世界の街角

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稲作漁撈文明(七)

2021-08-07 07:22:41 | 日本文化の源流

稲作農耕と太陽信仰

以下、安田教授の著述である。”最古の稲作儀礼を行った祭壇が東門から発見されたことにより、その儀礼は太陽が昇る東の方位と深くかかわっていたであろう。日本の弥生時代において稲作農耕と太陽信仰・鳥信仰が深い関係にあったことが、多くの学者から指摘されてきた。中国側の研究者もあいついで長江文明と太陽・鳥信仰が稲作農耕社会において重要であったことが指摘されている。その太陽と鳥信仰は、8000年以上も前に長江中・下流域で起源した可能性が高い。城頭山遺跡の祭壇は太陽信仰と鳥信仰を背景にした稲籾の豊穣の儀礼を行う祭壇であった。

その祭壇から祭祀の具体的状況についての推測が可能となった。稲作を生業の基盤とした長江流域においては、祭壇を城内に設定し、そこで稲作豊穣の儀礼執行することが、都市誕生への重要な要因であったと指摘できる。

近年、吉野ヶ里遺跡からも45m×48mの方形の祭壇が発見された。日本の弥生時代の稲作農耕社会の展開においても、長江文明様式が踏襲されているであろう。”・・・以上である。

下の写真は、河姆渡遺跡出土の「太陽に向かう2羽の鳥が描かれた象牙の容器」である。

(浙江省博物館蔵品 出典・Wikipedia)

日本でも鳥霊信仰に関して吉野ヶ里遺跡をはじめ多くの弥生遺跡から鳥の肖形物が出土することは、当該ブログで何度も紹介してきた。百越の一派が日本列島に渡海してきたのである。その百越の一派である南越人(ベトナム・京(キン)族)にも同様な習俗が伝承されてきた。ベトナムの仏教寺院や神社(日本風に神社と記載したが、それは道教がベトナム風にアレンジされた聖母道の道観を指す)の祭壇には、太陽を表す円を二羽の鳥が運んでいる装飾や肖形、鳥の彫像や作り物をみることができると云う①。

(ハノイ・白馬寺 鳥の雌雄一対)

過去、ハノイに半年ロングステーした際に、多くの仏教寺院や神社を参拝した。残念ながら太陽と二羽の鳥の肖形は見た覚えがないが、鳥の彫像は多くの場所で見た。

城頭山遺跡と弥生時代、現代のベトナムと時代空間は大いに異なるが、百越としての習俗に共通項をみることができる話であった。

注)① 『中国長江文明とベトナム・日本』 諏訪春雄 編 より

<続く>