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暫く中断していたが再開する。稲作と青谷上寺地遺跡出土品を紹介する。
稲作の伝播は朝鮮半島経由が定説化しているが、最近の佐藤洋一郎氏のDNA解析により、朝鮮半島渡来説は成り立たず、直接渡来説が有力視されている。鳥取県立博物館は朝鮮半島渡来説をパネル展示している。
中央は木製の盾である。縄文時代には「人は人を、集団は集団を殺し合う争乱」はなかったが、弥生時代に稲作が始まると、貧富の差が発生したり、自分らの集団が有利になる利権を求めて争いが発生した。その規模の大なるものが倭国争乱である。
以下、青谷上寺地遺跡出土品である。
争乱の発生と共に、日本海を介した交流も活発となった。
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