marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(57回目)

2016-07-15 20:04:57 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
さて、ヨハネ伝第6章に入る前に少し脱線します。プロテスタントの開祖 M.ルターさんが、福音書を読むのであればヨハネ伝を読みなさい。それからパウロの手紙の・・・と言われているのはとても意味ある事でした。かといって、ルーテル教会というのも教派の中にありますから其処へなどとは言いません。それからカルヴァンさんがその後に続きますが、これはプレスビテリアン改革長老派になりますが、ここへもどうぞとも言いません。その他、いろいろな教派が生まれますが、実はこれが門の前に留まらせる壁。内村鑑三が無教会主義を貫いたのはもっぱら故無き事ではありませんでした(時代背景と彼自身の米国での体験から)。
◆まず、ご自分の言葉で読むことを努力くださいと申し上げます。必ず、回答を見いだすでしょう。
ある組織に属して雰囲気を感じることはできるでしょう、大いに推奨致します。洗礼を受ければ第6章にあるように主の聖餐にあずかることができますから。しかし、結局イエスの言葉から離れてはいけません。
◆ルターさんは神の言葉をひとりひとりにと一般大衆語に訳されました。万人祭司です。伝道熱心な集団行動する異端と呼ばれる教派もあります。これはデリケートな問題ですが、一応我々は、そのような行動に尊敬の念を払います。しかし、しかし、組織に準ずることが主に従うことではありません。いいですか、キリスト教に大きな壁を作っている理由は、実はイエスの言葉に人間界の不完全な言葉のフィルターを掛けてしまうことだからです。総括した言葉であれこれと説明加え、何とか信条と納得してしまうのです。わたしたちの教派が一番だと・・・。イエスの言葉によって立つではなく、いつの間にか信条によって立つになっている。それに、心情に訴えることがキリストの優しさにつながるなどと良心に訴えることです。これは最も危ない傾向です。ルター自身も曲げて解釈する同僚たちにとても頭を痛めたのです。まして、これほど自由にイエスの言葉に触れることが出来る今、キリスト教であれば何でもありなどというのは、極めて危険なのです。なぜ? 「命のことば」だからです
◆ではどうしたらいいのか。全然、むずかしいことではありません。イエス自身が、「私の言葉に留まりなさい。命であり霊である」と言われているからです。
◆そのイエスの言葉がもっとも良くまとめられているのが、弟子の中で長生きしたであろう福音記者ヨハネが聖霊によっても教えられたであろうヨハネ伝にまとめられているとルターさんは、確信したのでありました。・・・Ω