世界の街角

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稲作漁撈文明(四)

2021-08-02 09:01:31 | 日本文化の源流

城頭山遺跡・最古の祭壇

以下、安田喜憲教授の著述である。”東門の背後から巨木の柱を使った建物跡と楕円形の大型土壇(祭壇)、更に40以上の祭祀坑が見つかった。土壇の周辺から赤色の焼成煉瓦、炭片、土器片が大量に発見された。

焼成煉瓦は数か所にまとまって出土し、焼成煉瓦で造った建物が、この土壇の上に建っていたものと推定されるという。土壇の上部から深さ1m以上、直径1m前後の土坑が発見され、そこから炭化した稲籾や土器片が発見された。

土壇の中央部からは棒状の石(竪岩と思われる)が発見され、柱穴とみなされるものも検出された。さらに長方形の土坑からは、人骨が4体発見され、人骨はいずれも頭を東南の方向に向けて屈葬されていた。そのうちM774の土坑がもっとも大きく、左側には屈葬の人骨が、右側からウシの下顎骨が発見された。そして人骨の上からはシカ科の骨が発見された。

土壇の南からは、大きな深い土坑がいくつも検出され、そこからは炭化した籾や焼かれたサイやゾウの骨が発見された。

この祭壇の周辺から発見された祭祀用土器は赤色であった。吉野ヶ里遺跡の祭壇(注・南祭壇を指すのか?)からも大量の祭祀用土器が発見され、同じように赤色土器であったことからなんらかの関連が推測される。

吉野ヶ里遺跡出土弥生土器、中央の高坏は赤色に塗られており祭祀に用いられた)

城頭山遺跡の場内に設けられた水田と祭壇は、稲作の豊穣を祈る農耕儀礼と深くかかわっていたと考えられている。”・・・以上である。吉野ヶ里遺跡の祭壇でも城頭山遺跡と同じような稲作儀礼が行われていたであろうか。安田教授は関連性を指摘しておられる。

<続く>