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ハノイの博物館・美術館・その2:キムラン陶磁器・歴史博物館・美術館#2

2016-08-20 07:19:09 | 博物館・ベトナム
<続き>

博物館に展示されている陶片や陶磁器を年代順に紹介する。尚、展示ケースの外側からの写真であり、光が反射して見づらい点をお断りしておく。尚、以下の陶磁片につけられた名称は、キップション記載の名称による。

<李朝前期> 11-12世紀

緑釉陶片
中国や安南陶磁について語るには、あまりにも素人である点、お許し願いたい。緑釉陶については、唐三彩や遼三彩の緑釉の流れを汲んでいるのではないかと、思っている。

白磁蓮花貼花蓋
白磁蓮花貼花蓋は貼花とあるが、これは彫だしの連弁である。これはデコラティブな越州窯の流れを汲んでいると思われる。
白磁褐彩蓮弁寸胴壺透かし台陶片
白磁褐彩連弁寸胴壺の透かし台最下部の、高台に相当する部分は褐彩が施されている。これや、先の白磁蓮花貼花蓋などは、かなり高度な造形技法である。
11-12世紀に流行した陶磁に、連弁文を浮彫であらわした白釉炻器がある。この文様の多くは11-12世紀の北宋陶磁に祖形を求めることができ、連弁文を用いるのは李朝の宮中における仏教信仰の影響と考えられる・・・と云う。
李朝期にあたる11-12世紀に、キムランで焼造されていたことは、当地に高度な技術を持つ陶工集団がいたことになる。

<李朝-陳朝> 13世紀
白磁櫛描文碗
五筋の櫛描文で、何の文様なのか素人には分からない。見込には五つの目跡が残る。
李-陳朝は中国の軛からのがれ、独立したにもかかわらず、文化や物質的には中国の影響が大きかったことを覗わせている。それは見込の目跡と櫛歯文で、これは中国の影響である。
タイのシーサッチャナラーイや北タイのパーンにも、櫛歯文が存在する、それとの関係はどーなっているのか? ベトナム経由か、中国からダイレクトに伝播したであろうか?
中国陶磁の安南陶磁への影響という視点のみではなく、中国→安南→北タイという視点でも眺めているが、その影響は少なからず認められるが、決定的な要素は見いだせない。

<陳朝> 14世紀
白磁褐彩平形桶

青磁印花皿

青磁印花碗(青磁印花魚牡丹唐草文碗)
白磁褐彩平型桶陶片はよくみる文様である。その下写真の青磁印花皿は、ガラスケース越しなので型押し文様か、菊花弁状の鎬文様か判然としないが、キャップションでは印花文様としている。陳朝青磁印花文様の一つの完成した姿である。
写真上の青磁印花碗は、宋代(11-12世紀)耀州窯の型押し文様を踏襲しているのであろう、その特徴がよくあらわれている。耀州窯では、魚や牡丹唐草は多用された文様であり、上の碗もその文様を組み合わせている。尚、型押し文は定窯白磁にも存在し、それとの関連も考えられるがどうであろうか。見込に目跡をもっている碗である。
鍔口褐釉皿
キャップションには褐釉とあるが、発色は必ずしも均一ではないが、所謂陳朝の黒釉盤である。以下勝手な推測だが、見込には目跡以外に残渣が残っており、物原に廃棄された盤であろうか?
青磁印花碗

白磁刻花文陵花盤
印花文様が不鮮明で何の文様か判然としないが、これは型押し文様で五つの目跡を残している。下は陵花縁の白磁盤で、多くの貫入に覆われている、刻文はガラス越しでもあり、鮮明には見えないが牡丹唐草文ではないかと思われる。中経盤で陵花にも乱れはなく、それなりの気品を感ずる盤である。
当該Pageを御覧頂いてもわかるように、14世紀の安南青花以前の陶磁も、中国陶磁によく似ているのが分かる。中国との陸続き、安南山脈の障害・・・つまり地政学的な目でみると、陶磁ひとつとってもその影響ぶりが分かる。
以上、11-12世紀から陳朝の14世紀までの、発掘品の幾つかを紹介してきたが、お気付きのように優品が並んでいる印象である。

<参考文献>
甦る安南染付・岸良鉄英 里文出版
ベトナムの皇帝陶磁・関千里 めこん
世界陶磁全集16南海 小学館『ベトナムの陶磁』・ジョンガイ
陶説 2001年4月号
ベトナム青花研究ノート・矢島律子


                                   <続く>