豊穣儀礼と王権の誕生
以下、安田教授の著述内容である。”城頭山遺跡は都市であろう。東と南と北に門があり、計画的に造られた城壁によって周囲の空間から隔絶された城内から、稲作の豊穣にかかわる祭祀を執行する場所が発見されたからである。
稲作農耕民にとって、稲の種籾は翌年の豊穣の鍵をにぎる重要なものである。種籾の稲魂を祀る祭祀が、今日の日本においても認められる。稲籾に血の儀礼をほどこし、豊穣を祈る儀礼を行い、その稲籾を分配する儀式を司ることで、王としての神権が生み出されたであろう。
大嘗祭は天皇の即位において、最も重要な儀礼である。発見された新嘗祭の原形とみなされる祭祀は、大嘗祭の原形であるとも云える。天皇の即位儀礼において重要な儀礼のルーツが、長江流域の稲作農耕社会にあるとすれば、稲作漁撈民征服王朝説を考える契機になるであろう。”・・・以上である。
(令和の大嘗祭宮:出典・Wikipedia)
ここでアンダーラインを引いた一節は、安田教授の一考察を表している。それは岡田荘司氏が大嘗祭に関する一考察からも稲作漁撈民征服王朝説を追究する必要性を感ずる。
1989年から1990年に、大嘗祭に関して岡田荘司氏は「真床覆衾」論も聖婚儀礼説も否定する論考を発表した。岡田荘司説によると、大嘗祭とは新帝が天照大御神を初めて迎え、神膳供進と共食儀礼を中心とする素朴な祭祀である。天照大御神の神威を高めることにより天皇がその神威を享受するという見解である。また、岡田荘司氏は大嘗祭において稲だけでなく古代の庶民の非常食であった栗の饗膳も行われることに着目して、大嘗祭は民生の安定と農業を妨げる自然災害の予防を祈念するものであるとし、「大嘗祭の本義は、稲や粟など農耕の収穫を感謝し、国土に起こる災害現象に対する予防のため、山や川の自然が鎮まるように祈念するもの」「国家と国民の安寧を祈念する国家最高の祭祀」との見解を示した。・・・この見解は優れた考察であると考えるが、当該ブロガーはもう一歩踏み込んで以下のように考える。
縄文時代の民は狩猟・漁撈の他にマメ類・エゴマ等を栽培し、クリも安田教授が指摘しておられるように半栽培していた。大嘗祭において、その栗の饗膳も行なわれていることは、先住民の大切な食料であった栗を加えることは必然であったかと思えてくる。稲作漁撈民征服王朝説は笑止千万と切り捨てることはできないであろう。
<続く>