新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

「セクハラ罪」は未だない

2018-05-10 09:00:42 | コラム
野党どもは欧米との文化の違いをご承知か:

事「セクハラ」となると何でもかんでも麻生財務大臣と安倍政権のせいにしてマスメディアとタッグ・テイーム(これがマスコミ用語の「タッグ」の正確な英語を基にしたカタカナ語の表現だ)を組んで責め立てている。全く愚にもつかない行為だ。既に述べてあったが、W社で副社長級の事業部長が集められて sexual harassment に関する注意を喚起し警告する会議が招集されたのは30年ほども前のことだった。

それではアメリカではそれほどセクシュアルハラスメントの被害者が多かったのかと思われそうだ。だがしかし、私はそういうことではないようだと副社長が直ちに全員を集めて聞かせてくれた上層部が喚起した注意事項の説明から感じ取ったのだった。「文化が違う国で起きやすい問題だな」と感じたという意味である。念の為にお断りしておくが、男女均一労働・均一賃金で車社会のアメリカには我が国の女性(ウエイトレスかな)が侍るバーもないし、飲み屋だってない。

私の捉え方が全面的に誤っていたかも知れないが、既に繰り返し指摘した来たように欧米人(特にアメリカで感じたことだが)の社交辞令の巧みさというか美辞麗句と言えば良いのか、歯が浮くようなお世辞を何の躊躇いもなくスラスラと言うのである。その習慣に馴れない国の人が聞けば「褒められた」と有頂天になってしまうかも知れないし、ある程度言葉の裏が読めるようになれば「良くそんな心にもないことが言えるものだ」と警戒して身構える時もあるだろう。

更に忘れてならないことがあるのだが、この点は実に微妙であり「単なる社交辞令か」または「本気で言っているのか」または「この男は何処にでもそこにでもいる女誑し(「=womanizer であるかも知れない」の何れに該当するかの判断が容易に出来ないのである。現に欧州の何処かの国にいるような、女性と見れば口説くのが礼儀とでも心得ているかの男はアメリカ人にもいるのだ。これぞ文化の違いであろうと思う。

もう一つ、1980年だったと記憶するが、我が生涯最高の上司だった副社長はワシントン州南部を担当する営業職に女性を任命した。彼女は嬉々として業務に励んでいた。だが、残念なことに長続きせずに会社を辞めてしまった。同僚に「何故か」と尋ねると意外だったことに「得意先でいじめに遭ったからだ」と教えて貰えた。あの頃のアメリカでは良くある話だったそうだ。

そのアメリカは我が国では「レデイーファースト」(英語は ladies first で複数形である、念の為)とばかり思われているが、実態はこういうものだったようだ。だからこそ「男女同権」だの「男女均一労働・均一賃金」という運動が起きたのだ。我が国では、そういう経緯を経ずして、いきなり異文化の国の文化を大いに有り難がって導入しようと思った人たちが多かったのではないか。勿論こういう文化は悪いことではないが、その陰にあった歴史を知らずに飛びつくと無理が生じるのではと懸念している。

私は我が国の文化には、勿論「社交辞令」も良くも悪くも「お世辞」は存在していると思う。だが、いきなり初対面の女性に向かって着衣や髪型や美貌を真っ向から褒めることはしないし、ましてや「これからどう?」などと口説く男は常識人の世界には余りないないだろうと思っている。欧米人は違うのだろうと思っているが、家内は1990年以降何度もアメリカを訪れる機会がありW社本社のマネージャーたちにも出会ってきたが、女性の直感で「お世辞の巧みさ」には驚かされていたが。だが、かの「セクハラ」に該当するような社交辞令には出会わなかった。

正直なところ、ここから先が本題である。マスメディアと野党の有志連合の中でも私が札付きだと認定している福島瑞穂などを筆頭として彼らは福田淳一前財務省事務次官と麻生財務大臣を攻撃しまくっている。だが、私は聞き逃したか見落としていない限り彼らが「正式な日本版セクシュアルハラスメントの定義」は公開されていない。「公務中または私的な会話の中で何処までが基準内で何に触れれば基準外か」は明確ではない。

言うなれば「感情的にどのように捉えたか」という個人の感覚の問題のようだ。福島瑞穂は弁護士だそうだから、いっその事単独ででも議員立法で「セクハラ罪」でも起案して国会にかけたらどうかと言ってやりたい。同居者の渡海某氏も弁護士だと聞いている。

こう言う私でさえも、同じ高校の53期下の卒業生であった福田淳一前財務省事務次官の夜の酒を飲む席での対象となったテレ朝の記者を呼び出した場合の発言が、事前の了解なしに録音されたのであっても、アメリカの基準に照らせば「不味かったのでは」と思う。だが、未だ法律にはなっていない「セクハラ罪」には当たらないと麻生財務大臣が言われるのは支持したいとは感じる。現に麻生氏は福田氏を辞任させたではないか。

私は20年以上もの間アメリカの会社でアメリカ人の中で過ごしたから感じ取れたし、そういう文化の相違と痛感できた。だが、何度も何度も「日本とアメリカのビジネスの世界における文化と思考体系の違い論」も語った中で、一度も「セクシュアルハラスメント」には触れてこなかった。それは「何処までが駄目で、何処まで許されるかの基準」が非常に主観的というか、その対象となった女性の判断によると感じていたからである。

マスメディアと野党の連合は如何にも男だけが悪いと言いたいような論じ方をしている。だが、「男には駄目な奴がいる」とか男性を女性だけの酒席で扱き下ろしてはいないかと尋ねて見たいし、女性に非難されて喜んでいるような奴がいるのではないかとも考えている。言うなれば「逆セクハラ」があっても無罪かと言いたいのだ。

何れにせよ、性犯罪が申告制だった時があったが、「セクハラ」なるものは基準が未だに明文化されていないようだ。そういう状況下で直ぐに辞任せよと迫る輩がいる以上、麻生財務大臣もお気を付けになった方が良い時代になったと見ている。麻生氏の認識不足もあるかと思う時があるが。

私は異文化の国の「言語・風俗・習慣・思考体系」に前後を考えずに飛びつく事はしない方が良いと思う。特にマスメディアと野党の有志連合には厳しく「安倍政権の揚げ足を取るのならばもっと諸外国の文化と我が国のそれとの相違点を勉強してからにせよ」と告げて終わる。



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