世界の街角

旅先の街角や博物館、美術館での印象や感じたことを紹介します。

積雪1mの広島・島根県境

2016-01-25 16:23:34 | 日記
いや~参った。昨1月24日広島の親族を訪ねるため、早朝の6時30分に出発した。のっていた高速から降ろされ、訳のわからぬ下の道を右往左往、結局広島まで5時間を要した。通常2時間の距離である。
深々と雪が降り、この日はその積雪ぶりの写真を撮ることを忘れた。それどころではないというのが本音であった。結局当日の帰宅は無理と判断して、宿泊することにした。
1月25日の本日は、すべての高速が不通である。またまた帰宅するのに5時間か?・・・と思ったが、結果は4時間であった。下の写真は県境で積雪1mである。
積雪1mの経験は初めてであり、今後も経験はしないであろう。雪国の人々の苦労がよく理解できた。

「陶磁器・パヤオ」シリーズ・4

2016-01-25 15:49:33 | 北タイ陶磁
<続き>

<ウィアン・ブア陶磁>

●ウィアン・ブア窯群
モン・オーム窯を除く窯群をウィアン・ブア窯群と呼び、ブア村に点在する。Nam Mae Tamと記載している緑の蛇行線がメー・タム川である。

●成形
中世のウィアン・ブアの陶工は、成形する際に轆轤を使用していた。成形が終わったら、成形物を轆轤から外すのに糸、または馬の毛、ないしは細い針金③を用いて、未だ轆轤が回っている際に切り離した。従ってウィアン・ブアの陶磁には糸切り痕が残っている。この轆轤を回転させながら切り離す方法は、熟練の腕を必要とした。
このような木製の轆轤が使用されたと思われる。焼物を成形するのに用いられた。
100年ほど前の、チェンマイの陶工の轆轤の使い方。轆轤が2台あり、1台目は陶工用で2台目は回す人用であることが伺える、2台目の轆轤の上に柄があり、粉をひく石臼のようにして回す。陶工が使う1台目の轆轤とベルト掛けしていた。この100年前の轆轤が中世も使用されていたとの根拠は無いが、何がしかのことを想像させる。
ナーンのワット・シーコムカム付属パヤオ文化展示センターのジオラマは、手び練りも存在していた様子を表している。

注釈
③13-15世紀の中世に細い針金が存在していたのか?多少疑問に感ずる
 が、タイ文書籍「陶磁器・パヤオ」には、“細い針金”と記している

●白化粧と施釉
ウィアン・ブアの器の多くは、白い粘土液(WhiteSlip)で素地を覆うものである。その後、見込みに印判で様々な文様を押す④。幾つかの器のカベットは、縦方向に溝彫りし鎬文を表出している。この後、素焼⑤をして状態の良いものを選び、器の内側にのみ釉薬を浸す。しかし、内外共に釉薬のかかった器も見受けることができる。施釉が終わったら、口縁の釉薬を削ぎとる。これは本焼の際に器同士が融着するのを防止するためである。
これは素焼きされた魚文の印判である。様々な文様の素焼き印判が、発掘調査中に出土した。

注釈
④これは見解が分かれそうだ。そうであるなら印花文は、明瞭に浮き出るは
 ずだが、文様に不鮮明さが残る盤が多々ある。そのことについて、どのよ
 うに考えればよいのであろうか?
⑤タイ字書籍「陶磁器:パヤオ」の著者:クリエンサック氏によると素焼を
 すると断言している。2015年11月4日、パヤオのGao Ma-Fuang古窯
 址を訪ね陶片を譲って頂いたが、その時白化粧後魚文をスタンプし、素焼
 をした陶片を入手した。それは素焼き後廃棄されたもので、本焼は行われ
 ていない。この陶片からいえることは、素焼きは実際に行われていたので
 ある
入手した印花魚文が押された素焼きの陶片が上の写真である。


                             <続く>