岐阜県中津川市の山麓にある馬籠宿から、長野県木曽郡南木曽町の山の中にある妻籠宿まで向かう、中山道に沿った山道を移動しました。
馬籠宿と妻籠宿の間は、約8キロメートルのつづら折りの山道です。標高約600メートルの馬籠宿から標高約800メートルの馬籠峠を越えて、標高約400メートルの妻籠宿までの山道を歩く方も多いようです。徒歩で3時間強かかるハイキングだそうです。今回は、高校生の20人ぐらいの一団と外国人の数人が歩いていました。
馬籠宿の上部にある広場(展望台)からみえる山です。恵那山ではないかと推定しています。

馬籠宿の上部から山道をさらに上ります。つづら折りの馬籠峠を越えると、緩やかな下りの山道になります。その途中に、中山道の難所だったといわれる男滝・女滝が現れます。
男滝・女滝の案内版のある山道の脇から急な階段を下りると、馬籠峠側(上側)に女滝が見えます(位置関係は推定です)。


その下流側にあって、水量を豊かに落としているのが男滝です。

現在の山道(車道)より下側にある男滝・女滝に近い川沿いの所を、以前の中山道は通っていたようです(中山道の経路は何回かつくり直されたようです)。
男滝・女滝付近の渓谷は、当時の中山道が険しい山の中を歩く道だったことを示しています。
山道の道沿いにある男滝・女滝への降り口付近の木々は美しく紅葉しています。

この男滝・女滝の場所から緩やかな山道を下っていくと、川沿いに妻籠宿が出現します。坂道につくられた馬籠宿に比べて、妻籠宿は川沿いの平らな所に設けられています。妻籠宿の方が平地な分だけ住みやすい感じと思いました。
江戸時代に、馬籠宿と妻籠宿の間の約8キロメートルの距離のつづら折りだった中山道は、馬籠峠越えがある、なかなか厳しい山道だったように感じました。江戸時代に中山道を歩くことは、現代人からみれば、かなりの難儀だったように思います。
馬籠宿と妻籠宿の間は、約8キロメートルのつづら折りの山道です。標高約600メートルの馬籠宿から標高約800メートルの馬籠峠を越えて、標高約400メートルの妻籠宿までの山道を歩く方も多いようです。徒歩で3時間強かかるハイキングだそうです。今回は、高校生の20人ぐらいの一団と外国人の数人が歩いていました。
馬籠宿の上部にある広場(展望台)からみえる山です。恵那山ではないかと推定しています。

馬籠宿の上部から山道をさらに上ります。つづら折りの馬籠峠を越えると、緩やかな下りの山道になります。その途中に、中山道の難所だったといわれる男滝・女滝が現れます。
男滝・女滝の案内版のある山道の脇から急な階段を下りると、馬籠峠側(上側)に女滝が見えます(位置関係は推定です)。


その下流側にあって、水量を豊かに落としているのが男滝です。

現在の山道(車道)より下側にある男滝・女滝に近い川沿いの所を、以前の中山道は通っていたようです(中山道の経路は何回かつくり直されたようです)。
男滝・女滝付近の渓谷は、当時の中山道が険しい山の中を歩く道だったことを示しています。
山道の道沿いにある男滝・女滝への降り口付近の木々は美しく紅葉しています。

この男滝・女滝の場所から緩やかな山道を下っていくと、川沿いに妻籠宿が出現します。坂道につくられた馬籠宿に比べて、妻籠宿は川沿いの平らな所に設けられています。妻籠宿の方が平地な分だけ住みやすい感じと思いました。
江戸時代に、馬籠宿と妻籠宿の間の約8キロメートルの距離のつづら折りだった中山道は、馬籠峠越えがある、なかなか厳しい山道だったように感じました。江戸時代に中山道を歩くことは、現代人からみれば、かなりの難儀だったように思います。