marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(46回目)

2016-07-04 01:25:07 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
第4章の有名な物語に入ろうとする前に、また気になりだしたことが出てきました。
今度はヨハネさん(洗礼者の方ではなく、この著者の方です)が僕に語りかけてきました。第3章の31節から36節についてです。ここはやはり、そのまま読むとどうしても、洗礼者ヨハネが引き続き30節から続けて語られているように読めますよね。しかし、同時に福音記者ヨハネが、洗礼者ヨハネを通して語らせているように書かれています。ここでは、イエスに対して、洗礼者と福音記者の両ヨハネがオーバーラップするように語っています。何故なんだろうか。良く考えて読むと不思議な文章であるなと思って、同じように他の箇所も見てみると、イエスの語られた言葉なのか、この福音記者ヨハネの解説なのか分からないところが他にもある。第3章の最初に戻り、この点だけこの章は読み直しです。ニコデモの会話から。
◆まず、現在一番読まれているであろう日本聖書協会新共同訳から
第3章10節からを見るとイエスの回答は(「 」)の終わりは21節となっている。ところが、口語訳ではイエスの言葉は15節までとなっているのである。いのちのことば社の新改訳聖書(例のチェーン式)では、同様に15節で( 」)がついてイエスの言葉(正確には「言」と書かねばならないのだろうけど)が終わって、16節から21節までは、この福音記者ヨハネの解説であるとなっている。原典としてはこちらの方であるようだが、なんとこの辺が分かって分からないという、読者がなんとなく調べなくても心にひっかりを持ってしまう理由なのではあるまいか。イエスが「わたしのことばは霊であり、命である」と言われた訳であるから、内容はそうであろうとも福音記者の解説までイエスのことばとしてしまうことは良くないのではないだろうか。霊であれば、読む側も霊ある被造物である人間なのであるから、なんとなく違うのではないかという感じをもってしまうしイエスのことばそのものでない限りは「命」とはなりえないだろう。そのようにこの第3章の後半も読むと
◆30節は明らかに洗礼者自身が語っていることある。「は必ず栄え、わたしは衰える」、さて、そのとはイエスのことをさしているのは明らかなのであるが、それ以降の31から36節(3章終わりまで)は記者ヨハネは、洗礼者ヨハネに語らせるように続けて書いて見える文章はそのまま自分(記者)の見解(解説)を述べているのでありました。一番読まれている今の聖書はイエスの「言」を正しく伝えていないとなるなぁ・・・Ω