とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「山月記」の授業2(李徴はなぜ虎になったのか)

2016-05-18 10:39:05 | 国語
 「山月記」の読解にあたって備忘録としていくつか考えておく。まずは李徴はなぜ虎になったのかという問題。いくつかの考え方を示してみる。

1.「理由などない。運命であった。」
 生徒に聞けばこれが最初に出てくるだろう。なぜなら李徴自身がこう言っているからだ。
 「なぜこんなことになったのだろう。わからぬ。全く何事も我々にはわからぬ。理由もわからずに押し付けれたものをおとなしく受け取って、理由もわからずに生きていくのが、我々生き物のさだめだ。」
 ここをもとに李徴は虎になる運命だったとする考え方は正当な理由のあるものであり、楽に答えられるものである。根本にこの答えがあることを忘れてはならない。
 ただし、これは李徴自身の考え方であり読者はこれに従う必要はない。

2.「臆病な自尊心と尊大な羞恥心を飼い太らせり、それが猛獣になった。つまり自身の醜い自意識が自らをそれに見合う虎に変えてしまった。」
 これは後半に李徴自身が自分が虎になった理由を分析してした結果の結論である。これはこれで国語の問題の解答にはなるであろう。一番国語の授業の解答っぽいかもしれない。
 しかしこれも李徴自身の解答であり、これを読者はそうとらえる必要はない。

3.「虎になることによって苦しみから解放された。」
 これも李徴自身が言っていることがヒントになっている。
 「おれの中の人間の心がすっかり消えてしまえば、恐らく、そのほうが、おれはしあわせになれるだろう。」
 虎になってしまうことによって、すべての人間の苦しみから解放される。だから虎になったのだ。
 この考え方に私自身は一番魅力を感じる。人間の苦しみは人間が言葉を持ったことにある。その言葉が李徴を苦しめてきた。最後に自分の詩を書き留めさせるくらいに李徴は言葉に執着した。そのために一方では自分を苦しめたのである。
 
 とりあえずしまりのないまま今回は終わり。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする