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ユーモラスな一枚の絵
(光琳画、黎明教会資料研修館蔵)
ふっと何かが頭を横切り、薄皮をはぐように思い出しました。
一枚の絵です。
京都に住んでいた頃に通った黎明協会資料研修館と、そこで出合った一枚の絵。
新しい展示に変わった或る土曜日の13時過ぎのこと、
黎明教会の関係者らしき男性A氏(学芸員の方?)が展示品の解説をしていました。
その絵は尾形光琳画と伝えられていて、伊勢物語を題材にしているとか。
一人の男が格子窓から中を覗いています。
一人の女がお櫃から器にご飯を山のように盛り上げてよそっています。
簡単な構図ですが、何とも言えないユーモラスな雰囲気が溢れていました。
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いつも静かな展示室
「この絵に、何とも言えない親しみとユーモラスを感じます」と私。
「伊勢物語の有名な話の一場面で、奥ゆかしく好ましいと思っていた女が
自らご飯を山盛りによそっている様子を垣間見て幻滅し、通わなくなってしまったそうですよ」とA氏。
「この絵を床に掛けて茶事をしたら面白そうね・・・。
さしあたり、屏風の向こうから袖か何かで顔を隠して、奥ゆかしく迎え付けの挨拶をし、
そのあとにしゃもじとお櫃をかかえて登場するの・・・」と私。
「えっ! おもしろそうですね。ぜひやってみてください」
「でも・・・この絵がないとねぇ・・・・」
ここで、会話も記憶も途切れていましたが、数年ぶりに思い出しました。
早速、伊勢物語を読み返してみると、第二十三段「筒井筒」の後半の話だとわかりました。
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能 「井筒」
筒井筒のあらすじは、
昔、幼なじみの男女が、筒井筒(丸い井戸の竹垣)の周りで、たけくらべをしたりして遊んでいました。
長ずるにつれて互いに顔を合わせるのが恥ずかしくなり疎遠となっていましたが、
二人とも相手を忘れられず、女は親の持ってくる縁談も断っていました。
女のもとに、男から歌が届き、二人は歌を取り交わして契りを結びます。
筒井筒井筒にかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに
(井戸の縁の高さにも足りなかった自分の背丈が伸びて縁をこしたようですよ、貴女を見ない間に)
女から返し
比べ来こし振り分け髪も肩過ぎぬ君ならずして誰たれか上ぐべき
(貴方と比べていたおかっぱの髪ももう肩より伸びましたよ、貴方以外の誰が髪上げ(=成人することの印。そのまま結婚する事が多かった)できるものですか)
二人はめでたく夫婦となりましたが、やがて妻の親が死に、暮しが貧しくなると、夫は河内の国、高安郡の女の所へ足しげく通うようになりました。
ところが、妻は怒りの素振りも見せないで夫を送り出すのでした。
不審に思った夫が隠れて見ていると、妻は念入りに化粧をして、もの思いにふけってぼんやり遠くを眺めて、
風吹けば沖つ白波たつた山夜半よはにや君がひとり越ゆらむ
(風が吹くと沖の白波が立つ竜田山を、夜中に貴方は一人で越えているのでしょうか・・)
その心根にうたれた夫は再び妻の元へと帰るのでした。
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ごくまれにあの高安の女の所に来てみると、初めは奥ゆかしく取り繕っていたけれど、
今では気を許して、自分の手でしゃもじを取って、飯を盛る器に盛りつけるのを見て、
すっかり嫌になって行かなくなってしまいました。
男が来なくなったので、高安の女は大和の方を見やって、
君があたり見つつををらむ生駒山 雲な隠しそ雨は降るとも
と詠んで生駒山を見ながら待っていると、ようやく、男が「行こう」と言ってきました。
高安の女は喜んで待つのですが、何度も訪れのないまま過ぎてしまったので、歌を送ります。
君来むと言ひし夜ごとに過ぎぬれば 頼まぬものの恋ひつつぞ経る
と詠んだけれども、男は行かなくなってしまいました・・・とさ。
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平安神宮にて
幼馴染の男女がお互いを忘れられず、やがて男から歌が届き、結ばれるという「筒井筒」の純愛物語より、
もう一つの「高安の女」の物語に強く惹かれました。
男が来なくなってから、読む歌に高安の女の待ちわびる心が切ないほどあらわれています。
確かに食欲旺盛だったかもしれないけれど、教養もあり篤い心根の女人のようです。
でも、高安の女は現実を直視できるタイプ、いつまでもなよなよと男の身勝手さや吾が身の上を嘆いていないで、
しっかりと前を向いて乗り越えていけそうですね。
伊勢物語を再読し、あの絵を想い出すと、なぜか高安の女にエールを送っていました。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fuku.gif)
毎年、秋分の日(だと思う・・・)に開催される黎明教会資料研修館の茶会もお勧めです。
参考) 宗編流の茶会
萩まつり茶会と宗編流の茶会 その2