(ご近所のしだれ梅がほころび始めました・・・如月20日頃)
SEさまの「如月の夢の茶事」の思い出に後礼の手紙をこちらへ書き留めます。
SEさまへ
2月20日の茶会へお招きいただき、ありがとうございました。
ご本人様が「永遠に先かと思っていました・・」茶会は、私も指折り数えて待っていた茶会でした。ついにSEさまの努力と決心が実って茶会を催すことができ、私自身も無事に参席できて嬉しゅうございました。
初めて伺う「粋黒(いっこく)」を探していると、角にご主人らしき男性が人を待っているご様子、「S様ですか?」とお声掛けすると、振り向いたその人はとても穏やかで優しそうな方で、後で水屋をご主人様がされているとわかり、素晴らしいご夫婦!と感激しました。
(「うずら」の香合・・・息ピッタリのご夫妻みたい)
SEさまの師・O先生と初めてお会いしましたが、お互いに歩んできた茶の道の話に花が咲き、何時間でも話題が尽きることがないのでは・・・と思いました。この度、ご同席させていただきとても有難く、私はのんびりと食事や茶会を楽しませていただき、感謝しております。
O先生へどうぞよろしくお伝えください。
「粋黒」の食事、春の食材をふんだんに取り入れて、お味も量も程よく、ゆり根真蒸のお椀や炊き立てのご飯がびっくりするほど美味しかったです。
伊万里焼の染付の蓋物に入った主菓子は熱々の「蛤薯蕷」、かぶりつくと薯蕷皮や中の白餡がもうもう美味しく、流石虎屋製ですね。
(「粋黒」2階の茶室に切られた炉と浜松地紋の釜)
SEさまの濃茶が始まると、ご亭主の緊張感がこちらにも伝わってきて、実はその緊張感が何よりのご馳走であり、一番のおもてなしと感動!しました。
前にもお話したと思いますが、このお茶で出会う緊張感のため、茶の道へのめりこんでいったことを思い出し、まるで我がことのように心地よく感じながら・・・。
緊張しながらも心を込めて練ってくださった濃茶、朝日焼の茶碗で一口ずつゆっくり味わいながら頂戴しました。奥西緑芳園の「寿の昔」と伺い、まろやかな香りと微かな甘味が懐かしく美味しゅうございました。
この日のためにいろいろ考え、設えてくださったお道具も心に残っています・・・そしてSEさまの着物姿、ハレの着物と帯が上品かつ豪華で、とてもお似合いでございました。今でも走馬灯のようにその姿が思い出されます。
「夢」(前大徳 矢野一甫師?)の御軸、よく故人の追善に掛けられますが、O先生のお言葉のように”ドリーム”であっても良し・・・と思いました。
「夢」の御軸に託されたいろいろな思いが伝わってきました。”ドリーム”(これから出かける世界お茶の旅とこれからのSEさまの茶の道)であり、数年前に亡くなられたご両親の追善でもある茶会、きっとご両親も応援してくださったのではないかしら・・・。
渋く存在感のある釣瓶水指、「貴女にはこの水指は時期尚早と、なかなか売ってくれなかった」というエピソードが面白く、その骨董店のご主人に会ってみたいと思いました。骨董店のご主人がどうしても茶会でこれを使ってほしいと託された青磁鯉耳花入が素晴らしく、土佐ミズキと白椿(天の川)を惹きたてていました。
O先生から贈られた瀬戸茶入と弥左衛門間道の仕覆、杼が美しい白竹茶杓(銘が?)を嬉しく拝見させていただきました。
続いて薄茶になりウグイスと梅の干菓子を食べて、織部片口(初代六兵衛)で頂いた薄茶が美味しく喉を潤していきます。
網目模様の朱棗と、銘「道遠し」というご自作の茶杓が力強く個性的で、心に残りました・・・。
(織部片口の茶碗に薄茶を点ててくださいました)
濃茶が終わってやっと緊張が解けたのではないでしょうか?
本当はご主人様にも薄茶席へ入っていただいて、ご一緒にひと時を過ごせたら・・・と思いましたが、ご挨拶だけで失礼しました。
世界お茶の旅への出発が延びたとのことで、4月末頃に我が家でささやかな「壮行の茶事」をいたしたく思っております。ぜひともご主人様といらしてくださいませ。
お仕事がお忙しい中、渾身のおもてなしをしていただき、本当にありがとうございました。
寒気が日本列島を覆っている昨今、くれぐれもお体に気を付けてお過ごしください。 かしこ
令和7年如月吉日 暁庵より
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