だからである。

こんなかんじ

自分のカラオケ初体験も、そんなコンテナ系? カラオケボックスだった。

コンテナだからなにを持ち込んでもオッケー、まだ酒や煙草の旨さなど分からないのに、女子が居るわけでもないのに、缶ビールを持ち込み、煙草を吸って格好つけたりもした。

曲の合間合間に会話が展開されるわけだが、
そんな童貞野郎だけで展開される内容なんて、誰もが想像出来る「世界で共通する」ものだ。

1日何回くらい自慰しているのか。
誰をネタにしているのか。
ダレソレが童貞を捨てたらしい。などなど。

教室で展開されている内容とほぼ同じであるにも関わらず「コンテナのカラオケボックス」という「ちょっとした」非日常の背景によって、いつもとはちがった話に聞こえる。

かわいいもんだよ、現代の発育・経験の進んだ高校生に比べれば。
羨ましさからくるヒガミみたいなものだが、このカラオケボックスの場で「まっき~のことを、いいといっている女子が居る」と友人がいい出した。

というわけで、次回の初体験のテーマは「初めてのデート」にしてみよう。


※さぁ歌いましょう




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