とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

日本人は協力的なのか、隠れているだけなのか

2017-07-16 06:31:02 | 社会
 NHKBSの『英雄たちの選択』という番組の再放送を見ていた。秀吉対家康を取り上げた会で、長久手の戦いで家康に敗れた秀吉だったが、その後、敵対勢力を倒し、また関白となり、並ぶもののない権勢を手にする。対する家康は、あくまで徹底抗戦の構え。ついに秀吉は、家康を滅ぼすべく動き出す。ところがその矢先、巨大地震が発生する、という内容である。

 結局家康が得をした結果となり、家康がこの後天下を取ることになる。このことについて脳科学者の中野信子さんが次のようなことを言った。

 日本は大きな災害の多い国である。だから協力する力が大切である。このような災害の多い国であるということが、日本人の遺伝子に組み込まれ、日本人は生き延びるために周りに合わせるようになったのではないか。

 とてもおもしろい指摘だ。

 一方、今、田原牧さんの『人間の居場所』という新書を読んでいる。この「はじめに」に次のような記述がある。

 「ポスト真実」と言わずとも、この国では事実を歪曲した歴史認識に限らず、国会での虚偽答弁すらめずらしくなくなった。ウソを流す方はばれたっていいのだ。文句を言うやつは敵だから、相手にせず、排除するのみ。対話は相互に尊重しあう姿勢を抜きには成立しなから、そこに議論が息づく余地はない。
 何かまともなことを意見すれば、ネット空間のみならず、罵詈雑言を浴びせられる。それが鬱陶しいから、声を上げることすら躊躇する。表面的には社会が沈黙を覆い、多くの人びとは無難を決め込む。無難は無意味に近いので、無難が一番という社会では生きる意味が希薄になり、創造性が著しく衰退する。思い当たる節があるはずだ。
 怖いのはウソを看過し、その流布が日常化してしまうと、それをウソと認識できなくなってしまうことだ。そうした状況もすでに散見される。いつの間にか、そんな世の中になってしまった。


 日本人が日本人であることについて考えさせられる。
コメント
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