とにかく書いておかないと

すぐに忘れてしまうことを、書き残しておきます。

書評『彼岸過迄』(夏目漱石)

2018-09-03 07:29:33 | 読書
 夏目漱石の『彼岸過迄』を読んだ。以前1度読んでいるはずであるが、読み返してみて全く覚えていなかった。適当に読んで読んだふりになっていただけだったのだ。ただし覚えられない理由もある。この小説大きな筋がはっきりとしないのである。作者自身が序文で次のように書いている。

「かれてから自分は個々の短編を重ねた末に、その個々の短編が相合して一長編を構成するように仕組んだら、新聞小説として存外面白く読まれはしないだろうかという意見を持っていた。」

 そしてそれをこの『彼岸過迄』で実践するというのである。

 これが成功しているのかどうか。前半と後半の内容が分離しているという意味では失敗である。一般の新聞小説の読者にしてみれば、この小説はどういうストーリーだったのか把握できなく、面白みを感じにくいであろう。しかし、前半の実験的な方法が後半に引き継がれ、須永と千代子の関係の話に迫る方法はとても興味深いものである。

 わかりにくい説明になっているので、以下具体的に説明していきたい。

 『彼岸過迄』は前半と後半の主人公がいつの間にか変化をしている(ように見える)。前半の「主人公」は「田川敬太郎」である。しかし、敬太郎は主人公のふりをして登場するのであるが、実際には単なる狂言回しの役しか演じない。実際の主人公は「須永市蔵」という人物である。しかし須永は最初は登場しない。途中から敬太郎の友人として登場するのだ。読者は須永が脇役のひとりとして登場したように感じて読み進めながら、実際にはいつの間にか主人公になっているのだ。読者はこの展開に違和感を感じずにはいられない。

 この小説における敬太郎の役割は「意志ある観察者」である。

 以下続きます。
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1 コメント

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Unknown (夕螺)
2018-09-06 17:15:34
「彼岸過ぎまで」
また読んでみたくなりました。
なぜか、僕もあまり記憶にない作品です。
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