多少なりとも年始に因んだ話を一つ。鳥居をウィキペディアで検索すると、以下のように記述されている。“神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画する結界であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。単に木(柱)と木(柱)を縄で結んだものが、鳥居の起こりであると考えられる。鳥居の原形は、アカ族らが長江流域から南下、避難してくる前に長江流域に住んでいた時代(百越人であった時代)の「鳥居」ではないのか、という説もある。稲作文化の始まりとされる弥生時代の池上・曽根遺跡や纏向遺跡でも発見されている”・・・とある。
鳥越憲三郎氏はその著書①で、“アカ族の門の笠木に置く鳥の形象物は、天から家族を守護する神の乗り物である”・・・と云う。
写真はバーン・トンルアンのアカ族村の結界(入口の門)である。門の外の世界と内側のクニとの結界である。そこには鳥越憲三郎氏の云う、鳥の肖形物が笠木に鎮座している。氏の云うように神の乗り物であろうか、それにしても黒に着色してあり、鵲のように見えなくもない。
当該ブロガーは実見経験が無いが、氏の著書に掲載されている、雲南奥地の布朗族の棟飾りの鳥である。氏の調査に対し村人は、“家族を守りに天から降りて来られる神の乗り物”であると説明したという。
そこでタイの寺院で見る、屋根の棟飾りのチョーファーである。チョーファーの起源をインターネットで検索するが、それに関する的確なウェブサイトがヒットしない。あるブログによるとチョーファーは、“神や天使が住む天界に生存する想像上の鳥の頭の形をモチーフにしたもの、地方によっては創造上の水鳥「ホン」②を取り付けたものがある”・・・と云う。また別のブログでは“ガルーダ”と記載している・・・これは、誤りであろうと考えるが、如何であろうか? 下の写真は、ナーンのワット・チャンカームのチョーファーである。
更にチェンマイのワット・チェットヨートのチョーファーは下の写真である。
当該ブロガーは、これはハムサ②でブラフマー神③の乗物であると考えている。それにしても、このチョーファーの起源が分からない。ミャンマーの寺院の屋根にも飾られている。本場インドはどうであろうか?
以下、勝手な想像である。タイ族も漢族に追われて南下した民族である。そのタイ族の故地では、先の布朗族やアカ族と隣接していたのである。鳥越憲三郎氏が掲げる高床式住居の鳥の棟飾り、上写真のアカ族の結界は、タイ族にとっても日常的な光景であったであろう。これがタイ族にとって寺院の棟飾り、つまりチョーファーになったであろうと想像している。少数民族の鳥の肖形物が、バラモンやヒンズー思想の及んだタイの地でハムサに化けたものと考えている。
そして、邪悪なものの侵入はヤックが防ぎ、神の降臨の乗物やその証としてのチョーファーで、その役割は少数民族の鳥の肖形物と同じであると考えられる。
しかし、このことは当該ブロガーの勝手な解釈、つまり文化は混交するとの不変な思考過程からのものであり、解釈違いもあろうかと考える。研究者や専門家の見解はどうであろうか?
当該ブロガーの別記事「杏が巡るパガン遺跡を見て その3」も参照願いたい。
注
①古代中国と倭族 中公新書
②インドでHamsa Hansha(ハムサまたはハンサ)、モン(mon)族も同様
な呼び方をし、ミャンマーではヒンタ、タイでホンと呼び、白鳥ないしは
白い鵞鳥でヒンズー教に伝わる神鳥である
③ブラフマー神をタイではプラ・プロム神と云い、日本では梵天と呼ぶ
鳥越憲三郎氏はその著書①で、“アカ族の門の笠木に置く鳥の形象物は、天から家族を守護する神の乗り物である”・・・と云う。
写真はバーン・トンルアンのアカ族村の結界(入口の門)である。門の外の世界と内側のクニとの結界である。そこには鳥越憲三郎氏の云う、鳥の肖形物が笠木に鎮座している。氏の云うように神の乗り物であろうか、それにしても黒に着色してあり、鵲のように見えなくもない。
当該ブロガーは実見経験が無いが、氏の著書に掲載されている、雲南奥地の布朗族の棟飾りの鳥である。氏の調査に対し村人は、“家族を守りに天から降りて来られる神の乗り物”であると説明したという。
そこでタイの寺院で見る、屋根の棟飾りのチョーファーである。チョーファーの起源をインターネットで検索するが、それに関する的確なウェブサイトがヒットしない。あるブログによるとチョーファーは、“神や天使が住む天界に生存する想像上の鳥の頭の形をモチーフにしたもの、地方によっては創造上の水鳥「ホン」②を取り付けたものがある”・・・と云う。また別のブログでは“ガルーダ”と記載している・・・これは、誤りであろうと考えるが、如何であろうか? 下の写真は、ナーンのワット・チャンカームのチョーファーである。
更にチェンマイのワット・チェットヨートのチョーファーは下の写真である。
当該ブロガーは、これはハムサ②でブラフマー神③の乗物であると考えている。それにしても、このチョーファーの起源が分からない。ミャンマーの寺院の屋根にも飾られている。本場インドはどうであろうか?
以下、勝手な想像である。タイ族も漢族に追われて南下した民族である。そのタイ族の故地では、先の布朗族やアカ族と隣接していたのである。鳥越憲三郎氏が掲げる高床式住居の鳥の棟飾り、上写真のアカ族の結界は、タイ族にとっても日常的な光景であったであろう。これがタイ族にとって寺院の棟飾り、つまりチョーファーになったであろうと想像している。少数民族の鳥の肖形物が、バラモンやヒンズー思想の及んだタイの地でハムサに化けたものと考えている。
そして、邪悪なものの侵入はヤックが防ぎ、神の降臨の乗物やその証としてのチョーファーで、その役割は少数民族の鳥の肖形物と同じであると考えられる。
しかし、このことは当該ブロガーの勝手な解釈、つまり文化は混交するとの不変な思考過程からのものであり、解釈違いもあろうかと考える。研究者や専門家の見解はどうであろうか?
当該ブロガーの別記事「杏が巡るパガン遺跡を見て その3」も参照願いたい。
注
①古代中国と倭族 中公新書
②インドでHamsa Hansha(ハムサまたはハンサ)、モン(mon)族も同様
な呼び方をし、ミャンマーではヒンタ、タイでホンと呼び、白鳥ないしは
白い鵞鳥でヒンズー教に伝わる神鳥である
③ブラフマー神をタイではプラ・プロム神と云い、日本では梵天と呼ぶ