marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(44回目)

2016-07-02 20:48:31 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆
イエスがこの地上で起こっている霊の行き来は当然の見ていることとして話されているけれども(第三章前半)、僕らには分からないから、何となく観ずるという程度で次ぎへ進もう。と言ってもいつでも(今でも)起こっていることになるので、いつでもどこでもそのこと(生きて動いている霊)については話せる訳だからそうすることにしよう。先に宮古駅からタクシーに乗せた女性が霊としては、生きているのか死んだのかはっきりしないと消えた話を書いたら、ユーチューブで流れているものにも石巻でも同じようなことは頻繁に起きているようですね。あまりこういうのは好きではありませんが・・・。でもそれが事実であり、イエスが「よくよく話しておく」と念を押していることや、それから「わたしの言葉は命であり霊である」としっかり言われた訳だから、真摯に自分のことばでみなさんも今日も読むことにしよう。     
◆17節から36節まで ここにでてくるヨハネとは、洗礼者の方ですね。この福音記者とは違います。初めて読むと同じヨハネという名前で冒頭から出てくるので分けて考えないといけないね。それから、同時にパラレルに福音記者ヨハネ自信の解説も入れているようなので、何度目かに読むときは頭を少し整理しておかないといけないかもしれません。第3章の終わりにあたる31節から36節までなんだけれど、ここは洗礼者ヨハネの言われた言葉に続いているから洗礼者ヨハネの言っていることのように読むけど、ここ(31~36節)は、福音記者ヨハネ(つまり書いている自分の総括的な解説になっているのよね。洗礼者ヨハネの言葉は前の30節の終わりに(」)がついて台詞が終わっているでしょ。どう気がつかなかったでしょう。このようにヨハネによる福音書は、他の3つの福音書が共観福音書と言われているのに対して、少し円熟したヨハネさんの考えが入っているのです。※ところがこれは(「い(社)」の聖書で、口語訳、新共同訳の聖書の方は36節までがやはり洗礼者の言葉になってその終わりまで台詞の(」)が付いているのよね。どちなんだ、おい! どれも今の教会とやらで使われてんだぞ。誤りなき神の言葉でなかったの? さて答えは、その道を説く方に是非聞かれてください。→本来は[い(社)]:いのちのことば社が正解、というか原典です。おそらくその道の方でも答えられるか怪しいぞ!!
◆さて、「さばき」という言葉が出てくると僕らはどうしても、善と悪の識別で道徳的識別のようにすぐ思いこんでしまうけれど、そうではなくて、「分けられますよ」という程度でよろしいかと思う。つまり、イエスを信じた人ないは、永遠の命、そうでない信じない人には永遠の命に入れない。これは、罰のように思うけどそうではなく、まあ普通の家でも自分の家に招待するに行き方や入り方を教えたら行き着くだろうけど、そうでない人は行き方も入り方も分からないでしょう。そのようにセパレートされますよという程度です。こう考えると当たり前のことですよね。だから、積極的に道を求めてくださいと言われている訳なのです。そして、入った人にはまだの人に熱心に伝えなさいということになる訳です。・・・Ω ※今日の写真はドイツ語「聖書」です。