◆世界のベストセラー聖書を読む◆
聖書(今で言えば旧約聖書)のスペシャリストたち(ユダヤパリサイ人ら)に向かい、イエスは確信を語る。前回からの続き、まとめて書くと次のようになるかと思う。
◆ヨハネ伝第5章19節-20節:父なる神は、子であるイエス(自分)を愛しておられるのですべてを示される。私はそのことを行っているのである。20節-21節:それより大きな業が起きる。それは父なる神が死んだ人に命を与えるように、自分(イエス)もこころにかなう人々に命を与える。(これは、イエス御自身が十字架にかかり信ずる者を天の永遠の住まいに迎える計画のことを言われているのであろう)23節:父なる神と独り子イエスは一体であるからイエスを敬わないものは父なる神をも敬わないことになるのだ。
◆24節:イエスの言葉を聞いてイエスを使わした父なる神を信じる者は永遠の命を受け、さばかれることがなく死から命に移っている。
◆25-26節:イエスの声を聞く死んだ人達は生きるであろう。(25節は霊的に死んだ人間のこと)。(28-29節:墓の中にいる者たちがイエスの声を聞き、裁きを受けるために出てくる時がくる)。父なる神はイエスにも命を持つこと(=人の命を生かす、生かさないの裁きの権限、これは判断基準がイエス御自身を信ずるか否かに掛かっているということ)を許されている。
◆29節:ここ注意です(「善」「悪」とは我々人間の道徳的な事ではありません。聖書の注意点で「良い」とか「悪い」とか出てくる時は今の僕らの判断基準をすぐ当てはめて考えては絶対にいけません。)。ここでは「善を行った人々とはイエスを信じた人々」のこと、「悪を行った人々とはイエスを信じなかった人々」のことです。30節:父とわたしイエスは一体であるから私は父のみこころのままに行うのである。ここでの「さばき」とはただひたすらイエスを信ずるか、信じないかに掛かっているということですね。
◆31節-:ここから少し分かりにくいが、イエスが自分だけ一人よがりで自分のことを証明しているのではないのですよと言っているのです。ここから最後の第5章最後の36節までがこの31節の詳しいそれぞれの説明なのです。いのちのことば社「聖書」の解説は次のようになっていて分かりやすいですね。「イエスの主張の正しさを証言するのは第一にイエスを使わされた御父(32、37)。他にバプテスマのヨハネ(33-35)。イエス御自身のわざ(36)、旧約聖書(39)、モーセ(46)があげられる。」つまり、第5章の本丸(核心)にはイエス御自身の動かしがたい証明の事実が書かれているのでした。旧約の専門家に架空の話ではないということを示したのだ。・・・Ω
聖書(今で言えば旧約聖書)のスペシャリストたち(ユダヤパリサイ人ら)に向かい、イエスは確信を語る。前回からの続き、まとめて書くと次のようになるかと思う。
◆ヨハネ伝第5章19節-20節:父なる神は、子であるイエス(自分)を愛しておられるのですべてを示される。私はそのことを行っているのである。20節-21節:それより大きな業が起きる。それは父なる神が死んだ人に命を与えるように、自分(イエス)もこころにかなう人々に命を与える。(これは、イエス御自身が十字架にかかり信ずる者を天の永遠の住まいに迎える計画のことを言われているのであろう)23節:父なる神と独り子イエスは一体であるからイエスを敬わないものは父なる神をも敬わないことになるのだ。
◆24節:イエスの言葉を聞いてイエスを使わした父なる神を信じる者は永遠の命を受け、さばかれることがなく死から命に移っている。
◆25-26節:イエスの声を聞く死んだ人達は生きるであろう。(25節は霊的に死んだ人間のこと)。(28-29節:墓の中にいる者たちがイエスの声を聞き、裁きを受けるために出てくる時がくる)。父なる神はイエスにも命を持つこと(=人の命を生かす、生かさないの裁きの権限、これは判断基準がイエス御自身を信ずるか否かに掛かっているということ)を許されている。
◆29節:ここ注意です(「善」「悪」とは我々人間の道徳的な事ではありません。聖書の注意点で「良い」とか「悪い」とか出てくる時は今の僕らの判断基準をすぐ当てはめて考えては絶対にいけません。)。ここでは「善を行った人々とはイエスを信じた人々」のこと、「悪を行った人々とはイエスを信じなかった人々」のことです。30節:父とわたしイエスは一体であるから私は父のみこころのままに行うのである。ここでの「さばき」とはただひたすらイエスを信ずるか、信じないかに掛かっているということですね。
◆31節-:ここから少し分かりにくいが、イエスが自分だけ一人よがりで自分のことを証明しているのではないのですよと言っているのです。ここから最後の第5章最後の36節までがこの31節の詳しいそれぞれの説明なのです。いのちのことば社「聖書」の解説は次のようになっていて分かりやすいですね。「イエスの主張の正しさを証言するのは第一にイエスを使わされた御父(32、37)。他にバプテスマのヨハネ(33-35)。イエス御自身のわざ(36)、旧約聖書(39)、モーセ(46)があげられる。」つまり、第5章の本丸(核心)にはイエス御自身の動かしがたい証明の事実が書かれているのでした。旧約の専門家に架空の話ではないということを示したのだ。・・・Ω