marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(48回目)

2016-07-05 19:38:28 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
最近、急に暑くなてきたな。会社から帰るとぐったりこん、歳だなと思いつつ、M.ルターさんのお勧め福音書ヨハネ伝第4章、先書いたとおりこれも先理解が必要な物語、それについて書くぞ。
◆今覚えていることだけ調べないで書いてみる。まず、世界史を高校で学んだ人は、バビロン捕囚というのを習ったかと思う。聖書を読みたいと思った人はそれなりの学校での資料、特に世界史、それから倫理社会(西欧の哲学はすべて聖書、キリスト教がベースに成っているからね)、んで、中東イスラム世界も実はキリスト教圏がまだど田舎の森林だったころはそれはそれは偉い文明が栄えてたのよね。数学でも偉い方がおられたのだ。んなら今の中国はもっとすごかったぞというので、今の中国がガンを張っている訳なのだ。ずれてきたので戻すと、いつか旧約を書くからその時にするけど、昔、北イスラエルと南ユダという国に分かれたしまったのだ、それで北は攻められてきたアッシリアの国などで雑婚が起こったり、混入してきた他の国々の神々をまつり始めた訳で、だからまっとうだと自負していた南ユダの国は同じ同胞なのに北をえらく嫌っていた訳。南は正当なエルサレム、ダビデ王、その子ソロモンが繁栄を築いた正当な都。北は北で、昔からのモーセの言い伝えの神をゲリジム山でまつっていて、一時、サマリアも北の首都になったことがあるわけなのだ、それが旧約聖書に書かれているけど、簡単に言うとそういう背景があるのです。結局、南ユダ国もバビロン捕囚になるんだが(実は、調べるとね実にスケールのでかい神の摂理があるんだな)、第一に旧約聖書途中から分からなく成るでしょ、正直、読んでいくと(レビ記など訳の分からんところを飛ばしたとしても)これも主旨からかなりずれるからいつか書くぞ。ま、そういう時代背景があるということです。
◆いのちのことば社は、時間など「です、ます調」は僕はあまり好きではないけど原典に忠実ではあるな。暑いから人目の付かない昼間の12時ころサマリアの女は水をくみに来たわけです。ヤコブとは、あのアブラハム、イサク、ヤコブのヤコブです(旧約)。水は、当時家畜を飼うことも含めて命に関わる貴重なものだったのだね。という諸々の状況と時代背景が聖書のそれぞれの物語の中にあるわけです。
◆今の僕らと何関係あんのさ・・・と思うでしょ。それがね、我々の「今でしょ!」の殆どすべてに関係づけようとすればそこに源があるのよ。人間が命を持って今も人間の歴史を作りつつあるということ、その歴史において神を追求しようとしてきた歴史、政治、科学、すべての諸学問。だから狭き門、救いはユダヤ人から来ると言われたわけなのさ・・・今日の終わり方はなんかモヤモヤだな・・・Ω

世界のベストセラーを読む(47回目)

2016-07-05 00:20:08 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
キリスト教プロテスタントの開祖、マルチン・ルターさんの福音書を読むのであればまずヨハネ伝からじっくり、というお勧めに従って途中脱線しながらもようやく第4章につきました。
◆聖書を読むのであれば、当然、読者である今の私の生きている時代、背景があるわけですから、この時、生きて働いている神が何を語ろうとしているかを考慮しながら(これは意識しなくても聖霊が教えてくださるということになるが)読まなければなりません。また、同時に読もうとする内容が会話であれば、どういう状況で、だれが、だれにと推察して、難しく言えば5W1H(いつ、どこで、だれが、だれの、何を、どのように)などを考えて読むことが求められるかと思いますが、何度か読む内に自ずと深められるのでしょうけれど、なにぶんにも聖書は天地創造からの神の民の歴史が今も続いて読むわたしたちにつながていると考えられるわけですので、イエスのことばを除いて(これは我々への一方向のみのことばであると僕には思われている為)福音記者から初めて(これは福音記者といえども当時の時代背景および自分が理解した内容に留まらざるを得ないという制限が発生するため)、旧約であればなおさら、(時折)勉強をすすめて行かねばなりません。これは何も肩を張って勉強などではなく、普段の生活の中で普段着のように聖書をたしなむことによって自ずとその読者に必要な言葉が与えられると思いますね。そこで素直に疑問が生じてきたらそこを調べると実は意外な発見があるということが聖書の不思議さでもあるな。
◆聖書の物語は先に述べたことの先理解があるとより内容が深まるが第4章サマリアの女を読む場合「なぜ」という疑問出た来た場合はその場面に生ずる先理解が旧約の歴史的背景があるわけです。特にこの話もその時代背景もろもろがありイエスはその場面で女の人生の(誰にもその人間のその人間だけが体験出来ていない個人の歴史があるわけだが)先理解がすべてなされて(第2章23節から25節 イエスは人間の心を知っておられる)、このサマリアの女と会話をされたのであったと読める。
◆東進予備校の林修先生のブレーク用語「今でしょ!」が23節に出てくるね。イエスの言われた「今がその時である。」まさに、このキーワード一語だけでも何冊かの本が著されたと言って過言ではないように僕には思われるね。この時のサマリアの女にとって!、今のこれを読むあなたにとって!、そして書いている僕にとって!「この今という瞬間は二度と来ない神が働く質的時間」が経過しつつあるのであるから・・・となる。Ω