とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

現代文の参考書シリーズ 言語論③

2016-09-22 02:21:34 | 国語
〔存在するのは言葉のおかげ〕
 言語論の特徴は、言葉によって存在が始まるという発想です。

〔具体例1 砂は何粒でも「砂」だし、どんな形でも「砂」でしかない〕
「砂」という言葉があります。「砂」というとみなさんはどういうモノを想像するでしょうか。「砂場」の砂であったり、砂浜の砂であったり、あるいは砂の一粒、一粒であったり、いろいろです。砂1粒でも「砂」、一握り(おそらく1000粒ぐらい)でも「砂」、砂場(おそらく何千万粒)でも「砂」です。「砂」という言葉はあるのですが、その「砂」が「砂粒」何個に相当するのかは考えたこともありません。

 砂粒ひとつひとつについて考えてみてください。一つ一つの砂粒は小さいので、特に区別もしないで「砂」と言ってしまいます。しかしよくよく見てみると、砂粒ひとつひとつはそれぞれ違う形をしているし、大きさも一定ではありません。それぞれ個性的なのです。なのに、それらひとつひとつに名前は与えられていません。なぜなのでしょうか。砂粒ひとつひとつならば、無視していいのでしょうか。

 人間ならば考えられない話ですよね。人間の場合ならば、すべての存在に名前が与えられるはずです。

 人間ではなくとも人間にとって身近な動物姿や形を全く無視して分類されるなんてことはありません。例えば犬の中でも大きな犬と小さな犬があり、外見上も大きく違ういろいろとの種類の犬がいます。それぞれの種類に応じたそれぞれ応じた名前が与えられます。セントバーナーナード、柴犬、チワワなど様々な種類の名前が登場します。

 命のないものでも同じようなことが言えます。例えば建物。小さな一軒家と大きなビル、建物という点では一緒ですが、「家」と「ビル」というように名称を別にします。アパート、マンション、平屋、様々な名称がつきそれぞれ別のものと認識されます。

 繰り返しになりますが、砂の場合、全く違う大きさの、まったく違う形の、しかも素材も違うような砂が区別されることなく、「砂」という名前しか与えられていないのです。変な話ではありませんか。

 「砂」よりも「犬」や「建物」が偉いということでしょうか。いいえ違います。

 名称を与えるか与えないかは、人間の勝手な判断によっているのです。人間にとって分類すべきものには別の名称を与え、分類する必要のないものは一つの名称ですませている、それだけのことなのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする