◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝のイエスの語られた言葉の本丸です。38年間病気に悩んでいた男を安息日に床を取り上げ歩きなさいと言われ癒したイエスのことをユダヤ人たちは責めた。古来からの伝統に対してその先理解の知識を持つ相手に対して、イエスは「よくよく言っておく」と前書きを言っている。その前置きの念押し言葉の話された相手を見てみよう。今回は口語訳です。
◆第1章の51節。ナタナエルに対してまことのイスラエル人であるとイエスは言われ(47節)、ナタナエル(12弟子のバルトロマイ言われる)はイエスに対して「あなたは神の子です」と告白する。次、第3章3節これはニコデモと言われたイスラエルの教師であった。同5節、11節にもこの前置き念押し言葉はある。次の第5章15節からはユダヤ人に対してなので頻繁に出てくる。つまり、イエスは旧来の伝統に基づき聖書の内容を良く先理解しているであろう人間に対しては「よくよく言っておく」と念押しの言葉を述べられているようである。19節、24節、25節。以降の内容も話される相手を考えよ。あなたが理解している神の事実はこうなのだ、「よくよく言っておく」である。
◆ユダヤ人がイエスを殺そうとまでになったのは、第5章18節が決定打。「それは、イエスが安息日を破られたばかりでなく神を自分の父と呼んで自分を神と等しいものとされたからである。」とある。安息日を破り、病人をいやし、尚且つ、自らは父である神と同じだと公言したからであるというのである。行為と公言、これは決定的な反感を買い、殺してやるという感情を相手に持たせる。しかし、イエスは神と自分の関係の事実を語る。
◆【3:3】誰も新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。【3:5】誰でも、水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。【3:11】自分の知っていることを語り、見たことをあかししているのだ。これは地上のことを語っているのだ。【5:19】父のなさることであれば、子も(イエス自身も)その通りにする。【5:24】私の言葉を聞いて、わたしを使わされたかたを信ずる者は、永遠の命を受け、またさばかれることなく、死から命に移っているのである。【5:25】死んだ人たちが、神の声を聞く時が既に来ている。そして聞く人は生きるであろう。以降もイエスの言葉が続く。「わたしの話した言葉は霊であり、また命である」と言われる(第6章63節)から、イエスの言葉を何度も訊き、地上の肉なる我々にはすぐには分からないが聖霊が教えてくださることを願う、と書く以外に人の割り込ませる言葉が出てこない。・・・Ω
ヨハネ伝のイエスの語られた言葉の本丸です。38年間病気に悩んでいた男を安息日に床を取り上げ歩きなさいと言われ癒したイエスのことをユダヤ人たちは責めた。古来からの伝統に対してその先理解の知識を持つ相手に対して、イエスは「よくよく言っておく」と前書きを言っている。その前置きの念押し言葉の話された相手を見てみよう。今回は口語訳です。
◆第1章の51節。ナタナエルに対してまことのイスラエル人であるとイエスは言われ(47節)、ナタナエル(12弟子のバルトロマイ言われる)はイエスに対して「あなたは神の子です」と告白する。次、第3章3節これはニコデモと言われたイスラエルの教師であった。同5節、11節にもこの前置き念押し言葉はある。次の第5章15節からはユダヤ人に対してなので頻繁に出てくる。つまり、イエスは旧来の伝統に基づき聖書の内容を良く先理解しているであろう人間に対しては「よくよく言っておく」と念押しの言葉を述べられているようである。19節、24節、25節。以降の内容も話される相手を考えよ。あなたが理解している神の事実はこうなのだ、「よくよく言っておく」である。
◆ユダヤ人がイエスを殺そうとまでになったのは、第5章18節が決定打。「それは、イエスが安息日を破られたばかりでなく神を自分の父と呼んで自分を神と等しいものとされたからである。」とある。安息日を破り、病人をいやし、尚且つ、自らは父である神と同じだと公言したからであるというのである。行為と公言、これは決定的な反感を買い、殺してやるという感情を相手に持たせる。しかし、イエスは神と自分の関係の事実を語る。
◆【3:3】誰も新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない。【3:5】誰でも、水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。【3:11】自分の知っていることを語り、見たことをあかししているのだ。これは地上のことを語っているのだ。【5:19】父のなさることであれば、子も(イエス自身も)その通りにする。【5:24】私の言葉を聞いて、わたしを使わされたかたを信ずる者は、永遠の命を受け、またさばかれることなく、死から命に移っているのである。【5:25】死んだ人たちが、神の声を聞く時が既に来ている。そして聞く人は生きるであろう。以降もイエスの言葉が続く。「わたしの話した言葉は霊であり、また命である」と言われる(第6章63節)から、イエスの言葉を何度も訊き、地上の肉なる我々にはすぐには分からないが聖霊が教えてくださることを願う、と書く以外に人の割り込ませる言葉が出てこない。・・・Ω