暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

東京教室の初点茶会・・・薄茶席

2025年02月10日 | 稽古備忘録・・・東京教室の稽古

つづき)

薄茶席の床には「閑座聴松風」、坐忘斎家元の御筆です。

床柱には五葉松と紅白椿が竹一重切に生けられ、会記には銘「老松」、小田雪窓造とありました。

香合は「亀の洲香合」、五代大樋長左衛門造、玄々斎箱書です。

     (五代大樋長左衛門の「亀の洲香合」)

すぐにお菓子が運び出されました。菓子は「若松」、浅草・千茶製です。

緑の上に白いものがあり、雪でしょうか、美味しく頂戴し薄茶が待ち遠しい思いでした。

その頃に仕事で遅れたRさまがいらして、間に合ってよかった!

点前座には源氏棚(淡々斎好み)、存在感がある祥瑞の大ぶりの水指(勝見永泉造)に中棚の朱色の大棗がお似合いで拝見が楽しみでした。

N氏の薄茶点前が始まりました。後見はMさまです。

薄茶が白楽茶碗に点てられ、S先生が頂戴し、茶碗が清められて拝見に回されました。主茶碗は楽入作の干支茶碗で、胴に今年の干支・巳のような文様がありました。

それからお点前さんと水屋からの運び出しで、薄茶が次々と点てられ、1班のお持ち出しの茶碗で熱いたっぷりの薄茶を堪能しました。薄茶は「松風の白」、青松園詰です。

替茶碗は荒土鹿背花茶碗(豊斎造)、梅花園茶碗・直原玉青画(森岡嘉祥造)、白大樋(泉喜仙造)、萩(十二代田原陶兵衛造、大宗匠箱書)などお心尽くしの10碗、いずれも名品揃いで観賞したり、お話を伺うのが楽しかったです。

暁庵は可愛らしい奈良絵の茶碗(赤膚焼、三代大塩昭山造)でした。

拝見に回された青海波蒔絵の大棗、朱の塗が時代を経て落ち着きのある寂びた味わいがあり、雄大な青海波蒔絵と共に素晴らしいと思いました。前畑欣斎造、鵬雲斎大宗匠箱書です。

茶杓はとても古いものなので脇床に飾ってあり、お点前は替えの茶杓が使われました。古い茶杓については詳しい説明がなかったように思います。

   (脇床に飾られていた茶杓は、一尾伊織作で銘「一尾いも」)

会記によると茶杓は、一尾伊織作で銘「一尾いも」、一尾伊織という名前も初めてだし、茶杓銘の意味もピンときませんでその時は終わりました。

1班の皆様、熱く美味しい薄茶と共にいろいろ楽しませていただきまして、ありがとうございました。

 

      (祥雲寺お庭の見事な敷松葉)

数日後、あの茶杓のことが気になって調べてみて、もうびっくり! 

茶道大辞典に次のように書いてありました。

一尾伊織・・・慶長7年~元禄2年(1602~1689)武家茶人。一尾流の祖。名を通尚、宗碩、照庵、一庵、徹斎と号した。寛永11年(1634)父通春の遺領のうち千石を給わって旗本・御書院番となり、次いで小普請に転じ、貞享元年(1684)致仕。

茶湯を細川三斎に学び、三斎流茶湯の確立に貢献した。門人に徳川光友、稲葉正倚、中井祐甫らがある。「一庵茶湯書」「一尾流之書」「一尾流茶道之書」の著述がある。

茶杓の作者・一尾伊織が江戸時代初期の茶人で、細川三斎に茶の湯を学び、一尾流の祖であったなんて・・・銘「一尾いも」は一尾伊織その人の奥様または恋人を想いながら、「一尾いも」と銘をつけたのかしら?

黒光りするような煤竹の茶杓(それともウルシ塗?)が頭の中で急に輝きだしたような・・・

一尾伊織は竹の花筒、茶杓の製作に秀いで、琵琶を製作したという。

いろいろ想像は膨らみますが、それにしてもこの茶杓をどなたが出されたのか、気になりました。

・・・Yさまでした。以前、長いことお習いしていた先生から譲られたそうですが、詳しくお話を伺いたいので今度ゆっくりお会いすることになっています。

いろいろなご縁がめぐり巡って、一尾伊織作の銘「一尾いも」の茶杓に出会えて、とても嬉しいです。

それにしても、S先生の初点茶会・薄茶席でこのような名品が出されるなんて、凄い また、3年後に是非お目にかかりたいものです。

来年の初点茶会・薄茶席は2班が担当です。暁庵は2班ですが、他の方の出品につい期待しちゃいます・・・

 

           東京教室の初点茶会・・・濃茶席へ戻る

 


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。