とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

「科学論」を国語の授業でどう教えるか

2017-01-21 15:46:24 | 高校国語改革
 センター試験が難しくなり、大学入試の評論文が長く難しい問題になった現在、国語の授業では何を教えているのでしょうか。「科学論」を例に説明すると、「科学論」の典型的なパターンを理解させているのです。

 中学校や高校で学ぶ科学は「近代」のものです。例えば等速直線運動の実験をした記憶のある人は多いと思います。自動車のおもちゃを坂道から発信させると、平面の場所になると同じ速度で走り続けます。私たちの世界ではもし空気抵抗とか、摩擦抵抗などを考慮しなければ、一度動き出したものは、その動きを永遠と続ける性質を持っているのです。これが「近代」の科学です。「目に見える世界」と言っていいでしょう。「科学」の発展によってさまざまな便利なものが発明され、世の中はどんどん豊かになっていきました。「近代」は科学の時代だったのです。

 ところが「近代」が終わりました。科学における近代の終焉の象徴はアインシュタインの相対性理論と言っていいでしょう。相対性理論では

 光の速度では時間が止まる

と言い始めます。これは人間の常識からは理解しにくいものです。もしかしたら100年後の人間にとっては理解できるものとなっているかもしれませんが、少なくとも現在、かなりの学歴のある人でも相対性理論の内容までは正確には理解できません。「近代の後」つまり「ポストモダン」の時代である現代は、科学はすでに普通の人の理解を超えたところに存在するようになったのです。

 同じように原子力爆弾をはじめと兵器も科学の発展が人知をはるかに超える殺傷力をもつようになりました。クローン技術などの問題、遺伝子組み換えの問題などもでてきました。そしてAIが人間を超えるのではないかというような時代にまでなってきました。

 このように科学はいつのまにか人間の制御を超えたものになりつつあります。この「近代」から「現代=ポストモダン」への移行によって科学と人間の力関係がかわりつつあるということが「科学論」の根本にあるわけです。「科学論」は以上のことを前提として書かれているのです。

 ですから以上のことをしっかりと頭に入れておけば、たとえ長くて難しい「科学論」でもかなりのスピードで読むことができます。だから教科書にも難解な「科学論」が必ず採用され、それを教師が解説する授業を行うことになるのです。

 でも、これが本当に国語の授業なのですか。
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