NEST OF BLUESMANIA

ミュージシャンMACが書く音楽ブログ「NEST OF BLUESMANIA」です。

音盤日誌「一日一枚」#35 ルースターズ「FOUR PIECES LIVE」(日本コロムビア)

2021-12-16 04:27:00 | Weblog

2001年4月22日(日)



ルースターズ「FOUR PIECES LIVE」(日本コロムビア)

今日の一枚は、「私の推薦盤」(注1)にも登場したルースターズのライブ盤。

それも、88年7月22日の渋谷公会堂における解散コンサートの模様を収めたものである。

花田裕之、下山淳、穴井仁吉、三原重夫という最後のメンバー4人に、現在R&B系プロデューサーとして活躍中の朝本浩文(当時MUTE BEAT)がサポート・キーボーディストとして加わっている。

演奏ナンバーは、アルバム・タイトル通り、最後のオリジナル・アルバム「FOUR PIECES」からの曲を中心に15曲。

非常にタイトで安定したビート、サイケデリックなギター・サウンド、そしてラフでソウルフルなボーカルと、ルースターズのベストな音が楽しめる。

とにかく、演奏力のレベルの高さには、舌を巻くものがある。

本場英米のバンドに比べて、とかくリズムが弱点といわれる日本のロック・バンドだが、そんなことはこと後期ルースターズについては絶対にあてはまらない。

とにかく、グイグイと聴き手を引っ張っていくような、強力なグルーヴが気持ちよい。

ブルースに根ざした、下山淳の泣きのギター・プレイも、実にカッコいいんだわ、これが。

そして、なんといってもフロントマン、花田裕之のボーカル。

まあ、ヘタウマ系ではあるんだが、その突き放したような歌声が、バンドのサウンドのキモといえそう。実にイカしております。

「(Standing at)THE CROSS ROAD」なんて、まさにブルース・スピリットの溢れ出るような彼のオリジナルもグー。

アンコールでは、花田以外のオリジナル・メンバー、大江慎也(vo)、井上富雄(b)、池畑潤二(ds)も加わって、8人で「C.M.C.」を演奏。

大江のヘタウマぶりは、花田をさらに上回っていて(笑)、これまたエクセレント。

ラストは5人での演奏に戻って、「PASSENGER」でルースターズとしての幕を引くことになる。

人気的、セールス的には今ひとつだったかも知れないが、音楽的には頂点に達したところでの、解散。

その後、それぞれのルースターたちは、また新たな音楽世界へと向けて羽ばたいていった。

プレイヤーとしてだけでなく、コンポーザー、プロデューサーとしても、確かな手ごたえのある作品をつくりあげて、現在に至っている。

やはり、実力のある者は、いくつになろうが、息の長い活動を続けていくことが出来る。

多くの若いミュージシャンたちの支持をうけ、トリビュートされているということでは、昨日のスモール・フェイシズと同様だ。

今後も彼らのアルバムは復刻され、聴き継がれていくに違いない。それだけの、クォリティはある。

日本のロックにも、こんなスゴいライブ・アルバムがあるのか!という目からウロコの一枚。

現在入手はかなり困難だが、隠れた名盤として埋もれさせるには、余りに惜しい一枚。

レコード会社サン、再リリース、よろしゅうたのんまっせ!

(注1) http://www.macolon.net/recommend.htm


音盤日誌「一日一枚」#34 スモール・フェイセズ「OGDEN'S NUT GONE FLAKE」(CASTLE COMMUNICATIONS)

2021-12-15 04:13:00 | Weblog

2001年4月21日(土)


スモール・フェイセズ「OGDEN'S NUT GONE FLAKE」(CASTLE COMMUNICATIONS)

「スモール・フェイセズ」、ご存知のかたはどのくらいおられるだろうか。

1965年にスティーブ・マリオット(vo,g)、ロニー・レイン(b)を中心に結成され、8月にシングル「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット」でデビューしたイギリスの4人組。

デッカ、イミディエイト、ふたつのレーベルに数多くのレコーディングが残されている。

代表的ヒットは「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」「イチクー・パーク」「レイジー・サンデイ」など。

「イチクー・パーク」は本国のみならず、アメリカでもチャート・インしている。

だが、グループ結成4年目の69年3月、スティーブがハンブル・パイ結成のため脱退し、かわりに元ジェフ・べック・グループ(第一期)のロッド・スチュアート(vo)、ロン・ウッド(g,JBGではb)のふたりが加入、新生スモール・フェイセズが出発。

ほどなくグループ名もフェイセズに変えて、ワーナーから再デビューすることになる。

と、ここまで書けば、おおかたの皆さんはピンとこられたハズ。

「スモール・フェイセズ」は、ロッド・スチュアートをスターダムにのし上げた「フェイセズ」の前身なのである。

さて、本題。

この「OGDEN'S NUT GONE FLAKE」という奇妙なタイトルとジャケット(オリジナルのお皿では、円形のジャケットだった!)を持つアルバムは、日本ではほとんど騒がれなかったものの、本国イギリスでは大ベストセラーとなったレコードなんである。

68年6月にリリース、全英アルバム・チャート6週連続ナンバーワン獲得という輝かしい記録を残している。

なにせ当時はビートルズの全盛期。チャートの最上位は常に彼らが独占していた時代だっただけに、この記録がいかにスゴいものかおわかりいただけるだろう。

そんなモンスター・アルバムならさぞや、大ヒット曲が満載されているんだろうと期待するのだが、あにはからんや。

たしかに「レイジー・サンデイ」という、全英第2位のスーパー・ヒットを擁してはいる。これはR&B色の濃いスモール・フェイセズとしては異色のポップな曲である。

「レイジー~」以外の目玉曲としては、前年の11月にヒットした「涙の少年兵」(全英第9位)もラストに収録。これはライブ・バージョンである。

しかし、それらヒット曲以外はかなりシブめのナンバーが中心だ。

「レイジー・サンデイ」とカップリングの「ローリン・オーヴァー」なぞは、スティーブの多重録音ボーカルがまことにソウルフルな、のちのハンブル・パイを思わせるハード・ロック・サウンド。

「アフターグロウ」も、「レイジー~」とは対極の、うねるように熱~いR&Bサウンド。イアン・マクラガンのハモンド・オルガン・プレイが実にイカしている。

翌年の3月にシングル・カットされたものの、シブすぎたのか全英チャートでも第36位どまりであった。

R&Bやハード・ロック系以外には、実験音楽風インストゥルメンタルあり、環境音楽風あり、ブラスバンド風あり、フォーキーなものありと、きわめてバラエティに富んでいる。

アルバム全体の作りとしては、ナレーションを加えて物語風にしたコンセプト・アルバム。

当然これは、前年リリースされたビートルズの「サージェント~」やストーンズの「サタニック~」あたりを意識したものと思われる。

全編に「ヒット・シングルの寄せ集め」としてのアルバム作りを脱し、さまざまな音楽実験を試みようという意欲が強く感じられ、今聴いてみてもまるで古臭さを感じさせない。

近年、ポール・ウェラー(元スタイル・カウンシル)を中心にスモール・フェイセズ再評価の動きが活発化している。

96年には彼やミック・タルボット(同上)、オーシャン・カラー・シーンらにより、「A Tribute To The Small Faces」なるトリビュート・アルバムが制作されている。

時代を超えて多くのアーティストたちに直接・間接に影響を与え続けていることがよくわかる。

ブリティッシュ・ロック・シーンにおける、最重要バンドのひとつといえるスモール・フェイセズ。

そんな彼らのシャレっ気にあふれた最高傑作、ぜひ一度チェックしてみてほしい。


音盤日誌「一日一枚」#33 マウンテン「SUPER HITS」(COLUMBIA/LEGACY)

2021-12-14 04:36:00 | Weblog

2001年4月15日(日)

マウンテン「SUPER HITS」(COLUMBIA/LEGACY)

マウンテン、といっても、若いリスナーにはとんとなじみのないグループ名だろうな。

なにせ、30年前に活躍していたロック・バンドなのだから。

レスリー・ウェストのソロ・プロジェクトとしてスタートしたのが、1969年。同年ウッドストック・フェスティバルでのパフォーマンスで一躍注目され、何枚かのヒット・アルバムを出すも、72年に解散。その後、ウェスト・ブルース&レイングとしての活動を経て、74年に再結成。

しかし、長続きせず、再び解散。グループの音楽的中心であったフェリックス・パッパラルディは、もはやこの世にはいない。

実にその活動期間は短い。

しかし、「太く短く」というか、短期間に非常に内容の濃い作品を残したのも事実である。

かつて、ヤングブラッズやクリーム等のプロデューサーとして高い評価を受けていたパッパラルディ。

その彼が自らバンドを結成、ハード・ロックの向かうべきひとつのベクトルを明示したのである。

一言でいうならば、ハードながらもメロディを重視し、楽器での高度なハーモニーを導入したロック。

ボストン、カンサス、スティクス、フォーリナーら、後続の多くのバンドに、マウンテンのこの方法論が引き継がれることになる。

日本でも、SHOGUNやクリエイションあたりにかなりその影響が感じられると思うのだが、いかがであろう。

このアルバムは、そんなマウンテンのヒット曲を中心に10曲を収録(再結成後の曲は1曲)。

「ミシシッピー・クイーン」「想像されたウェスタンのテーマ」をはじめとして、いずれもタイトで歯切れのいいサウンド、哀感のあるキャッチーなメロディが光っている。

「暗黒への旅路」の、あのおなじみのフレーズは、今聴いてもゾクゾクする。

ウッドストックがらみの「フォー・ヤスガーズ・ファーム」のようなバラードも、味わい深い。

ベースにあるものはブルースながら、クラシック、トラッド・フォークなど、さまざまな他のジャンルの音楽をブレンドし、音楽的にきわめて奥行きのある作りだ。

彼らのキャッチ・フレーズ「バッハが作ったブルース」は、まさに言いえて妙である。

そして、曲作り、アレンジのうまさもさることながら、巨漢レスリー・ウェストのパワフルなギター・プレイも聴きもの。

ツヤと伸びのある音色、絶妙な泣きとタメ。とにかく、今でも十分「使える」おいしいフレーズ、リフがテンコ盛りなのである。

ギタリストなら、ぜひチェックすべし。

きょうびのただ速いだけの超絶テク・ギタリストたちのプレイより、よっぽどパクり甲斐があると思う。

個人的な意見でいえば、あと「アニマル・トレーナー」と「ロール・オーバー・ベートーベン」も入ってれば100点満点だったが。

したがって90点。

はじめてマウンテンを聴かれるひとにもお薦め。

もし気に入ったら、「ナンタケット・スレイライド」「悪の華」等のオリジナル・アルバムも、ぜひどうぞ。


音盤日誌「一日一枚」#32 エルヴィス・プレスリー「リコンシダー・ベイビー」(RCA)

2021-12-13 04:26:00 | Weblog

2001年4月14日(土)



エルヴィス・プレスリー「リコンシダー・ベイビー」(RCA)

のっけから言ってしまうけど、これはひさびさの超おススメ盤。

キング・エルヴィスは黒人音楽をルーツとして世に出てきたが、彼が1956年から71年までの間にレコーディングしたブルース/R&Bの名曲12曲をコンパイルしたもの。彼の死後の85年発表。

ただの既発表曲の寄せ集めじゃあない、貴重な未発表音源や別テイクも収められている。

まずは、タイトル・チューン「リコンシダー・ベイビー」でスタート。これはもちろん、ローウェル・フルスン54年のヒットのカバー。

これがまた実にカッコいいんだな。シンプルなバックにのせて聴かせるエルヴィスのボーカルは、中低音を効かせたふだんの甘い歌声でなく、ハイトーン中心の切れ味鋭いものだ。

黒人ブルースマンのそれとはまるで違った、実にユニークなブルース・ボーカル。ジャカジャカとミディアム・ビートを刻む彼のアコギ・プレイもグー。

この1曲だけでも聴く価値ありという感じだが、他のナンバーも負けじといい。

「トゥモロー・ナイト」は、以前にこの「一日一枚」の、3月10日の項で紹介したロニー・ジョンスン最大のヒット。

曲調一転、ロニーばりの甘~くささやくようなバラードが楽しめる。女性向きかな。

「ソー・グラッド・ユー・アー・マイン」は、ロックン・ロールの父と呼ばれるアーサー・クルーダップの作品。

「ロックアルバムで聴くブルース」の「COSMO'S FACTORY」の項も参照していただきたいが、クルーダップはロイ・ブラウンあたりと並んで、デビュー当時のエルヴィスが最も愛聴していたアーティストのひとりだ。ビート感あふれる名曲を数多く書いている。

彼が最初にサン・レコードで録音した「ザッツ・オールライト」もクルーダップの曲だったということからも、入れ込みようがよくわかるだろう。

「ワン・ナイト・オブ・シン」は58年の同題のヒットとは別テイク。

「恋は激しく」は、サン・レコードの先輩歌手、ビリー・ザ・キッド・エマースンのカバー。

CCRもカバーしている「マイ・ベイビー・レフト・ミー」(56年のヒット)は、これまたクルーダップの作品。クレジットはないが、ジェイムズ・バートンとおぼしきギター・ソロが実にクールで、CCR版もこれをまんまパクったって感じである。

64年のヒット曲「ラビング・ユー・ベイビー」は、58年の先行テイクを収録。

「アイ・フィール・ソー・バッド」も、タイトなビート感覚が実にイカしたブルースだ。

「シー・シー・ライダー」のオリジナルを歌ったR&B歌手、チャック・ウィリス54年の作品と聞けば、納得である。

「横町を下って」は、サーチャーズのヒット「ラブ・ポーションNo.9」のオリジナルを歌った黒人グループ、クローヴァーズの作品。これまた、ブルーズィー。

「ハイ・ヒール・スニーカーズ」は、ワタシ的にはホセ・フェリシアーノのレパートリーというイメージが強いが、元をたどれば64年のトミー・タッカーのヒットがオリジナルとか。

「ストレンジャー・イン・マイ・オウン・ホーム・タウン」は名曲「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラブ」を書いた、かのパーシー・メイフィールドのカバー。

エルヴィスのボーカルもご本家に負けず、哀愁に満ちていて、言うことなし。

ラストの「メリー・クリスマス・ベイビー」は、もちろんチャールズ・ブラウンでおなじみ、幾多のブルースマンによってカバーされてきたナンバーだ。tbのホトケ氏もお気に入りの名曲。

収められているのは、アルバム版、シングル版とも異なる、第三のヴァージョン。ここでも、きわめてディープで熱いエルヴィスならではのブルース・ワールドが7分以上にわたって展開される。これは、絶対聴くべし!

残念なことに、国内版CDは廃盤、輸入盤か中古で探すしかないようだが、足を棒にしてでも探す価値はある!と断言してしまおう。

そのくらい、ブルース・スピリッツの「真髄」のようなアルバムなのである。

20世紀を代表するシンガーのひとりでありながら、今ではパロディ、茶化しの対象としてしかクローズ・アップされることのないエルヴィスだが(西田敏行、東貴博のネタにされるのは気の毒!)、人気ではともかく、その実力を超えるシンガーはいまだに現れていないように思う。

もし、神が声を発するとしたら、それはさだめしエルヴィスの声だ、と誰かが言っていたように記憶しているが、彼の歌声こそ、まさに「神の歌声」なのだ。

カレントのもの、流行りのものしか聴かない、知らないガキんちょどもはこの際ほっといて、在りし日のエルヴィスを思いつつ、この一枚、ぜひ聴き込んでほしい。

肌色の白黒など超えた、「究極のブルース」がそこにあるから。


音盤日誌「一日一枚」#31 レイ・チャールズ「BEST OF RAY CHARLES」(ビクターエンタテインメント)

2021-12-12 04:13:00 | Weblog

2001年4月8日(日)


レイ・チャールズ「BEST OF RAY CHARLES」(ビクターエンタテインメント)

先週、ブルース・ブラザーズを取り上げたときに、レイ・チャールズについても少しふれたが、それもあって89年に出たこのベスト盤をひさしぶりに聴き直してみた。

レイ・チャールズ、いまさらくだくだしく紹介するまでもない、アメリカ音楽界を代表する超ベテラン・シンガー。

1930年生まれ、ローウェル・フルスンのバック・ピアニストとしてプロのキャリアをスタートさせ、それが縁で49年歌手としてデビュー、以来50年以上にわたって活躍し続けてきたひとだ

これまでにリリースしたアルバムは優に70枚以上、ヒットシングルも80曲以上、ソウル・チャートでのNo.1ヒットは10曲、グラミー受賞も10回を超えている。ものスゴいレコード・ホルダーである。

現在の全米音楽業界での「プレジデント」的存在であることは、まちがいないだろう。

しかし、私が思うに、彼の一番スゴいところは「(音楽で)垣根をつくらない」という姿勢だと思う。

黒人ミュージシャンのおおかたは、R&Bの別名、「レイス・ミュージック」という言葉そのままに、自分と同じ黒色人種の人々だけを対象に、その音楽を生み出してきたものである。たとえば、ボビー・ブランドのように。

しかし、レイは決して黒人だけのために自分の音楽を作ろうとはしなかった。

彼はR&B、ゴスペルをベースに、ジャズのフレーバー、そして元来は白人の音楽であるカントリーのセンスも積極的に取り入れて、ジャンルを超えた類例のない世界を作り上げた。

黒人音楽は、黒人が聴くべきもの。そういう固定観念を、彼は見事に打ち破った。そして、白人においても多くのリスナーを獲得し、多くのブルー・アイド・ソウル歌手にも影響を与えたのである。

彼をR&B歌手だのカントリー歌手だのとカテゴライズすることなど、まったく無意味なことであろう。ただただ「歌手(シンガー)」、こう呼ぶのが正しい。

ところで、このアルバムは89年に日本でのみリリースされヒットした「エリー・マイ・ラブ」(サザンの「いとしのエリー」の英語版)がらみで企画された、ABCレコード時代(59年~73年)のベスト盤である。

「ジョージア・オン・マイ・マインド」「愛さずにはいられない」「アンチェイン・マイ・ハート」といった大ヒット16曲に、その「エリー・マイ・ラブ」を加えて収録。

もともと、「エリー・マイ・ラブ」はサントリー・ホワイトのCFのために仕掛けられたタイアップ企画であるが、そのため巨額の日本円が彼に支払われたことは、想像に難くない。

また、レイは、近年和田アキ子ともステージで共演したりしている。

このあたりのレイの動きに対して、批判的な意見も当然存在する。

アメリカのミュージック・シーンの頂点―つまりは世界の頂点でもある―を極めたようなひとが、いくら高額の条件とはいえ、「格下」もいいところの日本のミュージシャンたちにホイホイと協力するなんて、何事だという批判である。

しかし、私の見るところでは、レイはただ金欲しさだけで、そういうことをやっているわけではない。

レイ・チャールズというひとは、音楽で垣根を作らないのと同様、人付き合いでも垣根を作らないひとなのである。

自分のこと、自分の音楽を好きだというミュージシャンがいれば、格が自分より上だろうが下だろうが、その音楽に耳を傾け、気に入れば協力する。

そういう、根っからリベラルな考え方のひとなのである。相手が自分と同じ黒人であろうが、白人であろうが、はたまた東洋人であろうが、関係ない。

彼は盲目であるがゆえに、目に障害を持たない人々よりむしろ、先入観・偏見のたぐいから解放されているのかも知れない。

私たちは目が見えているがゆえに、視覚的情報に翻弄され、かえって多くの偏見を抱え込んでいる。

本来、自由で差別のない世界を目指すべき「音楽」にまで、白いだ黒いだ美形だブスだといった「ものさし」を持ち込んでしまっているのである。

音自体には「白い音」も「黒い音」も実は存在しない。私たちの意識がそういうフィルターを勝手にかけているだけなのである。

このシンプルな文字だけのデザインのCDジャケットには、彼のあの特徴ある顔の写真すら使われていない。

彼が黒人であることなど意識せず、ただただ虚心に、彼の歌声だけを聴くべし。

そう、このジャケットは語りかけているのも知れない。


音盤日誌「一日一枚」#30 ミック・テイラー「シャドウ・マン」(アルファ・ミュージック)

2021-12-11 04:26:00 | Weblog

2001年4月7日(土)



ミック・テイラー「シャドウ・マン」(アルファ・ミュージック)

ミック・テイラー、もちろん元ブルース・ブレイカーズ、元ストーンズの、あのミック・テイラーである。

1948年生まれの現在53才。その豊富なキャリアの割には若いともいえるが、ま、けっこういいトシではある。

20代のころはロック界屈指の美青年とうたわれた彼も、さすがに貫禄がついて、ふくよかなフツーのオジサン風になってしまった。

ピーター・フランプトンほどの変わりようではないけどね。

でも、ミック・テイラー、まだまだミュージシャンとして健在なり、ということを教えてくれるのが、96年発表のこのアルバムだ。

ハードなツアー、パーティでのバカ騒ぎに明け暮れていた、ストーンズとしての生活にさっさと見切りをつけて脱退したのが、74年暮れ。

以来、マイペースを絵に書いたような音楽活動を続けている。

79年にようやくファースト・ソロ・アルバム「ミック・テイラー」を発表、以後、寡作ながらもソロ作をリリースする一方で、ボブ・ディラン、ジョン・メイオール、ジョーン・ジェット、キース・リチャーズらとのセッションワークを残している。

日本でも根強い人気があり、87年、89年、92年と、たびたび来日公演を行っている。

そんな彼も、一時はフュージョン寄りのサウンド指向になり、ファンの評判はいまイチであったが、90年代にはまた彼自身のルーツ・ミュージックであるブルースへ戻ってきた。

やはり、彼にはブルース、それもアメリカ深南部の「濃い」ブルースが似合う。

このアルバムでは、曲作りや歌はもっぱらリード・ボーカルのサーシャ(オーストリア出身)にまかせて、自らはプレイヤーに徹している。

これが実に味わいのあるプレイだ。

おなじみのギブソン・ギター(メインはLPスタンダード、ほかにSGなど)で奏でる、伸びのある艶やかな音色はむかしと変わらない。

「ドント・クライ・リトル・ウーマン」での泣きのプレイなぞは、鳥肌モノだ。

また唯一のカバー、ストーンズ時代の名曲「ホンキー・トンク・ウーマン」でのスライド・プレイは、オリジナルとはまた一味違ったブルーズィーな名演だ。

サーシャの歌もソウルフルで力強く、ミックのギターになじんでいる。曲もアーシーな味わいがあり、いま注目のアーティストだ。

こういう自分より20才近く若い才能を見出して起用していくことも、ミック・テイラーの感性の柔らかさの証しといえるだろう。

「売れる音」とは到底いえないが、何度聴いても飽きのこないシンプルで良質のロック。

流行りものを追っかけることより、本当の本物だけをじっくり聴きこんでいきたい、そういうひとにぜひお薦めしたい一枚である。



音盤日誌「一日一枚」#29 ブルース・ブラザーズ「ディフィニティヴ・コレクション」(イーストウェスト・ジャパン)

2021-12-10 06:30:00 | Weblog

2001年4月1日(日)



ブルース・ブラザーズ「ディフィニティヴ・コレクション」(イーストウェスト・ジャパン)

ああ、もう四月か、早いもんだ。世間じゃ入社式の季節だが、こちとら会社に入ってまる20年がたっちまったい、なんてこった!などとボヤきつつ聴くのは、これだ。ブルース・ブラザーズ。

とにかく、選曲がいいよなぁ。ジョニー・テイラーの「フーズ・メイキング・ラヴ」とか、マジック・サムのヴァージョンをカバーしたロバジョンの「スウィート・ホーム・シカゴ」とか、ウィリー・メイボンの「アイ・ドント・ノー」とかもう絶妙なんだわな。

ソロモン・バークの「エヴリバディ・ニーズ・サムバディ」ってのもシブくない?

あとさぁ、「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」だって、デイヴ・クラーク・ファイヴじゃなくて、絶対コントゥアーズのヴァージョンで聴いて覚えたクチだよなぁ、ベルーシって。よく聴きこんでるよ。

サニー・ボーイ・ウィリアムスン、これは二世のほうかな、「フロム・ザ・ボトム」なんて取り上げてやんの、ようやるよって感じ。フツー、こんな曲、知らねーぜ。オタクでもなきゃ。

ベルーシ、歌もけっこう、上手いじゃん。お笑いの片手間にやってるお遊びってレベルじゃないね。かなりマジで聴ける。

ランディ・ニューマンの「ギルティ」なんか、聴いてて、思わずホロリときちまったもんなぁ、オレ。いやホント。

あと、やっぱ、バックがいいやね。元MG'Sの面々とかさあ、いたんだよね。あと、マット・マーフィーもだっけ?

ホーン・セクションもメチャいいし。ン? トム・スコットもいたんだ。そいつぁ、すげえや。

ゲストだけど「シェイク・ユア・テイルフェザー」って曲、レイ・チャールズが出てて、やっぱこのジーサン、カッコいいぜって思っちまった。金が出たらどこでも出るって悪口言うやつもいるけど、芸人なんだから、そんなの当然だよな。

金のためではありません、私はアーティストでござい、なんてことほざくヤツに限って、ロクな芸もねえんだから。

やっぱ、客を楽しませてナンボの商売だと思うぜ。ほんと、ベルーシは偉いやね。

オタクの道も極めれば、スーパー・エンターテイナーに通ずる、ってか。

しかしだね、ベルーシが亡くなって、この3月でまる19年になるっていうじゃねえか。

ほとんどオレの社会人歴と同じってことか。時のたつのも早いよなぁ…。

ン? なんだか最初のボヤきに戻ったって感じだな。「振り出しにもどる」か。やれやれ…。

結局、20年間、まるで成長してないオレらを尻目に、ベルーシどんは天国のプレスリー、レノン、ジャニス、ジミヘンやボンゾと一緒にジャムってるんだろうね。「ソウル・マン」なんぞを…。


音盤日誌「一日一枚」#28 ヴァリアス「天国への階段」(イーストウェスト・ジャパン)

2021-12-09 04:26:00 | Weblog
2001年3月31日(土)


ヴァリアス「天国への階段」(イーストウェスト・ジャパン)

トリビュートつながりで、もう一枚。

タイトルでお察しいただけるように、レッド・ツェッペリンへのトリビュート盤である。1997年作品。

ZEPが解散して、優に20年以上の歳月が過ぎ去ったが、いまだに彼らのCDがきちんと売れており、その後の彼ら(というかプラントとペイジ)の活動もつねに注目の対象になってきたことを見れば、やはりZEPはスゴいグループだったのだなと思わざるをえない。

後続のグループに直接・間接に与えた影響は、はかり知れない。

とくにアメリカのハードロック/ヘビーメタル系のミュージシャンたちにおいては、それは絶大なものがある。もともとZEPがメジャーになれたのも、アメリカ人にウケたから、という事情があるわけだし。

ただし、ZEPを好んでコピーしてきた後続の彼らが、ZEPがやろうと考えていたことを、どのくらい正しく理解していたかというと、かなり懐疑的にならざるをえない。

たとえばボン・ジョヴィとZEPは、ちょっと見には似ているかもしれないが、その音楽はまるきり別のテイストのものである。 ボン・ジョヴィに限らず、どのフォロワーもZEPにはなりえなかった。

やはり、ZEPは空前絶後の存在であり、今後も彼らのサウンドは、どんなバンドだって再現できないだろうと思う。

マクラが長くなった。本題に移ろう。

このCDは、フリートウッド・マック、ホワイトスネイク等との仕事で有名なエンジニア/プロデューサー、キース・オルセンのもと、ルー・グラム(フォーリナー)、ザック・ワイルド、リタ・フォード、セバスチャン・バック(スキッド・ロウ)、ジェフ・ビルスン(ドッケン)、ジェイムズ・コタック(スコーピオンズ)といった、おもに80年代活躍したハードロッカーたちを集めてレコーディングされたものである。

収録曲は、タイトル・チューンのほか「ブラック・ドッグ」「コミュニケーション・ブレイクダウン」「ハートブレイカー」「移民の歌」「胸いっぱいの愛を」など、代表曲ばかりだ。いかにも売れセンの作り。

基本的には、ZEPの原曲のイメージを崩さず、アレンジもできるだけ似せてカバーしている。

トリビュート盤には、大別すれば、原曲を出来るだけ忠実に再現するようなものと、新しい解釈を加えるようなものの二通りがあると思うが、この盤は明らかに前者である。

というよりもむしろ、「ZEP大好きだから、オレらも歌っちゃうもんね~」みたいな、ミーハー的な姿勢といったほうが近いかも知れない。「夜もヒッパレ」みたいなものか。まあ、トリビュート盤なんて、所詮それでいいのだが。

とはいえ、80~90%くらい元のアレンジを再現していても、残りでどうしてもZEPにはなりきれない異質のものを感じる。

いかにペイジのフレーズをなぞろうとしたって、ザックはザック流のギターを弾いてしまうし、ルーの超高音シャウトも、プラントのもつエロティシズムまでは再現できない。

コタックのドラムも巧みではあるが、あの唯一無二のグルーヴを叩き出したボンゾとは別のビートだ。比較するのも気の毒ではあるが、それは事実だからしかたがない。

たとえ、実の息子であるジェイスンだって、ボンゾの代わりにならない、だから再結成は出来ない、そう判断したペイジは正しかった。

レコードやCDさえ聴けば、ZEPはいつだってベストな演奏を聴かせてくれるのだから、それで十分じゃないか、ってことだ。

となると、トリビュート盤はどう考えたって、本物に負ける。分が悪すぎる。

でも、けっこう聴ける。

ZEPの音楽の「深い」部分までは理解できなくても、「運動神経」的にはしっかりコピー出来ているからだ。

大音量でガンガンならして、カラダで聴く、そういう理屈抜きの聴き方なら、全然オッケー。

まちがっても、原曲との比較なんかしちゃダメだからネ。


音盤日誌「一日一枚」#27 ポール・ロジャース「マディ・ウォーター・ブルース」(ビクターエンタテインメント)

2021-12-08 04:33:00 | Weblog

2001年3月25日(日)



ポール・ロジャース「マディ・ウォーター・ブルース」(ビクターエンタテインメント)

今日の「マディ・ウォーター・ブルース」もまた、「ホット・フット・パウダー」にまさるとも劣らない超話題盤といえよう。

フリー、バッド・カンパニー、ファーム等々、常にブリティッシュ・ロックの第一線で活躍してきた名ボーカリスト、ポール・ロジャースが、マディ・ウォーターズをトリビュートして、彼の死後10周年の1993年に発表した、セッション・アルバム。

ゲストの顔ぶれが、とにかくスゴい。

ロック畑からはトレヴァー・ラビン、ブライアン・セッツアー、ジェフ・べック、スティーヴ・ミラー、デイヴ・ギルモア、スラッシュ、ゲイリー・ムーア、ブライアン・メイ、二ール・ショーン、リッチー・サンボラと、聞いているだけでため息の出そうな面々が参加。

ブルース畑からは、御大バディ・ガイも登場。ポール・ロジャースの声がかりでなくては、これだけのメンツが揃うことはもちろんなかったろう。

収録曲は「キャント・ビー・サティスファイド」「ローリン・ストーン」「フーチー・クーチー・マン」「アイム・レディ」など、おなじみのマディ・ナンバーが勢揃い。それに、アルバート・キングの「ザ・ハンター」「ボーン・アンダー・ザ・バッド・サイン」も。

ゲスト・ギタリストはゴリゴリのメタル系から目一杯タメるブルース系まで、それぞれ個性あふれるプレイヤーばかりだが、意外にサウンドに一貫性が感じられる。ひたすらストレートでパワフルなハード・ロックに仕上がっているのだ。

これは、ベースのピノ・パラディーノ、ドラムスのジェイスン・ボーナム(ボンゾの息子)の好演によるところが大きい。

もちろんポールのボーカルも、切れ味鋭くかつディープで、ご本家マディに迫るものがある。

トリビュート・アルバムというと、総花的でお祭り的要素の強い、作品的にはどうってことのないものになりがちなのだが、この一枚は、珍しく一本筋の通った仕上がりになっている。

ポール個人の作品としてみても、一定水準に達した出来である。

これはやはり、ポール・ロジャースがいかにマディ・ウォーターズを真剣にリスペクトしているか、その表れだと思う。

その真摯な思いは、アコースティック&エレクトリック、2タイプのヴァージョンが収録されたオリジナル、「マディ・ウォーター・ブルース」に結実している。

私個人としては、デイヴ・ギルモアを迎えた「スタンディング・アンド・クライング」が、シカゴ・スタイルをきっちりふまえたオーソドックスなプレイで、一番気に入っている。

ゲイリー・ムーア参加の「シー・ムーヴス・ミー」も重心の低いへヴィーなサウンドで、泣きのギターが実にカッコいい。ベテラン組の面目躍如といったところだ。

マディの曲をカバーしているとはいえ、あくまでも「ロック」のアルバム。ブルース・ファンにとってみれば、「守備範囲外」の音かも知れない。

だが、ポール・ロジャースは、まちがいなく、マディのスピリットを継承するひとりといえよう。その歌声、一聴の価値はある。


音盤日誌「一日一枚」#26 ピーター・グリーン・スプリンター・グループ「ホット・フット・パウダー」(日本クラウン)

2021-12-07 05:07:00 | Weblog

2001年3月24日(土)



ピーター・グリーン・スプリンター・グループ「ホット・フット・パウダー」(日本クラウン)

ピーター・グリーンといえば、1960年代後半、フリートウッド・マック時代のブルーズィーなプレイがあまりに有名なロック・ギタリスト。

「ブラック・マジック・ウーマン」に代表される、マイナー・ブルース・チューンを弾かせれば、右に出る者はないとまで言われていた男。

1946年生まれの現在54才、もはや「伝説」と化していたひとだが、どっこい、まだまだ現役でがんばっていた。

それも、実にシブい、イナタいブルース・シンガー/ギタリストとして。

彼は96年にステージにカムバック、以来、97年の「スプリンター・グループ」、98年の「ザ・ロバート・ジョンスン・ソングブック」、99年の「SOHO SESSION」(ライヴ)、「デスティニー・ロード」とコンスタントに作品を発表し続けている。

2000年に「ザ・ロバート~」の続編として、前作でカバーした以外の13曲をレコーディングしたのが本作である。

「スプリンター・グループ」とは、ギター・ボーカル担当のピーターとナイジェル・ワトスンを中心とする6人組。

今回はこれに、実に豪華な6人のゲストが加わっている。

バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、ヒューバート・サムリンという60代のトップ・ブルースマンたち。

ロバート・ジョンスンと共に活動していた、現役最長老といってもよい1915年生まれのハニーボーイ・エドワーズ。

そして、ドクター・ジョンとジョー・ルイス・ウォーカー。

まさに話題盤なのだが、残念ながら彼らゲストから「これは!」というソロを聴くことは出来なかった。顔見世程度でしかないのである。

しいてあげれば「フロム・フォー・アンティル・レイト」「ゼイアー・レッド・ホット」でのドクター・ジョンのピアノくらいか。

ラッシュもサムリンも今ひとつ自身の個性を発揮していない。いつもノリノリのバディ・ガイの「クロスロード」でさえ、なんだか控え目のプレイだ。

エレキは添え物、あくまでもアコースティックなサウンドで、ロバート・ジョンスンをいま風(8ビートなど)に演奏するのがピーターのやり方。

このサウンド・ポリシーを優先させた結果、こういうまとめ方になってしまったのだろうな。

だから、コアなブルース・ファンにはおすすめできない。

ゲストを目当てに聴いても、がっかりするのがオチだからだ。

話題盤必ずしも名盤ならず。

でも、聴く価値のない駄作だとも思わない。

ピーターのひなびた(言い換えればジミということだが)ボーカルにも、それなりの味わいはある。

ピーターの熱心なファン、それからロバート・ジョンスンをカジュアルな感覚で(たとえば、家の中でBGMとして流すみたいな)聴きたいひとにはいいかも知れない。

ロバート・ジョンスン自身の弾き語りの、あのゴツゴツとした魔的な雰囲気とはかなり違った、淡々としたムード。これはこれでひとつの個性ではないかと思う。


音盤日誌「一日一枚」#25 エリック・クラプトン「BLUES」(Polygram)

2021-12-06 05:51:00 | Weblog

2001年3月18日(日)



エリック・クラプトン「BLUES」(Polygram)

「師匠」の次は「弟子」というつながりである(笑)。

クラプトンはフレディ・キングのデビュー・インスト曲「ハイダウェイ」を、ブルースブレイカーズ時代にカバーしていることからわかるように、フレディのプレイをお手本にして、自らのギター・プレイを磨いてきた。

フレディだけではない。BBはいうに及ばず、アルバート・キング、バディ・ガイ、オーティス・ラッシュ、ヒューバート・サムリンなど、代表的な黒人ブルース・ギタリストのレコードを手当たり次第に聴きあさり、コピーしまくったという。

いってみれば、クラプトンは究極の「パクリスト」。

彼ら先達がいなかったら、いかな天才クラプトンといえども、我々を魅了してきたあのプレイは存在しなかったはずだ。

そういう恩恵を、クラプトンは十二分に感じているから、彼らに対するリスペクトを惜しみなく表明する。

「ライディング・ウィズ・ザ・キング」の制作は、その端的な例のひとつといえるだろう。

さて、このアルバムはそのタイトル通り、クラプトンのルーツ・ミュージックであるブルースの、主に既録音のナンバーを2枚のCDに収めた編集もの。

1970年発表の名盤「いとしのレイラ」に収録された「愛の経験」にはじまり、99年の新録「ビフォア・ユー・アキューズ・ミー」(ボ・ディドリーの曲)にいたるまでの全25曲。

CD1枚目はスタジオ録音、2枚目はライブ録音という色分けだ。

中には「ワンダフル・トゥナイト」のような非ブルースも入っているが、セールス上の対策なんだろうな。

基本的には、スタンダードなブルース、そして一部に自作のブルース・テイストな曲という構成。

皆さんおなじみの曲としては、レッドベリーの「アルバータ」、マディの「ブロウ・ウィンド・ブロウ」、T・ボーンの「ストーミー・マンデイ」、ビッグ・メイシオの「ウォリード・ライフ・ブルース」、ロバート・ジョンスンの「カインド・ハーテッド・ウーマン」、オーティス・ラッシュの「ダブル・トラブル」、チャールズ・ブラウンの「ドリフティン・ブルース」などなど。

さて、出来のほうはといえば、1曲1曲はそこそこなのだが、通しで聴くと、ちょっとゲップが出そうというかんじではある。正直言うと。

やはりクラプトンの歌は、基本的に「へたウマ」なので、あまり連続して聴きたくなるようなものではない。

とくに胃にもたれそうなのが、「ストーミー・マンデイ」。

ライブとはいえ、超スローテンポで、12分以上も延々と演奏されると、いいかげんゲンナリしてしまう。

この曲に関しては、迷うことなく、BBやアルバート・キングらのバージョンに軍配を上げたい。

クラプトン氏の、ブルースが好きでたまらないというお気持ちはよくわかるのだが、趣味の押し付けはいかんよな。

自己陶酔する前に、まず観客を楽しませないと。

ちょっと辛口な言い方のようだが、クラプトンの「驕り」のようなものをその1曲に感じたので、あえて書いておく。

やはり、彼の真の面目は、もっと気合いの入った、アップ・テンポのナンバーにこそあるだろう。

たとえば、亡くなる直前のフレディ・キングと共演した、ライブ・バージョンの「ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード」(1976)。

「E.C. WAS HERE」に収められたバージョンも名演だが、こちらも負けじと素晴らしい。

「師弟」の、まさに火花を散らすような、熱気にみちた競演が聴けるのだ。

死の間際のフレディの、渾身の名プレイ。

クラプトンを聴くつもりで、結局、本物のブルースをそこにこそ感じてしまった。ちょっと皮肉ではある。

でも、クラプトン自身のプレイももちろん、悪くはない。

ブルースのアルバムとして聴くよりは、やはりクラプトンのアルバムとして聴くべし。

コアなブルース・ファンより、ブルース・ビギナーのかたに聴いていただきたい一枚である。


音盤日誌「一日一枚」#24 フレディ・キング「THE BEST OF FREDDIE KING:THE SHELTER RECORD YEARS」(東芝EMI)

2021-12-05 05:01:00 | Weblog

2001年3月17日(土)



フレディ・キング「THE BEST OF FREDDIE KING:THE SHELTER RECORD YEARS」(東芝EMI)

フレディ・キング、1934年テキサス生まれのこのブルースマンは、俗に「三大キング」のひとりと称せられているが、あとのふたりより約10才若く、プレイヤーとしてのセンスも、よりロックに近いものがある。

エリック・クラプトンが最もお手本にしていたブルース・ギタリストだというのもうなずける。

実際、ふたりの共演曲がおさめられた編集ものアルバム「1934‐1976」もリリースされている。

彼は76年、42才の若さでこの世を去るまで、キング/フェデラル、コテリオン/アトランティックなどいくつかのレーベルを渡り歩いており、発表したアルバムも膨大な数になるが、今回はあえてシェルターでのベスト盤を選んでみた。

通称「アルマジロ」盤。

シェルターといえば、銀の長髪にヒゲ、ギョロ目のシンガー・ソングライター、レオン・ラッセルの設立したレーベルとして知られているが、フレディはここに70年から72年まで在籍し、3枚のアルバムを残した。

このアルバムはその中および未発表曲から、18曲をセレクトしたもの。

アルバムは、サザン・ロックの名シンガー・ソングライター、ドン・ニックスによる「ゴーイング・ダウン」から、いきなりのフル・テンションでスタートする。

ちなみにこの曲はBB&Aもライブ盤で取り上げている。

続く「ファイブ・ロング・イヤーズ」も、エディ・ボイドのドロドロの恨み節とは一味ちがったモダンな味わい。

tRICK bAGもレパートリーとしており、ライブでもしばしば演奏されるバラード「セイム・オールド・ブルース」も素晴らしい。

ディープな歌い込み、そして痙攣し、泣きまくるギター。これもドン・ニックスの作品である。

ローウェル・フルスン作の「リコンシダー・ベイビー」も、クラプトンに多大な影響を与えたという、彼のギター・プレイの真骨頂が堪能できる。

ブルース・ファンのみならず、ロック・ファンにもすんなり入っていける出来ばえである。

イスラエル・トルバードが歌った「ビッグ・レッグド・ウーマン」のカバーも、ひたすらノリのいいファンク・ブルースに仕上げている。

tRICK bAGもファースト・ライブ・アルバムで取り上げている、あの曲だ。作曲はレオン・ラッセル。

同じく、レオン・ラッセルによるスロー・ナンバー「ヘルプ・ミー・スルー・ザ・デイ」に漂う、深い哀感もいい。

シェルターに移籍してから、フレディはこういうバラードを積極的に歌うようになったという。

パーシー・メイフィールドの「プリーズ・センド・ミー・サムワン・トゥ・ラヴ」も、せつなさで胸が痛くなるような名演だ。

tRICK bAGのホトケさんもお気に入りの一曲だ。

もちろん、バリバリ、ゴリゴリの彼本来のギター・プレイも忘れちゃいない。

L・ラッセルほかの作品「パレス・オブ・ザ・キング」「ブギー・マン」、マディの名唱で知られる「アイム・レディ」ほかでは、ハードなアタックでガンガンに弾きまくる。

彼の嬉々として弾いている姿が目に浮かぶよう。

聴いているこちらまで、なんだか嬉しくなってしまうような、そんな絶好調のプレイなのである。

スタジオ、ライブを問わず、いつも脳の血管がぶち切れそうなハイ・テンションさ、それがフレディの身上であり、魅力でもある。

出し惜しみすることなく、歌いまくり、弾きまくったフレディ。そしてあの世へ直行してしまったわけだが。

死後4半世紀がたった今でも、これらの熱いプレイはまだまだ聴く者に感動を呼び起こしてくれる。

ロック感覚あふれるフレディ・キングのサウンドに、若いかたがたも触れてみてほしい。


音盤日誌「一日一枚」#23 ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ「ライヴ・アット・ウィンターランド」(ビクターエンタテインメント)

2021-12-04 05:03:00 | Weblog

2001年3月11日(日)




ポール・バターフィールズ・ベター・デイズ「ライヴ・アット・ウィンターランド」(ビクターエンタテインメント)

以前、スタジオ録音の「イット・オール・カムズ・バック」を紹介したが、その後、日本限定発売のライヴ盤が出ていることを知り、さっそくゲットしたのがこれだ。

1973年2月23日、サン・フランシスコはウィンターランド・ボールルームでのライヴ。

とにかく、メンバー6人のリズム感の良さ、演奏力の凄さに、1曲目「COUNTRYSIDE」から圧倒されまくりである。

日本人でこれだけの演奏を出来るミュージシャンがいない、とはいわない。

ベター・デイズをよくカバーしているtRICK bAGだって、素晴らしい演奏力を持っている。

だが、これが28年も前のバンドであり、6人ともこれだけの力量を持っているという事実に、アメリカという国の底知れぬ威力を感じてしまう。

演奏されるのはファーストおよびセカンド・アルバムの曲を中心に9曲。

カバー物が多く、ロバート・ジョンスンの「NEW WALKIN' BLUES」やパーシー・メイフィールドの「PLEASE SEND ME SOMEONE TO LOVE」、ニーナ・シモンの「NOBODY'S FAULT BUT MINE」などを演っている。

もちろん、名曲「SMALL TOWN TALK」も収められている。

ロニ―・バロンを中心に、ポール、エイモス・ギャレット、ジェフ・マルダーもボーカルをとっているが、皆なかなか味わいのある歌を聴かせてくれる。演奏同様、歌のほうも実に巧者なのである。

パワーとテクニック、そして細やかな表現力と、すべてを兼ね備えた究極のバンド。

メンバー6人のうち、すでにポールとロニーのふたりが他界してしまったとは実に残念だが、こうやってCDを聴くことで、彼らのガッツ溢れる歌や演奏に、いつでも触れることが出来る。

世紀を超えて、永久に残していきたい一枚。

こんな素晴らしいアルバムが、日本からしか出ていないなんて、本当にもったいない。

BBAやチープ・トリックのライブ盤同様、ぜひ世界中で発売して、その良さを知らしめてほしいものだ。



音盤日誌「一日一枚」#22 V.A.「GREAT BLUES GUITARISTS:STRING DAZZLERS」(COLUMBIA/LEGACY)

2021-12-03 05:04:00 | Weblog

2001年3月10日(土)



V.A.「GREAT BLUES GUITARISTS:STRING DAZZLERS」(COLUMBIA/LEGACY)

「ROOTS & BLUES」シリーズも、これで3枚目。今回は輸入盤にて、最近購入したやつだ。

これも、相当「古~い」音のコンピレーション。1924年から40年までの録音である。

当然、すべてアコースティック。ブルースがまだ、ラグタイム、ジャズ、フォークなどと未分化だったころのノスタルジックなギターサウンドに浸れる。

ビッグ・ビル・ブルーンジー、ブラインド・ウィリー・ジョンスン、ブラインド・レモン・ジェファースンといった、おなじみのブルースの巨人たちが取り上げられているが、この一枚で一番注目すべきはロニ―・ジョンスンだろう。

ロニ―・ジョンスン、1889年ニューオーリンズ生まれのシンガー兼ギタリスト。

戦前のブルース界において、いわば「スター」だったひとで、「トゥモロー・ナイト」の大ヒットがある。

メリハリのきいた、リズム感あふれる達者なギター・ワークで一世を風靡したが、ボーカルはどちらかというと、甘ったるい感じの泣き節。

このコンピでは、白人ギタリスト、エディ・ラングとのデュオ、彼のギターソロ、そしてボーカル曲と、5曲が収録されている。

「I LOVE YOU,MARY LOU」という曲のボーカルを聴くと、すぐに判ると思うが、彼は同姓の後輩、ロバート・ジョンスンに多大な影響を与えている。

その母性に訴えるかのような甘い歌い方は、ロバートの「MALTED MILK」や「DRUNKEN HEARTED MAN」あたりでまんまパクられている。

また、ギター奏法においても、その2曲や「TERRAPLANE BLUES」「STONE IN MY PASSWAY」などでそのカッティングや単弦奏法などが巧妙に取り入れられている。

あくまでも陽性のロニーにくらべて、ロバートのほうはよりブルース性を煮詰めたという個性の違いはあるが。

ロバートは生前、「自分はあくまでも一流を目指す」と周囲に公言していたようだが、スターとして確固たる地位を築いていたロニ―が目標となったのは間違いのないところだろう。

ただ、その単なるコピーに堕することなく、ワン&オンリーなRJワールドを構築したことにロバートの面目がある。

ロニ―自身は、その時代のヒーローで終わってしまったが、ロバートはいまだに聴き継がれる、エヴァグリーンな存在にまでなっている。まさに「青は藍より出でて、藍より青し」である。

すぐれたアーティストの登場のかげには、かならず良き手本となるすぐれた先達の存在がある、ということの例証といえるだろう。

ロニ―・ジョンスンに限らず、ギタリストがテクを磨くヒントになりそうな、バラエティゆたかな名演奏のつまった一枚である。






音盤日誌「一日一枚」#21 グレイプバイン「LIFETIME」(ポニーキャニオン)

2021-12-02 05:00:00 | Weblog

2001年3月4日(日)



グレイプバイン「LIFETIME」(ポニーキャニオン)

1999年5月発表の、彼らのセカンド・アルバム。

ここ数年着実にシングル・ヒットをとばして、いまやトライセラトップスと並んで20代ロックバンドの代表的存在となった彼らの、いわば出世作だ。

最初のスマッシュ・ヒット「スロウ」とそれに続く「光について」、先行のシングル曲「白日」、コンサートで人気の「いけすかない」など、全13曲。

非常にメロウでメロディアスな「バイン・サウンド」が、二枚目にして早くも確立されているのがよくわかる。

バインには、他の多くの若手バンドにはほとんどない、はっきりした特徴がひとつある。

それは「ブルースの匂い」だ。

いわゆるブルースの3コード進行の曲などひとつもないが、リードボーカル・田中和将のフレージング、ギターやベース、ドラムスのやや「重たい」ノリにそれを感じる。

聞けば、フロントマンである田中の愛聴するのは、他のメンバーがどちらかといえば80年代以降のロックであるのに対して、ストーンズやR&Bなど60~70年代の「黒い」音が中心だそうだ。

明らかに彼の年齢にしては、「古め」のサウンドがお好きのようである。

当然ながら、グループ名もマーヴィン・ゲイのあの名曲からとったもの。

ファンキーなインスト・ナンバー「ラバーガール」「ラガーガールNo.8」などに、「その手」の音への偏愛が強く感じられる。

もちろん、ただのオールドスクール・ロックやR&Bの再現ではなく、より高度の演奏力と、彼ら独自の深みのあるグルーヴを加味したところが、またすごい。

これには、プロデュースをしたDr.Strageloveの根岸孝旨に負うところも大であろう。

一方、サウンドのみならず、坂口安吾の「堕落論」に大きな影響を受けたという、田中の特異なる歌詞世界もまた聴きどころ。死滅したといわれる「文学」が、そこにまだ生き続けている。

いまどき、「一発録り」が基本というのもうれしいじゃないか。

「ライブの音こそが自分たちの音だ」というグレイプバイン、これぞロック・バンドのあるべき姿勢だと思う。

このアルバム発表後の活躍は、皆さんご存知であろうが、99年のベスト・ジャパニーズ・ロックアルバムといって間違いない本作、今からでも聴いて絶対損はない。