marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(53回目)

2016-07-10 14:40:44 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
ヨハネ伝(「ヨハネによる福音書」を今後も字数を助けるためこう書く)の第5章に入るまえに、このような記事を目にしましたので一言。「我等は何によって立つのか」これはある教派のお偉いさんのコラムの表題記事。(イエスの言葉ではなかったの今更なにをと僕は思う。)世界のベストセラー聖書は読んだ人の数ほど解説書が書けるほどですので、いろいろ在野のピンキリの書物が腐るほどあるが、そこで注意して欲しいと思うのは歴史があり権威があるんだといわんばかりの奴。これは、先に書いたと思うが非常にデリケートば部分もあるが、要注意である。良く考えると聖書の語るイエスの言葉で我等は充分なのである(「私の言葉に留まるなら、あなた方は私の弟子なのである。真理はあなたがたを自由にする」<ヨハネ8:31-32>)。不完全な人間の言葉で、フィルターをかけてしまって総括するのは良いとしても、また、理解する為なら良いとしても、いつまにかそれが権威をもち一人歩きして本筋から外れていることが多々ある。時代によっては、その事が人を焼き殺す刑罰にまで進んでもそれが善とされる時代も間違いなくあったのだから、同じようなことが起こらないとは誰が言えようか。第一に、それぞれの組織体に属して、その地位と役割をただやるだけで満足してしまう性向を我々は持ちやすいのだから。(ですから、それらは参考程度に)。つねに生きて働く、神の言葉を自分の言葉で聴き取ろうとすること。
◆ヨハネ伝第5章
イエスは、いよいよあからさまに公に神の業を公開し始めた(第4章1から3節に対して)。しかも、ユダヤの祭りの場に出向いていったのだ。これは「い」社の聖書の解説では、過越の祭以外のまつりとしている。(ユダヤの祭りでは古来からいわれのある多々の祭りがあった。この辺は、どれかの解説書にあるから立ち読みでもされて。で、五つ回廊とはモーセ五書を寓意的に示すそうだ。創、出、レビ、民、申 旧約の最初の五つはモーセによって書かれたと言われる。モーセさん自分の死んだあとのことも少し書いてますが、一応そう言われているということで)。
◆ここで大切な記事。6節:「直りたいのか」イエス直々のお尋ねである。8節:「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」 結果 9節:すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。
・・・どうです、イエスの言葉です。元気が出てきませんか。これが病人の内側からの何というか元気の発露、自覚と行動を動かしたのですね。起きて、自分の床を上げ、歩いた・・・怠慢な僕などは、イエスの言葉を聴くと元気が出てくるのですね(9節まで)・・・Ω