18年4月17日生まれ・81年11月12日死去、享年63歳。
アメリカ出身。
ウィリアム・ホールデンですぐに想起するのは、ふたつ。
自分が映画好きになったころにはすでに故人であったからでしょう、
キャリア後期の代表作『タワーリング・インフェルノ』(74)の、138階ビルの社長ダンカンですね。
タイタニックの設計者や船長と同質キャラ、つまり「自信作が脆くも崩れ去っていく」瞬間に立ち会い、世の不条理を嘆く、、、っていう。
また娘婿があんな感じですからね、とっても気の毒でした( ;∀;)
そしてもうひとつ。
ひょっとしたら最愛のひと。だったかもしれないバーバラ・スタンウィックが、オスカー名誉賞を受賞したときのスピーチ。
すでにホールデンは死去、
共演することの多かったスタンウィックは、初共演作にちなみ「わたしのゴールデンボーイ、夢が叶ったわ」とスピーチを締めくくったのです。
<経歴>
細菌学者という渋い道を志すも、途中で演ずることに興味を抱きパサディナ・プレイハウスで演技を学ぶ。
そこでスカウトされ映画界へ。
映画俳優デビュー作は、39年の『ゴールデン・ボーイ』。
瞬く間にスター候補として注目されるも、同年から始まった第二次世界大戦のため軍務につく。
これでタイミングが狂ったか、復員後は伸び悩む。
(ホールデンがオスカーを撮ったとき、このころを回顧しスタンウィックに謝辞を送りました。前述したスタンウィックのスピーチは、それを受けてのことなのです)
50年、ビリー・ワイルダーによる傑作『サンセット大通り』に出演。
これが浮上のきっかけとなり、
『太平洋の虎鮫』(51)を経た53年に『第十七捕虜収容所』でオスカー主演賞に輝く。
これやっぱり50年代のマスターピースですよ、新規映画ファンにはあまり観られていない気がするけれど。。。
ボギー、オードリーと共演した洒脱なロマンス『麗しのサブリナ』(54)、
『喝采』(54)、淡路恵子と共演した『トコリの橋』(54)、
この手の物語には関心なかったはずの自分でさえグッときた『慕情』(55)、
『ピクニック』(55)、
反戦映画のクラシック『戦場にかける橋』(57)、ジョン・フォード後期の佳作『騎兵隊』(59)、再びオードリーと共演した『パリで一緒に』(63)、丹波哲郎とも共演した『第七の暁』(64)、『007 カジノ・ロワイヤル』(67)、『ワイルドバンチ』(69)。
70年代に入るとさすがに失速しますが、それでも前述した『タワーリング・インフェルノ』や『ネットワーク』(76)、『オーメン2/ダミアン』(78)、『世界崩壊の序曲』(80)などで元気な姿を…と記したいところですが、じつはこのころ、重度のアル中だったようです。
81年11月12日―自宅で酒に酔い転倒、テーブルに頭部を強打して死去してしまいます。
失血死、享年63歳。遺作は『S.O.B.』(81)でした。
絶句、なんともあっけない…。
こういうことも、あるんですね( ノД`)
次回の男優列伝は、ウィル・スミスさんから。
思いのたけをぶちまけたいので、2夜連続にするかもしれません。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛運動』
アメリカ出身。
ウィリアム・ホールデンですぐに想起するのは、ふたつ。
自分が映画好きになったころにはすでに故人であったからでしょう、
キャリア後期の代表作『タワーリング・インフェルノ』(74)の、138階ビルの社長ダンカンですね。
タイタニックの設計者や船長と同質キャラ、つまり「自信作が脆くも崩れ去っていく」瞬間に立ち会い、世の不条理を嘆く、、、っていう。
また娘婿があんな感じですからね、とっても気の毒でした( ;∀;)
そしてもうひとつ。
ひょっとしたら最愛のひと。だったかもしれないバーバラ・スタンウィックが、オスカー名誉賞を受賞したときのスピーチ。
すでにホールデンは死去、
共演することの多かったスタンウィックは、初共演作にちなみ「わたしのゴールデンボーイ、夢が叶ったわ」とスピーチを締めくくったのです。
<経歴>
細菌学者という渋い道を志すも、途中で演ずることに興味を抱きパサディナ・プレイハウスで演技を学ぶ。
そこでスカウトされ映画界へ。
映画俳優デビュー作は、39年の『ゴールデン・ボーイ』。
瞬く間にスター候補として注目されるも、同年から始まった第二次世界大戦のため軍務につく。
これでタイミングが狂ったか、復員後は伸び悩む。
(ホールデンがオスカーを撮ったとき、このころを回顧しスタンウィックに謝辞を送りました。前述したスタンウィックのスピーチは、それを受けてのことなのです)
50年、ビリー・ワイルダーによる傑作『サンセット大通り』に出演。
これが浮上のきっかけとなり、
『太平洋の虎鮫』(51)を経た53年に『第十七捕虜収容所』でオスカー主演賞に輝く。
これやっぱり50年代のマスターピースですよ、新規映画ファンにはあまり観られていない気がするけれど。。。
ボギー、オードリーと共演した洒脱なロマンス『麗しのサブリナ』(54)、
『喝采』(54)、淡路恵子と共演した『トコリの橋』(54)、
この手の物語には関心なかったはずの自分でさえグッときた『慕情』(55)、
『ピクニック』(55)、
反戦映画のクラシック『戦場にかける橋』(57)、ジョン・フォード後期の佳作『騎兵隊』(59)、再びオードリーと共演した『パリで一緒に』(63)、丹波哲郎とも共演した『第七の暁』(64)、『007 カジノ・ロワイヤル』(67)、『ワイルドバンチ』(69)。
70年代に入るとさすがに失速しますが、それでも前述した『タワーリング・インフェルノ』や『ネットワーク』(76)、『オーメン2/ダミアン』(78)、『世界崩壊の序曲』(80)などで元気な姿を…と記したいところですが、じつはこのころ、重度のアル中だったようです。
81年11月12日―自宅で酒に酔い転倒、テーブルに頭部を強打して死去してしまいます。
失血死、享年63歳。遺作は『S.O.B.』(81)でした。
絶句、なんともあっけない…。
こういうことも、あるんですね( ノД`)
次回の男優列伝は、ウィル・スミスさんから。
思いのたけをぶちまけたいので、2夜連続にするかもしれません。
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明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛運動』