◆世界のベストセラー聖書を読む◆
冒頭にこれを書かないと読んで、なんだ宗教オタクかと思われても困るので一応書いておきます。プロテスタントの開祖、M・ルターさんのお勧めにより、読むのであれば福音書はヨハネ伝と言われ、兎に角、読み進めてきました。脱線ばかりですが、特に今回は、第10章に入る前にニュースで悲惨な事件のことが流れ、容疑者の言い分をニュースで聞いている限りはドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコリーニコフだな、いやもっとひどいなと思ったのであった。
◆で、イエスが「悪魔はもともと人殺しである」という言葉から、「このような事件があるのにどうして私のいう言葉が分からないのか」ということをイエスが思うのではと書いた。容疑者は最高学府も出ていて、そう、親だって小さなころは、かわいがって育ててきたであろうに、そして被害者の方もそれぞれの人生があっただろうにと思うととても残念。悪魔が憑依して人の命を奪うことが本当にあることを目の当たりにした思いである。悔しいのである。
◆そして、カン・サンジュン先生の「悪の力」には、「悪人は本当に実在するのだ」ということを60歳過ぎて知ったとあった。そうだ、イエスの言葉を自分の言葉で読む。万人祭司。我等は、腐るほどある解説書、高額な神学書、長い伝統ある歴史のなかの権化、さまざまあるが我等は、ただ一つ、イエスのことばに立つ、それで何も怖くはないのである。すべての人が、そしてこれは、本当に急務であると考える。
◆さて、そのカン先生が言われたその悪人とやらは、今夏どこぞのキリスト教の教区の修養会で講師を勤められるそうな。政治に絡みも学園の経営もやり、おまけにイエスの群れを牧している者がいかに自分に気づかず、人の人生を曲げ、そしてその中心から最も外れていそうなのにお役目周りとして、皆が勧誘し悪人呼ばわりされた者の話を聴き、修養するというのである。笑止ではないか。カン先生に本で自分のことを書かれたが故に、必死にあちこち回り火消しを行っているようなのである。地に落ちたり・・・日本○○○○教団。どうです、光を装う悪魔はいることが分かるでしょう。
◆(テモテへの第二の手紙第4章3、4節)「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」
第10章の前でだいぶ足踏みをしてしまった。しかし、あまり教会の説教でも取り上げられないここ第10章は上に立つ者は本当に心しなければならない事をイエスは語っているのであると僕は思うのである。・・・Ω
冒頭にこれを書かないと読んで、なんだ宗教オタクかと思われても困るので一応書いておきます。プロテスタントの開祖、M・ルターさんのお勧めにより、読むのであれば福音書はヨハネ伝と言われ、兎に角、読み進めてきました。脱線ばかりですが、特に今回は、第10章に入る前にニュースで悲惨な事件のことが流れ、容疑者の言い分をニュースで聞いている限りはドストエフスキーの「罪と罰」の主人公ラスコリーニコフだな、いやもっとひどいなと思ったのであった。
◆で、イエスが「悪魔はもともと人殺しである」という言葉から、「このような事件があるのにどうして私のいう言葉が分からないのか」ということをイエスが思うのではと書いた。容疑者は最高学府も出ていて、そう、親だって小さなころは、かわいがって育ててきたであろうに、そして被害者の方もそれぞれの人生があっただろうにと思うととても残念。悪魔が憑依して人の命を奪うことが本当にあることを目の当たりにした思いである。悔しいのである。
◆そして、カン・サンジュン先生の「悪の力」には、「悪人は本当に実在するのだ」ということを60歳過ぎて知ったとあった。そうだ、イエスの言葉を自分の言葉で読む。万人祭司。我等は、腐るほどある解説書、高額な神学書、長い伝統ある歴史のなかの権化、さまざまあるが我等は、ただ一つ、イエスのことばに立つ、それで何も怖くはないのである。すべての人が、そしてこれは、本当に急務であると考える。
◆さて、そのカン先生が言われたその悪人とやらは、今夏どこぞのキリスト教の教区の修養会で講師を勤められるそうな。政治に絡みも学園の経営もやり、おまけにイエスの群れを牧している者がいかに自分に気づかず、人の人生を曲げ、そしてその中心から最も外れていそうなのにお役目周りとして、皆が勧誘し悪人呼ばわりされた者の話を聴き、修養するというのである。笑止ではないか。カン先生に本で自分のことを書かれたが故に、必死にあちこち回り火消しを行っているようなのである。地に落ちたり・・・日本○○○○教団。どうです、光を装う悪魔はいることが分かるでしょう。
◆(テモテへの第二の手紙第4章3、4節)「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。」
第10章の前でだいぶ足踏みをしてしまった。しかし、あまり教会の説教でも取り上げられないここ第10章は上に立つ者は本当に心しなければならない事をイエスは語っているのであると僕は思うのである。・・・Ω