京都市の東山にある永観堂は、紅葉の時期になると紅葉の名所の上位に名前が挙がります。春も見事な桜や新緑をみせるようですが、浄土宗の永観堂禅林寺は、相変わらず“もみじの永観堂”として高い人気を博しています。拝観料(寺宝展拝観券)が1000円とやや高いのも、人気の高さを反映したものでしょう。
深い緑の木々に覆われた東山の山麓の中に、永観堂は釈迦堂、多宝塔、阿弥陀堂などの約10個の建屋で構成されています。中門の辺りには、山から湧き出た豊富な水が流れ込む池が続き、自然豊かな古刹(こさつ)の趣(おもむき)です。


南禅寺の南側にある永観堂までの小道は、紅葉見物の人並みが途切れません。南禅寺の山門付近は大きな木々が並び、やや日が差し込まない木立の陰もあります。これに対して、永観堂の近くの小道の木立はあまり高くないため、明るく、紅葉になったモミジなどの木々に日が当たります。ここのモミジは「岩垣紅葉」と呼ばれる独特のものだそうですが、残念ながら、紅葉は盛りを過ぎ、落葉し始め、独特のモミジであることがあまり分かりませんでした。既にやや晩秋の気配でした。
深い木立の中に多宝塔が立っています。上部は円形、下部は方形の不思議な構造です。さらに、屋根の上に立つ心柱には九輪と水煙が付く珍しいものです。

永観堂の面白いところは、釈迦堂と端紫殿、故方丈が渡り廊下でつながっており、千佛洞と御影堂、位牌堂、阿弥陀堂もやはり渡り廊下でつながっており、渡り廊下から紅葉を楽しめることです。紅葉見物の客が廊下に立ち止まって、紅葉を見ています。人は途絶えません。
平安時代の863年に寺院建立の許可を受け、禅林寺は真言密教の寺として建てられました。その後に、永観律師が活躍した時代に発展し、“永観堂”と呼ばれるようになり、浄土宗のお寺に変わります。もみじの紅葉でいつから有名になったのかはよく分かりませんでした。

永観堂に紅葉見物客が押し寄せるように、12月初旬の京都は多数の観光客が訪れていました。不況とは思えないほど、多くの観光客で京都駅などは混んでいます。南禅寺近くに並ぶ湯豆腐の名店数店の入り口には観光客が並んでいました。昼食の定食はそう安くはありません。不況の影響を強く受ける人と、あまり影響を受けない人がいるようです。京都見物に励める方々は幸せな方だなと思いました。
深い緑の木々に覆われた東山の山麓の中に、永観堂は釈迦堂、多宝塔、阿弥陀堂などの約10個の建屋で構成されています。中門の辺りには、山から湧き出た豊富な水が流れ込む池が続き、自然豊かな古刹(こさつ)の趣(おもむき)です。


南禅寺の南側にある永観堂までの小道は、紅葉見物の人並みが途切れません。南禅寺の山門付近は大きな木々が並び、やや日が差し込まない木立の陰もあります。これに対して、永観堂の近くの小道の木立はあまり高くないため、明るく、紅葉になったモミジなどの木々に日が当たります。ここのモミジは「岩垣紅葉」と呼ばれる独特のものだそうですが、残念ながら、紅葉は盛りを過ぎ、落葉し始め、独特のモミジであることがあまり分かりませんでした。既にやや晩秋の気配でした。
深い木立の中に多宝塔が立っています。上部は円形、下部は方形の不思議な構造です。さらに、屋根の上に立つ心柱には九輪と水煙が付く珍しいものです。

永観堂の面白いところは、釈迦堂と端紫殿、故方丈が渡り廊下でつながっており、千佛洞と御影堂、位牌堂、阿弥陀堂もやはり渡り廊下でつながっており、渡り廊下から紅葉を楽しめることです。紅葉見物の客が廊下に立ち止まって、紅葉を見ています。人は途絶えません。
平安時代の863年に寺院建立の許可を受け、禅林寺は真言密教の寺として建てられました。その後に、永観律師が活躍した時代に発展し、“永観堂”と呼ばれるようになり、浄土宗のお寺に変わります。もみじの紅葉でいつから有名になったのかはよく分かりませんでした。

永観堂に紅葉見物客が押し寄せるように、12月初旬の京都は多数の観光客が訪れていました。不況とは思えないほど、多くの観光客で京都駅などは混んでいます。南禅寺近くに並ぶ湯豆腐の名店数店の入り口には観光客が並んでいました。昼食の定食はそう安くはありません。不況の影響を強く受ける人と、あまり影響を受けない人がいるようです。京都見物に励める方々は幸せな方だなと思いました。