世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

12/25付Bangkok Post2題

2015-12-26 09:37:45 | タイ王国
昨日のバンコク・ポストから日本に関して2題。一つは、Better than an A is A5. との記事で神戸、三島、松阪、近江、飛騨牛がA5で、口の中で溶けると紹介されている。いまやバンコクを中心に裕福なタイ人には、和牛しかもA5が大人気である。
それは良いとして、三島?・・・である。三島牛より優れる和牛は多いであろう。バンコク・ポストの記者に何かつかませたのか? 我が田舎、島根和牛については何も取り上げられない。・・・県の役人は島根和牛拡販の為何をしているか?!

三菱のMRJはタイでも記事になっている。燃費の良さからタイでも注目されているであろう。良いことで記事になるのはいいが・・・。
400機以上受注し、納期が1年以上遅れて2018年第2四半期になるとの記事である。タイは多くの航空会社が入り乱れての激戦区である。多くの航空会社が関心を寄せているのは事実である。5度目の延期はありませんぞ。




チェンマイ国博ガイドブック・#8

2015-12-26 09:31:28 | 博物館・タイ
<続き>

<第2期:クーナー王―サームファンケーン王(1356-1443)>

1357年、ランナーはより強固となった。クーナー王は1時的にチェンセーンに移っていたが、そこからチェンマイに戻り権力を強固なものにした。
この時期の初期段階に、ハリプンチャイ時代から継承されていた、モン族の影響を受けた仏教の信仰形態が変化した。
それは彼が著名なスマナー長老をスコータイから招いたことによる。仏陀の遺物もまたチェンマイに持ち込まれ、スアンドック寺院に安置された。スアンドック寺院では、スコータイの影響を受けた蓮の形をした仏塔が建立(後に釣鐘型に改修)された。他のスコータイの特徴としては、仏塔の基壇に象をかたどったものがある。

           (写真はワット・チェンマンのチェディー)
またスコータイはランナーの仏像形式にも影響を与えた。この時期のランナーの仏像は、初期のチェンセーンとスコータイ様式が混合したスタイルを示している。この様式は第2期のチェンセーン様式に繋がることが知られている。スコータイ文字もランナーの書体に影響を与えた。




                        <続く>