とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「山月記」の授業3(『古譚』の「狐憑」について)

2016-05-19 09:30:50 | 国語
 順番的には別の話をしたほうがいいのですが、備忘録のために順番を無視してこの話を先にします。

 小森陽一氏の『大人のための国語教書』という本を読んで大変勉強になりました。これは国語の教科書に出ているいわゆる定番の小説のこれまでの読み方を批判し、新しい読み方を提案している本です。

 この本の中で「山月記」が取り上げられています。そこで大きな示唆を与えていただきました。「山月記」というのは『古譚』という短編集のなかの一つだといことを見逃してはいけないというのです。さっそく『古譚』を読んでみました。これまでの「山月記」の読み方は一面的なものでしかないということに気づかされました。大きな発見でした。

 『古譚』の作品群はどれも寓話的な話で、すべて言葉に関することがテーマになっています。今回は「狐憑」を紹介します。こんな話です。

 スキタイ人のシャクは、遊牧民に弟が悲惨な殺され方をしてから変になった。弟がとり憑いてしゃべっているようなうわ言を言うようになったのである。そしてそれは弟だけに限らなかった。しだいに他のものもとり憑くようになった。しかもそれは人間だけとは限らなかった。人々はシャクをだんだん信じなくなったが、シャクの話をみんなは聞きに来る、そんな日が続いた。シャクの話は次第に精彩を欠くようになる。しかもシャクはすでに怠け者になっていた。人々はシャクを処分することにする。しきたりにしたがってシャクは大鍋の中に。みんなに食べられる。ホメロスよりもずっと以前に存在した伝承詩人はこうして抹消された。

 「山月記」との関連から考えるととてもおもしろい話です。文字のなかった時代に言葉を残すためは伝承詩人が必要です。しかし伝承詩人は人々から結局は殺されてしまうのです。古代の人々にとって言葉は残してはいけないものだったのです。

 この話は何を意味しているのでしょう。

 今回は問題を投げかけるだけで終わり。
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