marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(72回目)

2016-07-28 19:18:04 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
冒頭にこれを書かないと読んで、なんだ宗教オタクかと思われても困るので一応書いておきます。プロテスタントの開祖、M・ルターさんのお勧めにより、読むのであれば福音書はヨハネ伝と言われ、兎に角、読み進めてきました。脱線ばかりですが、特に今回は、第10章に入る前にニュースで悲惨な事件のことが流れ、容疑者の言い分をニュースで聞いている限りはドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコリーニコフだな、いやもっとひどいなと思ったのであった。
◆で、イエスが「悪魔はもともと人殺しである」という言葉から、「このような事件があるのにどうして私のいう言葉が分からないのか」ということをイエスが思うのではと書いた。容疑者は最高学府も出ていて、そう、親だって小さなころは、かわいがって育ててきたであろうに、そして被害者の方もそれぞれの人生があっただろうにと思うととても残念。悪魔が憑依して人の命を奪うことが本当にあることを目の当たりにした思いである。悔しいのである。
◆そして、カン・サンジュン先生の「悪の力」には、「悪人は本当に実在するのだ」ということを60歳過ぎて知ったとあった。そうだ、イエスの言葉を自分の言葉で読む。万人祭司。我等は、腐るほどある解説書、高額な神学書、長い伝統ある歴史のなかの権化、さまざまあるが我等は、ただ一つ、イエスのことばに立つ、それで何も怖くはないのである。すべての人が、そしてこれは、本当に急務であると考える。
◆さて、そのカン先生が言われたその悪人とやらは、今夏どこぞのキリスト教の教区の修養会で講師を勤められるそうな。政治に絡みも学園の経営もやり、おまけにイエスの群れを牧している者がいかに自分に気づかず、人の人生を曲げ、そしてその中心から最も外れていそうなのにお役目周りとして、皆が勧誘し悪人呼ばわりされた者の話を聴き、修養するというのである。笑止ではないか。カン先生に本で自分のことを書かれたが故に、必死にあちこち回り火消しを行っているようなのである。地に落ちたり・・・日本○○○○教団。どうです、光を装う悪魔はいることが分かるでしょう。
◆(テモテへの第二の手紙第4章3、4節)「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」
第10章の前でだいぶ足踏みをしてしまった。しかし、あまり教会の説教でも取り上げられないここ第10章は上に立つ者は本当に心しなければならない事をイエスは語っているのであると僕は思うのである。・・・Ω

世界のベストセラーを読む(71回目)

2016-07-28 05:35:51 | 日記
◇世界のベストセラー聖書を読む◇
カン先生には失礼だが、イエスの言葉を読む者は、悩む力シリーズは自分の心の解決を得るためには読まないだろうな。何故なら、もっと深いところでイエスに出会うからね(決して護教的に言っている訳ではない)。それで先生に別れ際、渡した手紙の内容とは、それに関連してのことなのだが、今回お会できたことへの感謝と共に「悩む力」ある一文に苦情をかいたのである。
◇(p106)「ですから、究極的には、「信じる」ということは、「何かを信じる」ということではなく、「自分を信じる」ということになると思います。言うなれば、「一人一宗教」「自分が教祖」なのです。・・・とある。
◇無論、書かれたものは売れて読まれなければまず第一にいけないから、一般向けに書かねばというところなのだろうし、いきなり宗教に頼れでも駄目だろう(僕はこれ嫌な話、でもこれは言葉の使い方に非常に神経を使う問題)。先生は、一番受けのいい収まりどころの言葉をやはり選んだのだということで、僕は、この日記にも書いてきたが、自分というそのものを捕らえる事自体がそもそも難しいでしょう。自分を自分の言葉で捕らえることができれば悩みは軽減するだろうし、自分を信じるのではなく、自分を越えたものを信じなければ決して解決にはならないのではありませんか というようなことを偉そうに書いたのだ。僕は、そのときご子息が25歳で自死されていたのを知らなかったので、今から思うと大変失礼な内容になっていたかも知れない。
◇その後、2年もたたず先生は、某ミッション系の大学の学長に迎えられたのを辞任されたのです。(p12)「しかし、60代半ばにしてはじめて、私は、悪が人の中に巣食い、それがまるで病原菌のように人の心を蝕んでいく悪の連鎖を目の当たりにすることになりました。その時の経験を通じて、「悪人というものは、実際に存在するのだ」という確信がはじめて私の中に芽生えたのです。・・・その驚きたるや・・・・」(p185:後書「本書を書こうと思い立ったのは、首都圏のあるミッション系の大学の学長を辞めざるをえなくなったことが大きなきっかけでした。とくに、辞任を決意する最後の二ヶ月間には、表裏のある人間の言動を見るにつけ、私の中に悪というテーマが浮上してくるようになったのです。それは、大袈裟に言えば、どこか漠然とした形ではありましたが、私の中に生き続けていた人間への素朴な信頼を打ち砕く体験だったと言っていいでしょう。」・・・(次回、続く)

世界のベストセラーを読む(70回目)

2016-07-28 04:58:31 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 
本日も脱線。”悪の力”2013年6月に政治学者の姜尚中(カンサンジュン)先生の講演と話をする機会があった。昨日の悲惨な事件について、カン先生の”悪の力”思い出したので書き留めておきたい。集英社新書から出ていますから購入されてお読み下さい(立ち読みしても1時間ほどで読めるかと思いますが一応礼儀として先生の今後の内面の格闘課題ようなことも書かれていましたので、おそらく内面の基礎にはこの部分が今後生涯残って著作に励まれることは疑いないと思われますので、・・・)
                           
◆実は、先生とお話ができるとのことだったので急遽集英社新書から9冊を読んだ。あの2009年上半期第一位(トーハン/日販調べ)の「悩む力」も含め、それから「マックス・ウェーバーと近代」(岩波現代文庫)も。第一印象は実に誠実な方であった。当初、予定には無かった先生の書籍販売にもサイン会を設定し、購入者に声を掛けられ握手などされて丁寧であった。事前の整理券は1時間ほどで無くなり、狭い会場に300人以上の来会者・・・溢れた。
◆掲載した写真”悪の力”が出版されたのは2015年9月22日第一印であるから、先生とこの機会をもったのはそれ以前、某ミッション系の大学を退職される前の事である。この本を著すきっかけはその時の経緯にあり。詳しくは消されたかどうか・・・当時ネットでも調べられました。
◇東北からは、いろいろな著名な人ご排出されてますねと。ハーバード・ノーマンにより海外にも知られた安藤昌益には特に関心を持たれたようだった。いずれかの日に短時間であったがお話した時の内容を書きたい。
ところで今回の日記に書き留めて起きたいと思ったのは、別れ際、先生に手紙を渡したのだ。その内容について・・・。(次回へ)