12月6日夕方に、京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸哉教授の講演を拝聴しました。山中さんのiPS細胞の応用研究開発が成功すると、再生治療(細胞移植治療)では例えば心臓などを新しく再生し、移植することができるかもしれません。自分の細胞から新たに心臓を育てて、心臓として動くもを移植するので、拒絶反応がないと考えられています。この点が、他人の心臓を移植する現在のやり方との相違点です。現在は、マウスの細胞から心臓の原型をつくりだすことにメドを立てています。心臓の原型として動く、動画を見ました。
山中さんが所長を務めるiPS細胞研究所(CiRA)は、パーキンソン病や糖尿病の原因を解明し、その治療法を確立したり、患者自身の細胞からその人がかかっている難病の治療法を解明するなど、現時点では“夢物語”に近い目標を、iPS細胞研究所(CiRA)は10年間で達成したいと宣言しています。山中さんは、iPS細胞を基に、この夢物語をどうやって実現するか戦略を立てて実行中です。成功すれば、人類にとって大きな変換点になります。
山中さんは生真面目なので、写真を撮影すると、笑顔のシーンが少なかったです。本人は淡々と話をするため、それほど笑顔が少ないとは感じなかったのですが。
1999年12月に、 山中さんは奈良先端科学技術大学院大学の遺伝子教育研究センターの助教授に採用され、翌年4月に3人の修士1年生を山中研究室に迎え入れました。研究成果があまりなかったために、日本学術振興会の科学研究費補助金をなかなか獲得できなかったそうです。助教授になって2年度目には、山中研究室に新入生が数人加わります。この結果、10数人規模となった研究室の運営には1人当たり約100万円の研究費が必要と見積もると、研究室の運営費には約1500万円は入手しなければ、成り立たなくなります。このため、研究室を主宰する山中さんは、個人で応募できる科学研究費補助金の申請書類を出し続けます。
ある時、山中さんは科学技術振興機構の戦略的創造推進事業の一つであるCREST事業の中の「免疫難病・感染症等の先進医療技術」(2003年度から2008年度)の公募研究テーマに応募します。このプロジェクトの責任者である研究統括は大阪大学の岸本忠三教授です。この分野の有名な大家です。岸本さんの諮問に緊張して応え、「若い時にラクビーをしていたので、体力には自信があります」と苦し紛れに答えたそうです。この結果「予想を覆して、なぜか選ばれました」といいます。岸本名誉教授は「山中さんの研究提案のES細胞に必要な重要な遺伝子の探索は、広い意味で研究範囲に入る挑戦的な研究テーマ」と感じたそうです。岸本名誉教授は現在、山中さんのiPS細胞研究に着目した“目利き”“伯楽”として有名になっています。
そのCREST事業「免疫難病・感染症等の先進医療技術」の研究成果報告会で、平成15年度(2007年度)採択研究者として山中さん(教授に昇進しています)は「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」を発表します。今振り返って考えれば、iPS細胞の研究成果の先駆けです。山中さんは5年間で研究費として3000万から4000万円が安定的に配られるので、「長期的な研究計画を立てることができ、安心して研究に専念できた」といいます。
iPS細胞の開発成功は、2006年8月25日発行の米学術誌「セル」に京都大学再生医科学研究所教授の山中さんと特任助手の高橋和利さんのグループが発表した論文が第一報といわれています。「マウスの胚性繊維芽細胞に4つの因子(Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4)を導入することでES細胞のように分化多能性を持つマウス人工多能性幹細胞(iPS細胞)を確立した」といわれています。しかし、この時は、ヒトの細胞ではなく、マウスの細胞だった点で、注目度はある程度だったようです。
2007年11月に、山中さんの研究チームはさらに研究開発を進め、人間の大人の皮膚に4種類の遺伝子を導入するだけで、ES細胞に似たヒト人工多能性幹(iPS)細胞を生成する技術を開発したとの発表は脚光を浴びます。日本発の新技術として高く評価されます。その後は、2008年1月に京都大学の物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長に、2010年4月に京都大学のiPS細胞研究所長と、日本の研究開発拠点として注目を集め続けます。現在は、本人の皮膚の細胞ではなく、血液を採取し、この中からその人の細胞を入手するやり方をとっています。
今回の講演の最後に、山中さんは文部科学省系から与えられる大型研究開発費は、技能局員や事務職員を雇用したりするなどの人件費には使うにくく、「実務を担当する方が不足気味で困っている」と説明しました。このため、「iPS細胞研究所に寄付金をお寄せください」と締めくくりました。
日本独自の研究環境の問題点です。何とかしたいものです。
山中さんが所長を務めるiPS細胞研究所(CiRA)は、パーキンソン病や糖尿病の原因を解明し、その治療法を確立したり、患者自身の細胞からその人がかかっている難病の治療法を解明するなど、現時点では“夢物語”に近い目標を、iPS細胞研究所(CiRA)は10年間で達成したいと宣言しています。山中さんは、iPS細胞を基に、この夢物語をどうやって実現するか戦略を立てて実行中です。成功すれば、人類にとって大きな変換点になります。
山中さんは生真面目なので、写真を撮影すると、笑顔のシーンが少なかったです。本人は淡々と話をするため、それほど笑顔が少ないとは感じなかったのですが。
1999年12月に、 山中さんは奈良先端科学技術大学院大学の遺伝子教育研究センターの助教授に採用され、翌年4月に3人の修士1年生を山中研究室に迎え入れました。研究成果があまりなかったために、日本学術振興会の科学研究費補助金をなかなか獲得できなかったそうです。助教授になって2年度目には、山中研究室に新入生が数人加わります。この結果、10数人規模となった研究室の運営には1人当たり約100万円の研究費が必要と見積もると、研究室の運営費には約1500万円は入手しなければ、成り立たなくなります。このため、研究室を主宰する山中さんは、個人で応募できる科学研究費補助金の申請書類を出し続けます。
ある時、山中さんは科学技術振興機構の戦略的創造推進事業の一つであるCREST事業の中の「免疫難病・感染症等の先進医療技術」(2003年度から2008年度)の公募研究テーマに応募します。このプロジェクトの責任者である研究統括は大阪大学の岸本忠三教授です。この分野の有名な大家です。岸本さんの諮問に緊張して応え、「若い時にラクビーをしていたので、体力には自信があります」と苦し紛れに答えたそうです。この結果「予想を覆して、なぜか選ばれました」といいます。岸本名誉教授は「山中さんの研究提案のES細胞に必要な重要な遺伝子の探索は、広い意味で研究範囲に入る挑戦的な研究テーマ」と感じたそうです。岸本名誉教授は現在、山中さんのiPS細胞研究に着目した“目利き”“伯楽”として有名になっています。
そのCREST事業「免疫難病・感染症等の先進医療技術」の研究成果報告会で、平成15年度(2007年度)採択研究者として山中さん(教授に昇進しています)は「真に臨床応用できる多能性幹細胞の樹立」を発表します。今振り返って考えれば、iPS細胞の研究成果の先駆けです。山中さんは5年間で研究費として3000万から4000万円が安定的に配られるので、「長期的な研究計画を立てることができ、安心して研究に専念できた」といいます。
iPS細胞の開発成功は、2006年8月25日発行の米学術誌「セル」に京都大学再生医科学研究所教授の山中さんと特任助手の高橋和利さんのグループが発表した論文が第一報といわれています。「マウスの胚性繊維芽細胞に4つの因子(Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4)を導入することでES細胞のように分化多能性を持つマウス人工多能性幹細胞(iPS細胞)を確立した」といわれています。しかし、この時は、ヒトの細胞ではなく、マウスの細胞だった点で、注目度はある程度だったようです。
2007年11月に、山中さんの研究チームはさらに研究開発を進め、人間の大人の皮膚に4種類の遺伝子を導入するだけで、ES細胞に似たヒト人工多能性幹(iPS)細胞を生成する技術を開発したとの発表は脚光を浴びます。日本発の新技術として高く評価されます。その後は、2008年1月に京都大学の物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長に、2010年4月に京都大学のiPS細胞研究所長と、日本の研究開発拠点として注目を集め続けます。現在は、本人の皮膚の細胞ではなく、血液を採取し、この中からその人の細胞を入手するやり方をとっています。
今回の講演の最後に、山中さんは文部科学省系から与えられる大型研究開発費は、技能局員や事務職員を雇用したりするなどの人件費には使うにくく、「実務を担当する方が不足気味で困っている」と説明しました。このため、「iPS細胞研究所に寄付金をお寄せください」と締めくくりました。
日本独自の研究環境の問題点です。何とかしたいものです。