marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(64回目)

2016-07-21 20:02:01 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 口語訳を使ってます。
もし、聖書を読んでなんかすっきりしないなとか、もっと自覚的に哲学的にでもいいから自分の言葉で理解できるなら考えてみたいと思われる方がいれば、僕は八木誠一の著作を第一に推薦します。本当に目から鱗でしたね。この方との出会いは。この神学者の一連の著作は、「自己」「自我」についての言葉の採用、ヨハネ伝のイエスの言葉の表現、記述言語とか表現言語とか、人格主義的言語とか場所論的言語などで説明しているのは、僕なりに理解できるものでありました。ここで詳しく書くと断線が大きくなりますので興味を持たれる方は立ち読みでもしてください。僕なんぞは、観念(抽象)言語(頭の中だけの想像して実体無いが思いこみみたいなもの)とか実体言語(対象物があり見て指示して分かる)とかの程度の勝手な理解でしたが、特にヨハネ伝なんかの良くわからない言い回しは八木誠一さんの語られるような区分をしながら読むと理解できたつもりにはなっていたな!
◆さて、ヨハネ伝第7章 前回のイエスの周囲を取り巻く人々に対してのイエスの言葉をさがしていくと、第6章までの念押しのような言葉が目に付くでしょう。イエスの状況を語っている会話言葉もありますが、それではなく特に父からの言葉として話されている言葉、それを捜して線でも引いて読まれることを奨めます。(16節)イエスは使わされた神の教えを語るのだ。(18節)イエス(自分)使わされた方の栄光を求める者は真実である。21節の「わたしが一つのわざをしたところ」とは、5章1節~9節の安息日に男の病を癒したあの話のこと。だからその後の23節で安息日に癒したことになぜ怒るのかといっている、うわべで裁きをするな、と(24節)。27節は、イエス自身は人間として大工ヨセフの長男であることは知ってるよ。けれど、長年聞き及んでいたキリストが現れるときはどこからなのかは誰もしらなかったという意。それに対応してイエスが28節に答えている。「自分から来たのではない。使わされた方は真実だが、あなた方はその方を知らない」(28節)。「わたしは使わされた方の元へいくが、あなた方は来ることができない」(34節)。35節に離散したギリシャ人のことが書かれているが、この離散という試練があったことも(神のご計画?)と後になると思わされてくるんだな。38節はサマリアの女に語ったのと同じようなこと「わたしを信じる者は聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。イエスが天に帰られてから信じる人々に送られる聖霊のことと書いてある(39節)。40節以降にイエスの言葉はない。
◆ところで「ここ第7章の40節のあの預言者」とは (第1章21、25節にも書かれているな。誰ぞな?)旧約申命記第18章15節と18節に書かれているがモーせが語られた説教に出てきているんだ。モーセがいつ頃の人だったか予想するに、気が遠くなるような昔・・・イエス御自身が言われた「モーセが書いたのはわたしのことなのだ」(5:46)・・・Ω