marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(73回目)

2016-07-29 20:42:00 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
プロテスタントの開祖ルターさんが福音書を読むのであればまずヨハネ伝ということで文句なく世界のベストセラー聖書を読んできました。あまりに世界的な宗教になりカビは生えないとしても埃はかぶりすぎるくらいがちがちにへばりついて、何がなにやら、おまけに時代がくだるにつれて厚化粧まで、ピンからキリまでの話題もあり、しかし、それ故、最もその主旨から遠くなりすぎたイエスの言葉は、実は100円で古本屋から購入した”この聖書は売り物ではありません”と表紙めくったところに印刷してましたが知らずに購入していた国際ギデオン協会からの贈り物聖書から多くを学んで来た訳です。何を言いたいのかと言えば、イエスの言葉は実は今も身近なところに素直な自分の言葉で読めるところにありますよということです。では、
◆第10章は、殆どの教会で説教には取り上げられないのではないだろうか?それは、6節:「イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話になっているのが何のことだか分からなかった。」とあるから?。その道のスペシャリストにも分からなかったのだから我々も・・・と言うわけにはいかない、それはイエスのいきさつを我々は2000年後の今、知っているからね。今は、ゴチックで表題を入れているから内容が先分かりになる聖書もあるけれど、それないのは読み飛ばすと教会の群れにきちんとしないで入り込む輩がいるというふうに不良信徒のことかと読みやすいが、そうではなくパリサイ人(8節:私より前に来た人は)というのは、神のことを説くが雇い人であって(13節)羊のことは気に掛けていないのだ、と言って、正しい良い羊飼いは、羊の為に命まで捨てるつまり十字架に掛かると言うこと、そして自分イエスは、永遠の命の門であり、そこへ導く羊飼いであること、羊は迷わず私に従うのだということを言っているのである。
◆ここで、「入る」と「出る」を読むとどういうことかが2000年後の今では分かるのではないかと思う。1節:羊の囲いに入る。これは此の地上でのイエス信じる群れという囲いに入ること。入るのは羊飼いイエスである(2節)。その門はイエス自身でもある(7節)。そして選ばれた羊は、その群れにある天国への門から羊飼いイエスによって導き出される。(3節)私の羊は、私イエスを知っている。(14節)それは、父が自分イエスを知っているのと同様だ。自分が命を捨てるのは、それを再び得る為、であり、私にはその力があり、又、受ける力もある。これは父から授かった定めである。・・・Ω