本の読み方の設計図。

本の構造を明らかにしていく。
論拠・主張

論証=事例、引用。

小説064 :reProfesionale#136

2008-11-24 23:31:58 | reProfesional
chapter#65 責任と期待

without it.その状態をつくってしまうことは、誰かに対する裏切りである。
itを相手との間にほうりこむということは、そこに責任が生じるということである。これまでの思春期のように、自分の中でのitを探求しているだけでは、いつまでたっても、やっと陰毛が生えただとか、生えてないだとか、そういう議論に顔を赤らめている中学生のような状態とたいして変わらないということである。

さびしさとか、裏切りの気持ちを自分が感じる。
それは、きっと、自分が相手に対して、共存空間でこしらえたitというものをないがしろにしている結果生じているのではないかと思う。
itが生じない生き方。
そんな生き方というのは、根本的にはありえないのではあるが、何事にも関心を持たず、部屋に閉じこもり、自分で何かに寄生して、自分からは一切の価値観を発しないと強く心に決めた状態にでも徹しない限り、なかなか実現されないものであるし、実現するべき状態でもないのであろう。

少なからず、社会の中で生きていたり、自分を端に何かを実現しようという気持ちを持ってしまう以上、相互者との空間にitは放たれてしまう。相手が、自分に対して、itを放棄しているからというように感じてしまうのが、生きていくうえでの無責任な姿勢の現れの結果でもあるが、ボクは思う。
ボク等は、itを相互者との間に放ってしまった以上、itを成就させなければならないと。
itをほうっておくと、一見その結果が相手にあるように思ってしまう場合においても、その期待に応えようとしなかった、もしくは、その期待を裏切ってしまったということで、自分の中に大きく未処理のitが蓄積されていってしまうことになる。

itが絶え間なく、相互者との間に蓄積されてしまってしまう以上、ボクたちは、itを汲み取り、相互者との間に、itという期待を形にしていくことを責任として、背負うことになる。
少なくとも、一人で生きていくことが出来ず、人とかかわることを自然であろうと、結果であろうと、求めてしまってる以上、期待に応えていく責任がある。
ボクはそう思う。
必然的に、社会で生きていくということは、自分がかかわるすべての人を幸福にしなければならないというと荷が重過ぎるなら、不幸にしてはならないという責任があり、可能な限り、相互者の中に沈殿しているitを幸福な方向に持っていく努力を最大限しなければならないという義務があるということである。

生きるということは、気軽なことではない。
幸せを相互者の中で作り上げていくというおそらく、存在の根本の欠落してしまったワタシにとっては。

★ etranger di costarica オンラインストア ★

COLOR your Life and brain!!
Mixiにてマイミク登録受付中!!

★                ★
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする