<続き>
<北タイで最初の国家:ハリプンチャイ王国>
北タイで国家として初めて成立したのがハリプンチャイ王国である。建国にあたった人々の集団①は仏教及仏教芸術・文化、更にはインド文明の諸々を携えて、中部タイから移動して来た。伝説によるとチャーマティーウィー女王は、ロッブリーからランプーンへ9世紀に招かれたと伝えている。
(写真はガイドブック掲載のチャーマティーウィー女王がランプーン入城のジオラマ)
彼女は先住のルワ族との抗争に勝利した。当時の街の跡をチェンマイやランプーンで、例えばWiang Mano、Winang Tho、Wiang Tha Kanに見ることができる。それらのハリプンチャイ王国は、500年にわたって続いた。
ハリプンチャイ王国とダバラバティー②は、ピン川を物流ルートとして十分な交易を行っていた。また、その間に南部ビルマとも交易を行っていたが、メンライ王によって1292年ハリプンチャイは制服された。その征服後1296年、ヨーノック王国③のメンライ王によってランナー王国が建国された。
(ハリプンチャイ人のテラコッタ頭像・MON族の特徴である太い左右の眉毛が繋がっている)
注
①MON族の集団であった
②チャオプラヤー(メナム)川下流域に7~8世紀頃存在したモン(MON)
族の王国。ドバラバティーとも云う
③13世紀半ば、タイ最北部でメンライ王が即位した。それをヨーノック王
国と呼ぶ
<続く>
<北タイで最初の国家:ハリプンチャイ王国>
北タイで国家として初めて成立したのがハリプンチャイ王国である。建国にあたった人々の集団①は仏教及仏教芸術・文化、更にはインド文明の諸々を携えて、中部タイから移動して来た。伝説によるとチャーマティーウィー女王は、ロッブリーからランプーンへ9世紀に招かれたと伝えている。

彼女は先住のルワ族との抗争に勝利した。当時の街の跡をチェンマイやランプーンで、例えばWiang Mano、Winang Tho、Wiang Tha Kanに見ることができる。それらのハリプンチャイ王国は、500年にわたって続いた。
ハリプンチャイ王国とダバラバティー②は、ピン川を物流ルートとして十分な交易を行っていた。また、その間に南部ビルマとも交易を行っていたが、メンライ王によって1292年ハリプンチャイは制服された。その征服後1296年、ヨーノック王国③のメンライ王によってランナー王国が建国された。

注
①MON族の集団であった
②チャオプラヤー(メナム)川下流域に7~8世紀頃存在したモン(MON)
族の王国。ドバラバティーとも云う
③13世紀半ば、タイ最北部でメンライ王が即位した。それをヨーノック王
国と呼ぶ
<続く>