新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

3月11日 その2 2011年3月11日

2025-03-11 14:59:30 | コラム
3.11で思い出す事柄:

今から14年前のこの日に「地震とはこれ程物凄いものか」と生まれて初めて経験した。あの時は新宿区百人町の大久保通にある風月堂の2回の喫茶室で、在職中には最大の取引先だった大手メーカーのグループ企業の社長を引退されたお二方と、楽しく歓談していたところだった。

その最中に、当然だが何の前触れもなしに、かなりきつい揺れ方が来たので、居合わせたお客一同が「地震だ」と叫んだのだった。次にはいきなり店ごと崩壊するのではないかと思ったほどの、未だ且つ経験したことがない揺れが来た。怖かった。身の処し方が解らなかった。

皆が申し合わせたようにテーブルの下に身を隠そうとした。その時は既に店内の装飾だった背が高い大型の花瓶が棚から落ちて大きな音を立てて割れてしまった。テーブルの上のコーヒーも他の飲み物もカップ・ソーサーとともに落下して、中の液体が飛び散った。本当に恐怖だった。揺れ方が横なのか上下動かも分からなかったが、生命の危機かも知れないことは十分に思い知った。

何秒続いたのか、何分だったかも分からないままに、揺れが収まったと思ったので、未だ壊れていなかった階段を駆け下りようとした。その時に最も若かったTM氏(実は、この集まりは偶然にも主催者のSM氏と私もMMと3Mだったのだ)が「窓ガラスは後から割れる恐れがあるので、慌てて下りない方が」と落ち着いて警告された。そこで、暫く間をおいてから降りることにした。

大久保通に降りて直ぐそこの山手線のガードを見れば、電車は止まっていた。異常はそれだけで見渡す限りの店舗は無事なようだった。風月堂のガラスは割れ落ちてはこなかった。言うなれば動悸は収まっていなかったが、精神状態は落ち着きを取り戻せていた。

そこで、流石は我が国を代表するメーカーのグループ会社の社長さんだと感動させられたことがあった。SM氏はテーブルの上にあった喫茶部の伝票を握っておられて「ちゃんと、これを払ってから帰ろう」と提案されたのだった。

風月堂に戻って支払いを終えると、店長と思しき人に「お支払いに来て下さったのはこちら様だけ」と感謝された。風月堂は地震のある程度の状況を把握できていて「地震は7だった」と教えてくれた。凄いことだったとは分かったが、その地震が東北地方であれほどの大ごとになっていたとは想像もできなかった。

SM氏は鶴見、TM氏は八王子に戻られるのだが、交通の事情がどうなっているのか分からなかったし、直ぐそこの我が家にも携帯電話は通じなかった模様なので、兎に角向かってみようとなって歩き出した。家内は下に降りていて鉄道網はかなり破壊されている模様であることは把握できていた。お二方には我が家で一休みをと提案したが「何ほどもことやある」とばかりに帰路につかれた。

所謂「タワマン」の半ばである13階の我が家は幸運にも何ら被害はなかったが、初めて13階まで階段で上がらざるを得なかった。これが被害と言えば被害だった。だが、SM氏はタクシーを拾えたものの、神奈川県までは入れてもそこまでで降ろされて、県境から歩いて帰られたとか。TM氏は都内にあったお嬢さんの嫁ぎ先まで何とかたどり着いて一泊して凌がれたとのことだった。

福島の原子力発電所の被害状況を知ったのは翌日くらいだったと思う。あれほど離れた東京都内で恐ろしくも物凄い揺れ方をしたのだから、東北地方がどれほどだったかは、少しは想像できた。だが、あの津波の報道はCGを見せられているかのようで、現実とは理解できなかった。犠牲になられた方々を思うときに胸が痛んだ。

終わりに犠牲者のご冥福を今更ながらお祈り申し上げたいと思うし、東北地方の復興と復旧が今後とも恙なく進行し続けていくこと、原子力発電所の後処理も進行していくことも併せて祈念して締め括りたい。


通訳を同伴しなかったのは

2025-03-11 10:32:52 | コラム
ゼレンスキー大統領の手落ちだったのか:

この問題についての考え方を、畏メル友RS氏がDiamond onlineを引用して知らせて貰えたのだった。即ち、問題はゼレンスキー大統領の英語力にもあったようなのだ。

>引用開始
険悪なムードになり始めたのは、会談開始から約40分が経過したころでした。トランプ氏の横に座るバンス米副大統領が、こう発言しました(下記は意訳)。

「米国には4年間、(ロシアの)プーチン氏に強硬な発言をする大統領がいた。そして、プーチン氏はウクライナに侵攻し、多くの地域を破壊した。平和と繁栄への道とは、外交に関与することだ。まさにトランプ氏が行っていることだ」

この発言は、バンス氏がトランプ氏を“立てる”ものでした。もし、これにゼレンスキー氏も同調していれば、その後の展開は大きく違っていたはずです。しかし、ゼレンスキー氏には、トランプ陣営がまるでプーチン氏に肩入れしているように聞こえたのでしょう。

そこでゼレンスキー氏は、バンス氏に、こう問いかけました。

“What kind of diplomacy, J.D. you are speaking about? What do you mean?”「どのような種類の外交ですか?J.D.(バンス氏のファーストネームとミドルネームの略)。あなたは何について話をしていますか?どういう意味です?」

この表現が、実に挑発的な印象を与えました。特に、What do you mean?という言い回しは、相手の意図を疑問視し、論争するような響きを持っています。本来は、もう少し柔らかい表現を選ぶことが望ましかったでしょう。例えば、

“Could you clarify what kind of diplomacy you are referring to?”

 「どのような外交を指しているのか、説明していただけますか?」と話せば、ていねいな印象を与えることができます。(中略)
<引用終わる

RS氏は上記について、私の見方も尋ねて来られた。私のこのサイトの見解についての意見は下記のようになる。

“この方が言っておられるゼレンスキー大統領の英語についての意見には、特に異論はありません。何故そう言うかを申し上げてみます。”

遠回しな言い方になりますが、こういう事がありました。何年前だったか、TK博士と彼の出身である上智大学の大学院にいたときの話です。テレ東の「Youは何しに日本へ」で、インタビュアーが空港で外国人に向かって”Why did you come to Japan?”と切り出すのは余りに非礼ではなかろうかと語り合っていました。

即ち、あの切り出し方では「あんたは何しに日本に来たのかね」とでもなるような、詰問調であろうという事です。すると、隣の部屋にいた院生が会話に参入にしてきて言ったことは。「”For what purpose または reason did you come to Japan?”のように言うべきではないのか」でした。同感だったので、TK氏に「流石に上智の外国語学部系の院生の英語力」と称賛しました。

ゼレンスキー大統領の英語の問題点はこのような事にあったのです。初対面だったのだろうアメリカ合衆国の副題老量に向かっては丁寧に、先ず礼儀正しくして、例えば”May I ask you”から入って行く方が良かっただろうという点があります。他にも“Would you mind if I asked you some questions?”のようにも言えます。これらの次には“if I asked you of your purpose of visiting Japan?”と続けねばならないのですが。

即ち、ゼレンスキー大統領がさらに“What kind of diplomacy, J.D. you are speaking about? What do you mean?”と続けたのもアメリカ合衆国副大統領に向かっては避けた方が良かったと思う表現だったでしょう。トランプ大統領がヴァンス副大統領に事前に引き合わせてあり、first nameで呼び合おうと了解できていれば話は違ったかと思いますが。

そうでなければ、初対面でいきなりfirst name basisで問いかけるのは避けた方が良かったでしょう。”How may I call you, Mr. Vance or JD?”のように“first name”で呼びかけて良いかを確認しておくのが礼儀だと私は認識しています。

この作法に違反していたのだから、私は飽くまでも善意で言うのですが、ヴァンス副大統領でも「ムッ」となって、「この人は何を言うのか」となったのではと疑います。ゼレンスキー大統領には厳しい言い方かも知れませんが、「英語力の問題もさることながら、国際会議の場での礼儀・作法の勉強不足と場慣れしていなかったのではないか」ということです。

さらなる問題は通訳を使わなかった点にもあるでしょう。古い話かもしれませんが、ロッキード事件の際に国会で証言した日系アメリカ人のシグ片山氏(当時はユーナイテッド・ステイール社長。今話題のUSSではありません、念のため)は立派な日本語を話しておられましたが、国会では英語で通されました。何故英語なのかと不思議に思いました。

そこで、片山氏と昵懇の間柄だった、片山氏以上と思う日本語を読み・書き・話す我が社の日系人BJ氏に尋ねると「我々の母国語は英語であり、如何に日本語を話せても、公式の場では迂闊に日本語で話して間違いを犯すことがないように、自信を持てる英語で話すのである」と片山氏が英語で証言されたことを説明してくれました。尤もであると納得しました。因みに、ゼレンスキー大統領はロシア語圏内で育ち、ウクライナ語は後から習得され、英語は言わば第三の言語だったようです。

上記のように、トランプ大統領とゼレンスキー大統領との首脳会談を「言語」の面から分析してみると、このような問題点があったのではと結論付けても良いかと思うのです。

この話題を離れて、長い間他所の国の言語である英語の世界であるアメリカの会社で過ごしてきた経験から言えることがあります。それは「何時も私が言っていることが、その意図通りにアメリカ人に受け止めて貰えているのだろうか。英語を解っているつもりでいても、もしかして、とんでもない間違いを犯しているのでは」という恐怖感でした。英語とは歴史も文化も思考体系も何もかもが異なる国の言語なのですから。